(11) 緊迫
黒いコートの男はスカーフで顔を隠し、ハットとの隙間に見える目で部屋にいた、眼鏡の男を見下ろしていた。眼鏡の男は、緊張の面持ちで言った。
「なな、何か…ペンの代金は確かにお支払いしましたが」
「警察に何か話したか」
コートの男はボソボソと小声で問い詰める。
「え!?」
「ペンを俺から買った事について、何か警察に話したのかと聞いている」
「と、とんでもない!あなたに言い含められたように、誰にも言っておりません!」
「俺にあの時、どう言い含められたか、言ってみろ」
眼鏡の男は目をぐるぐるさせながら、以前のやり取りを思い出しているようだった。
「は、はい。買った事実を誰にも話すな。俺の名前も尋ねるな。組織について探ろうと考えるな」
「よし。今、俺から買ったペンを全部出してみせろ」
眼鏡の男は慌てて部屋に戻り、机の中から二本の万年筆を取り出した。コートの男は黙って受け取り、矯めつ眇めつしてガッサに返した。
「警察がこの万年筆の存在に気付いているフシがある。あちこちで聞き込みを行っているらしい…例の、魔法犯罪特別捜査課とやらも動き出しているようだ。お前、これを使った現場まで俺を案内しろ。何かを探られた可能性がある」
「は、はい!」
眼鏡の男は慌てて外出着に着替えると、指示されたとおり魔法のペンを胸元にしまい、男が用意した馬車に乗り込む。馬車は眼鏡の男の案内で、ローバー邸から西にニ区画離れた、住宅地から少し距離がある道をゆっくりと進んだ。
一方その頃、警察のローバー議員殺人事件捜査班もまた、アーネットたち魔法犯罪特別捜査課と行動を開始していた。
「警部、レッドフィールド巡査部長の指示どおり、配備完了しました」
警官の一人がデイモン警部の前で敬礼する。警部はそれに頷いて言った。
「あの黒いコートの男が、自分達の行動の証拠隠滅に出ないとも限らん。犯人の確保が最優先だ。先に通達したとおり、現場ではレッドフィールド巡査部長の指示どおりに行動せよ」
「了解!」
さて、アーネットの指揮能力はどれほどのものかとデイモン警部は考えた。不安がないわけではないが、ここは弟子を信じる事にしよう。
「よし、出発!」
デイモン警部の号令で、隠密行動の訓練を受けた12名の精鋭警官隊が、静かに出発した。
他方、とある場所でブルーとナタリーもまた、アーネットに指示されたとおり待機していた。
「ねえブルー、わたし特にやる事ないんだけど」
ナタリーがぼやく。魔法の杖を構えてスタンバイするブルーは、冷たい視線を向けた。
「むさ苦しい男連中と行動したくない、って言ったのナタリーじゃん」
「ちょっと言い過ぎた」
「でも本音ではあるんだよね」
ナタリーは無表情で頷く。
「あんたもあと15年もすれば、むさ苦しい男の仲間入りするのかしらね」
「しみじみ言わないでくれる?」
ブルーは、30代に突入しようという自分を想像してみたが、あまりイメージが湧かないのだった。
「なんか、あんたも結局アーネットみたいなタイプになりそうな気もする」
ナタリーは、横目でブルーを見ながら言った。
「どのへんが?」
「傍若無人なところとか」
「それ、そっくり今のナタリーに返していい?」
二人は一瞬だけ睨み合ったあとで、
「とりあえず真面目に仕事しよう」
「そうしましょう」
と、任務に頭を切り替えた。
黒いコートの男が走らせる馬車は、恐怖で震える眼鏡の男の案内で小さな森の横を過ぎると、ボロボロの農家の小屋のような廃屋の影が、月明かりの中で見えてきた。
「ここか」
黒いコートの男が、重みのある声で眼鏡の男に確認する。
「は、はい」
馬車が停まる。コートの男は音も立てず降りると、手元から杖を取り出し、先端に灯りをともした。どうやら魔法のペンのバイヤーだけあって、ペンを使わずとも魔法には精通しているようだった。
「見ろ」
男が地面を照らすと、そこには何種類もの靴跡が残っていた。まだ新しく、ステッチの模様も見える。
「おそらく警察がこの現場まで来ている」
「で、でも、私が来たという事まではわかるはずがありません」
「それを突き止めるのが警察や探偵の奴らだ。すでに、何かしらの算段を整えて動いている可能性もある…」
コートの男が眼鏡の男を睨むと、眼鏡の男は震え上がって黙りこんだ。
「大人が3人…この小さな靴はなんだ…?女物の靴ではない。子供か?警察が来たとしたら、なぜ子供がいる?」
男は、ブルーが残した一回り小さな足跡に目ざとく気が付いたようだった。その様はさながら探偵である。調べ終えると、眼鏡の男の背中に拳銃を突き付けて、中に入るよう促した。
「ひええ!」
「銃で人を殺したくせに銃が怖いのか。さあ、その引き金を引いた場所まで行け」
「殺さないで!!」
「行け!!」
建物二階への階段を上がる眼鏡の男の足は、恐怖で震えて今や大地震の中を逃げ惑う人間のそれであった。
建物の中は明らかに、複数の人間が立ち入ったらしい。しかし、男はその様子を注意深く観察した。
「極力、現場を荒らさない事を心得ている歩き方だ。間違いない、これは警察の人間の足跡だ」
男はさらに、眼鏡の男に進むよう指図した。
「一階の窓は物で埋まっているな。撃ったのは二階か、屋根の上か?」
「に、二階の…東側の跳ね窓です」
コートの男は眼鏡の男を押しのけると、古くギシギシと鳴る階段を上がって行った。ガタガタと、骨の軋みさえ聞こえそうな震えとともに眼鏡の男もあとに続く。
眼鏡の男が言った東向きの跳ね窓の前に片足をつくと、コートの男は注意深く周りを見る。
「ここから撃ったのか」
狭いスペースで、コートの男は振り向いて眼鏡の男に尋ねる。
「は、はい…この窓からです」
「どっちへ向けてだ」
低い、唸るような声で男は言った。
「ひ、東側へ…」
「なるほど」
男は自分の拳銃で、その様子をシミュレーションしているようだった。
「望遠鏡で、目標が窓にいるのを確認して撃ったわけか。弾丸はいったん真東に向かって飛び、魔法の力で真北に軌道を変えられて、あの議員の頭を撃ち抜いた。そうだな」
「はい!」
「ここに来るまでの間、誰かに目撃されたのではないか?途中には住宅地もあっただろう」
眼鏡の男は震えながら記憶を辿った。しかし用心のために彼は、猟師の格好をしていたのだ。
「猟師だと?」
「はい!」
恐怖のためか、返答もワンパターンになってきた。語彙を選ぶ余裕がないのだろう。
「今は3月後半、たしかほとんどが禁猟期間になっているのではなかったか」
「そそそ、そうなんですか」
コート男は心底呆れたような溜息をついて、眼鏡の男を睨みつけた。
「まあいい。そんなザマで奇跡的にバレていないのならな…もちろん、俺達の存在をお前の口から世間に知らせれば、どうなるかはわかっているな?小説家」
眼鏡の男はすでに生きた心地がしていなかった。脂汗が流れるその顔で、何度も頷いてみせる。
「ひとつだけ製品の市場リサーチとして聞いておこう。弾丸は正確にお前の狙いを撃ち抜いたか?」
コートの男は、これで話はお終いだ、という様子で問いかけた。
「は、はい!完璧でした!私が狙った、ローバー議員のこめかみを正確に直撃しました!」
「なるほど。わかった」
男がパチンと指を鳴らすと。
『あーあー!本日は晴天なり!本日は晴天なりー!!』
甲高い少年の声が窓の右側の壁から唐突に鳴り響き、ドンドン、ドスンドスンと叩き鳴らされた。
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