(10) バイヤー

 メイズラントヤード庁舎内の談話室。デイモン警部はアーネットからの報告書を受け取ると、やはりまだ魔法というものに拒否反応が残っていると見え、何度か顔を引きつらせながらも読み終えた。

「いちおう、検証に現場の警官にも立ち会ってもらいました」

 果たしてたった数名の巡査の立ち合いがどれほど説得力を持つのか、アーネットには不安だったが、ひとまずデイモン警部は小さくうなずいたので、納得はしてもらえたようである。

「わかった。これはわしの責任で提出しておく」

「ご面倒をかけます」

「そもそも君らに協力を仰いだのはわしだ。気にしなくていい」

 そう言いながらも、デイモンはまだ首を傾げている。

「斜め方向からの魔法を使った狙撃…」

「受け入れてもらうしかありません」

「君が見つけた例の廃屋は、すでに確認した。狙撃地点である事は間違いない。事ここに至って、魔法を疑っているわけではないよ。ただ、起きている出来事を受け入れ難い自分がいるだけだ」

「それはわかります。俺だって、自分で魔法を学ぶまでは信じられませんでした」

 そう話すアーネットの手元に、推測をまとめたメモがあるのにデイモンは気付いた。

「考えはまとまったか」

「もう材料は揃っている…と言いたいところですが」

 アーネットはメモの上で手を組んだ。まだ思案に暮れているようである。

「狙撃地点は判明しましたが、そこに誰がいたのかを証明する客観的証拠がありません」

 眉間に小さなシワを寄せ、アーネットは続けた。

「おそらく、例のドーン青年のもと後見人が犯人でしょう、と言いたいところですが、そう断定するにはまだ要素が足りません。重要な問題点は3つあります」

「言ってみたまえ」

「ひとつは、ガッサ・ジョージアには一応アリバイがある事。彼の自宅のとなりの部屋の男性が、事件の時刻に彼がいた事を証言しています。もうひとつは、ガッサが魔法のペンを入手したという証拠がない事。そして最後に、証拠が揃ってもガッサが容疑を否認する可能性がある事です。やっていない、と言われればそれまでです」

 アーネットの指摘を、デイモンは黙って聞いていた。確かにその通りではある。ガッサが犯人であったとして、自白に追い込めなければどうにもならないのだ。

「動機という観点から見れば、ドーン青年が犯人である可能性もいまだ消えていません。むしろ彼の方が、犯人の可能性は高いとさえ言えます」

「レッドフィールド君、その疑問に関しては悩まなくて済むかも知れん」

「え?」

「例の万年筆だ。実は、リンドンのとあるバーでガッサが不審な人物と、何かを取り引きしていたらしい、という目撃証言が得られた」

 アーネットは目を見開いた。

「いつですか」

「細かい日時は明確ではないが、事件の2か月前くらいだ。目撃者はそのバーのマスターで、ガッサはよく店に来て小説の原稿を書いていたので顔を知っていたらしい。しかしある日、黒いコートを着た男と何やら話し込んでいたのが確認されている」

「ペンを受け取っていたという事ですか」

「それはわからん。が、可能性は高いと思わんか?」

 アーネットの目に、光が宿るのをデイモンは見た。

「なるほど…そのコートの男の外見的な特徴、わかりますか」

 そこはさすがデイモン警部の部下といったところで、スケッチの訓練を受けている刑事がバーのマスターの証言をもとに、謎の黒いコートの男の容姿をまとめていた。手渡されたそのスケッチを見ると、確かに怪しい風体ではあった。が、どこにでもいると言えばいるようでもある。

 この人物が、例の「魔法ペン」を流通させているバイヤーなのだろうか。おそらく組織だとは思うが、その規模はどれくらいか。どうやってあのペンを作っているのか。アーネットの頭の中で、想像が巡った。

「レッドフィールド君。目下の目的は、ローバー議員殺害事件の解決だ。それを忘れるなよ」

「わかってます」

 デイモン警部はうなずいて自分が先に立ち上がり、アーネットに手短に命じた。

「容疑者の逮捕は君にも当然、権限がある。人員が必要なら、こちらで用意する。いったん私は部署に戻るが、いちど全員で今後の行動を練ろう」

「わかりました」

 デイモン氏はうなずくと、席を立って廊下の奥に消えて行った。

「さて、ここからどうするかだな」

 アーネットもまた、頭の中で今後の行動を練りつつ、立ち上がって地下室へと向かった。ナタリー、ブルーと作戦を練るのだ。



 リンドン市南東の駐在所では、月末がもうすぐなので、ドーン青年が事件の報告書類を整理している所だった。

「ドーン、先日本庁の刑事が来てたけど、お前なんかやらかしたのか」

 からかうような口調で、上司のテイラーが言った。

「じょ、冗談やめてくださいよ!僕が何をしたっていうんです」

 引きつった顔でドーンは否定した。

「お前じゃなけりゃ、あのお前の後見人だったって人が、何かやらかしたのかと思ったんだがな。昔からあんな、変わった人だったのか」

「ほんとは、すごく有能な人なんですよ。でも、若い頃には小説家を目指してた事もあって、一度挫折したらしいんです」

「なるほどな。金勘定に使う頭と、お話を作る頭は違うって事か」

 何となく達観したように、中年のテイラーは言った。

「まっ、俺たちの仕事はそれなりに大変ではあるが。真面目にやってりゃ何とかなる」

「はあ」

「お前さんは俺と違って、育ちもいいし教養もあるからな。地道にやっていれば、いつか本庁の捜査課あたりに転がり込めるだろう」

 そう言ってテイラーは、ドーンの肩を叩く。テイラーをはじめ駐在所の面々は、ドーンのかつての家が解体した貴族家である事を認識したうえで、何の気兼ねもなく接してくれた。ドーンは微笑んで答える。

「はい、頑張ります」

「しかし、先日来た奴らのところは、やめといた方がいいかもな。魔法なんとか課ってやつ。本庁もまた、おかしな課を作ったもんだ。何かやらかせば、ああいう所に飛ばされるって事も覚えておけよ」

「…はあ」



 魔法犯罪特別捜査課のオフィスではナタリーとブルーが、昔の貴族が起こした事件のファイルを興味本位でひっくり返していた。地下室に戻ったアーネットが、呆れて肩を落とす。

「お前らな」

「アーネット、見てこの40年前のレポート」

ナタリーは一枚のレポートを取り出し、アーネットに当てつけるように読み上げる。

「【ドリー伯爵の死因は下腹部の刺突による出血多量。この刺突は同伯爵の夫人マリーベルによるもので、殺害の動機は伯爵が歌手ポーラ孃と密会を重ねた事による嫉妬であると思われる。】」

「……」

「浮気する男は殺されても文句言えないのよ。怖いわね!ねえアーネット」

「何が言いたいんだよ!」

「レポートによるとこの伯爵、密会の時は別人に変装していたそうよ。結局バレてるけど」

「なんで俺の方向いて言うんだよ!」

二人のやり取りに、また始まったよと呆れたブルーは自分のデスクに腰掛けて言った。

「で?警部と話して収穫あったの?」

アーネットはナタリーに一瞥をくれたのち、借りてきた黒いコートの男のスケッチを二人に示した。

「確証はないが、魔法のペンのバイヤーらしき人物だそうだ」

「警部情報?」

「ああ」

デイモン警部から聞いた情報をそのまま伝えると、アーネットは自分のデスクに腰掛ける。

「ガッサが犯人で決まり?」とブルー。

「わからん。仮にガッサがこいつからペンを買ったとして、使ったのがガッサ自身とは限らんからな」

「ドーンとの共犯の線もいまだ消えてないか」

それは尤もな話だった。だが、可能性を拡げ出したらキリがない。方向性を絞って、一つずつ潰していくべきだ、とアーネットは思った。

「実際のところ、そんなに時間もない。手をこまねいていれば犯人が逃げる可能性もある」

「じゃあ、その黒いコートの男を探す?」とブルー。

「難しいな。いつどこに現れるか全くわからない相手だ」

「それじゃ二進も三進もいかないじゃん」

 全くその通りだ、とアーネットは思った。何かないか。事態を打開する方法が。

「…」

 その時、アーネットの目に留まったのは先ほどナタリーが当てつけのように読んでいた、昔の貴族の不倫殺人事件のレポートだった。無言でナタリーから取り上げると、目を走らせる。

「気になるんだ」

「お前そういう事ばっか言ってると、いつか罰が当たるぞ」

 言い返しながらも、目はレポートの下段の一行に集中していた。

「…善は急げ、ってどこの国の諺だったかな」

 そう言ってアーネットは二人の顔を見渡すと、ニヤリと笑ってみせるのだった。



 その日の夜。一人の、眼鏡をかけた男の部屋のドアをノックする者がいた。

「誰だ、こんな遅く…」

 ぶつくさ言いながらドアを開けた眼鏡の男は、心臓が止まるかと思って硬直した。

 目の前にいたのは、黒いコートの長身の男であった。

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