(9) 弾道
アーネット達3人が、ジミー・ローバー下院議員が狙撃された現場の邸宅書斎に足を踏み入れたのは、その日の午後2時過ぎであった。天気は曇りで、先日訪れた時と違い、部屋は事件の陰鬱さを強調させていた。
事件の現場はまだそのままに保存されているが、血痕だけは取り除かれており、現在は被害者が倒れていた姿勢を示す白いチョークのラインだけが残されていた。ローバー夫人や、夫人のもとで滞在しているその息子家族を護衛するための警官が、門に2名、邸内に4名、銃を携帯して任に当たっている。
「ご苦労さま」
「はっ!」
アーネット達の顔もいい加減おなじみになってきたので、警官たちはいつも通り敬礼した。
「さて」
現場の書斎を再び眺め回して、アーネットはブルーの肩を叩いた。
「任せた」
「は!?」
「俺らの中じゃお前が一番の魔法のエキスパートだ。華を持たせてやろうって言ってんだ」
「僕に丸投げって事でしょ」
ぶつくさ言いながら、ブルーは自前の杖を取り出して構えた。
「何を調べる?」
「弾丸の軌道だ」
「あまり広範囲は無理だよ。せいぜい窓の外3mまでがいいところだ」
それでいい、とアーネットが言うと、ブルーは杖を振るって部屋全体に魔法をかけた。
「時刻の特定が難しいな。16日の朝、6時45分ごろでいいんだよね」
「あくまで推定時刻だからな。その前後15分くらいの範囲でどうだ」
「わかった」
部屋全体を、虹色の霧のような光が満たした。近くで見ていた警官たちが、何事かと眺めている。
「何を見てるんだ?これは」とアーネット。
「気流だよ。この部屋に残っている気流の流れの記録だ。ほら、椅子を見て」
椅子には、ちょうど人の形に気流が見えない箇所があった。つまり、そこに被害者がいたという事だ。
しばらく経つと、人の形は立ち上がってゆっくりと西側の壁を向いた。
「ここだ!速度を遅くしろ」
「簡単に言うけど、めちゃくちゃ魔力使うんだからね、これ」
重労働についてぶつくさ言いながら、ブルーは左の掌を前方に向けた。気流の流れが遅くなる。
するとやがて、窓の外から一筋の細い光が窓の穴を突き抜けて飛び込んできた。弾丸だ。
「来た」
弾丸を示す気流は、被害者の頭部を横から貫通し、壁の穴めがけて一直線に突き抜けた。
「あー、もうだめだ。限界」
再び杖を振るうと、気流を示していた光はふっと消えてしまった。ブルーはそのまま、手近にあった椅子に座り込んでしまった。
「疲れたー」
「どうだ?ナタリー」
アーネットはナタリーに意見を求めたが、ナタリーは素っ気なかった。
「これから何を読み取ればいいのかしら」
「少なくとも、推測が当たっていた事だけはわかった。窓の外には人影を示す気流は見えなかった。つまり、遠距離からの狙撃である事は証明されたんだ」
そして、拳銃を使用していながら長距離狙撃を行っている、という事実も証明された。ただし、魔法を公式に認めるのであれば、だが。
「ねえ、ちょっと」
ナタリーは、ガラスの弾丸の穴を見ながら言った。
「弾丸は窓に対して直角に進入した、って報告書には書いてたわよね。でも今見た感じだと、ほんの少しだけど、右斜めから入って来たように見えたわ」
「なに?」
まさか、といった表情でアーネットはナタリーから窓の外へ視線を移す。ナタリーは窓に近付いて弾丸の穴を見ると、振り向いて今度は壁の穴を見た。
「間違いないわ。壁の穴に対して、窓の穴はほんの少しだけ西寄りになってる」
アーネットは言われるままに弾丸の穴を見た。
「気のせいじゃないのか?」
「気のせいじゃないわ。ちょっとそこに立ってみて」
ナタリーはアーネットを押して、被害者が撃たれた位置に同じ向きで立たせてみた。
「窓の穴と、被害者の頭と、壁の穴を結ぶと…」
ナタリーは指で直線を描いてみせた。確かに、ほんの少しではあるが、窓の穴と反対側の壁の穴を結ぶ直線は直角ではなかった。壁の穴が、ほんの少しだけ東側に寄っていた。
「よく気付いたな、こんなズレ」
「ナタリーって部屋の物がちょっと動くだけで必ず気が付くもんね。将来めんどくさい小姑になりそう…いてっ!!」
ブルーの脳天にナタリーの拳が振り下ろされるのをよそに、アーネットは思案した。
「たまたま偏っているだけなのか、それとも…」
アーネットは窓を開け、風景を見渡した。
「もし、この微妙な角度のズレが偶然でないとしたら…」
「魔法で、南西方向の狙撃地点から水平に大きな弧を描いて飛んで来た、って事かな?」
「そうだ」
アーネットは、ブルーの結論に同意した。魔法を使えば発射地点はどこでもいい、というブルーの推測は正しかったのだ。
「つまり弾丸の発射地点は、ここから見て南西の方角にあるどこかだ。それも、おそらくは望遠鏡か何かで、この窓の様子を視認できる場所。さらに言えば、拳銃の発射音が気付かれないような、周囲に住宅などがない場所だ」
「注文が多いな」
「それを探すんだよ!おい、ちょっと来てくれ」
アーネットは手近な警備の警官を呼び寄せた。
「この周辺の地図、あるか?」
「はい、あります。パトロールの予定を立てるのに必要なので」
「見せてくれ。あと、責任は俺が取るから、二人だけ調査に付き合って欲しい。俺に命令されたと、デイモン警部にちゃんと言えよ。そうだ、望遠鏡もあったら貸してくれ」
その矢継ぎ早な注文から、のちにアーネットは警官たちに陰で「デイモン警部二世」と呼ばれる事になるのだが、それは彼には知る由もなかった。
地図を確認して、狙撃ポイントにできそうな場所をアーネットは特定した。それは、南西方向の小さな森を挟んで約800mの地点にある農家の廃屋であった。地理的におそらく、先に真南に見えた塔のような建物と、同じ農家の所有であったと思われる。ナタリーは歩きたくないとの理由でローバー邸に残り、アーネットとブルー、二人の警官の計4名が調査に訪れた。
レンガ作りで、よほど古いのか壁は黒く変色してしまっている。中は干し草だか何だかと、壊れた農具やらがぎっしりと詰まっており、ごみ置き場にされているようだった。
「うへー」
ブルーは中に入ろうとしたが、「待て」とアーネットに止められた。
「よく見ろ」
アーネットは足元を指差した。
「あ」
見ると、入り口に続く草だらけの通路に、足跡が残っているのがわかった。
「こんな古い建物に足跡が残っているということは、つい最近誰かが来たという事だ」
アーネットは警官を呼んで、足跡の記録を取るように命じた。
「この大きさと歩幅は男性の靴だ。足取りは安定していない。あまりこういう、雑然とした道を歩き慣れていない人間だな。農家だとか、狩猟の経験者だとかではない。警官や軍人では絶対にない。おそらくデスクワーク主体の人間だ」
言いながらアーネットは、足跡を踏まないように歩いて先導した。足跡は壊れた玄関に入っている。
中はゴミだらけで、干し草をよけて歩いているのが誰の目にもわかった。この人物は二階に上がっている。
二階もまた同じように、よくわからない空き袋だとか巻かれた網、布だとかがぎっしり詰まっていた。東側には跳ね窓が開けたままになっている。アーネットは後ろを向き直って、
「おい、来るな。ここは一人しか入るスペースはない」
と後続の3人を止めた。
「望遠鏡を貸してくれ」
警官から望遠鏡を受け取ると、窓の外を確認する。しかし、だだっ広い草原や遠くの丘陵の他は、ローバー邸の方向には木々ばかりが見え、建物はなかなか見えない。
だが、アーネットは視界をふさぐ木の中に、不自然に折られた枝がある事に気が付いた。
「ん?」
おかしい。動物がかじったりしても、こんな折れ方はしない。もしや、と思って折れた枝の向こうに、望遠鏡の向きと焦点を合わせた。
「当たりだ」
アーネットは自信ありげにうなずいた。それは葉や枝に遮られ、見えると言うにはだいぶ厳しい視界だったが、どうにかローバー邸の2階書斎の窓が確かにレンズを通して見えている。狙撃犯は、この建物から書斎を確認するために、枝を折っておいたのだ。
アーネットは、狙撃犯がいたであろう窓の周囲を注意深く見た。ほこりの上に足跡がある。窓の縁には何かを固定していた跡があった。おそらく、望遠鏡を固定していたのだろう。向かって右手の壁にガラクタ類が崩れているのは、姿勢を崩して手をついた跡だろうか。やはり、体を動かす事に慣れていない。経験が浅いか、年配で足腰が弱っている人間かも知れない。
「これだけ物が詰まっている建物なら、拳銃を撃った程度じゃ発射音は吸収されてしまうな」
「それに、農家が鳥だとかを追い払うのに銃を撃ったりします。ちょっと銃声が聞こえるくらい、このあたりの住民は気にも留めませんよ」
警官の指摘にアーネットはうなずく。
「ブルー、この位置から魔法の狙撃をテストするぞ。俺たちの推測が正しいのかどうか」
「さっきので魔力使い果たしたんだけど」
「明日のランチおごってやる」
「やります」
食い意地の張った少年は、二つ返事で魔法の杖を構えた。アーネットは窓の外を見る。
「さて、ローバー邸でくつろいでるナタリーの出番だ」
くしゅん、とナタリーはローバー邸書斎でクシャミをした。アーネットから、この部屋で警官と待機し、穴めがけて魔法で豆粒を飛ばして狙撃を再現するから確認しろ、と頼まれていたのだった。
「来ませんね」
まだ若い警官は退屈そうに言った。
「狙撃の再現はいいけど、狙いは大丈夫かしら。間違って窓ガラスを割ったりしたら、始末書ものだわ」
「それは困ります」
二人がうーんと唸っていると何かが2、3個ヒュンと飛んできて、ガラスの弾丸の穴をきれいに通過し、北側の壁にある弾丸の痕にバシバシと詰まってしまった。
「なんか飛んできましたよ!」
警官は退屈から解放されたようで、がぜん目を輝かせてその穴をのぞいた。ブルーが弾丸の代わりに、魔法で豆粒を飛ばしたのだ。それは正確な軌道だった。豆粒といってもそれなりに硬いらしく、人間の頭に当たれば出血くらいしそうである。もし窓に当たれば、確実に割れていただろう。
「本当にレッドフィールド刑事の言った通りでしたね」
警官は感心するように、豆粒の詰まった弾痕をのぞき込む。
「ばか、危ない!」
ナタリーは警官をどついて穴から離れさせた。その直後、豆粒の第二波が飛んで来て、すでに詰まっている豆にぶつかって割れ、部屋に散乱した。壁の弾痕は豆で完全に埋まってしまっている。現場を荒らすどころではない。
「すごい!魔法ってすごいですね!」
若い警官ははしゃぐ。
「喜んでもらえて何よりだわ」
ナタリーは、現場を荒らした事で上から叱責が飛んで来ないか心配だったので、警官に対して捜査のためだったと証言するように、と念を押すのだった。
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