(8) アリバイ

 アーネットとブルーはスミス通りに出た。鍛冶屋や家具屋、雑貨店などがある職人街であり、繁華街からは離れていて人影はまばらだ。

「ブルー、魔法でドーンを探せるか」

「やってみる」

 アーネットに言われて、ブルーは杖を取り出し短い呪文を唱えた。すると、一瞬周囲がモノクロームになり、その中に一条のぼんやりとした光のラインが浮かぶ。これは人や物を探すための魔法だが、会って日が浅い人物を探すのは上手く行かない場合が多かった。

「やっぱり、その人の持ち物とかがないからハッキリしないな。でも、だいたいこっちの方だ」

 ブルーが指差した先は、公園と川の近くにあるアパートだった。築年数はだいぶ経っているようだ。ガス灯の柱に記してある番地から、どうやらさきほど確認した住所のアパートらしかった。

 近づいて行くと、階段を降りてくる人影がある。革のジャケットに毛糸の帽子を被っていて印象がだいぶ違うが、ドーンだった。足取りと表情は重い。


「ドーン、ここで何してる?」

 アーネットは立ちはだかるようにドーンの前に出て、間髪入れず尋ねた。

「…刑事さん」

「ガッサ・ジョージアの部屋に行っていたのか?」

 アーネットの質問に、ドーンは俯き加減にうなずいた。

「場所を変えよう」


 アーネットは裏手に見えた公園に移動し、周囲に誰もいないのを確認してドーンに質問を続けた。

「彼に何の用事があったんだ?」

「別に…ただ、様子を見に来ただけです」

 ドーンは、先日会った時よりも少し斜に構えているように見えた。あるいは案外、これも彼の素なのかも知れない。

「事件とは関係ないんだな」

「…意地の悪い聞き方をしますね」

「これが刑事の仕事なもんでな」

 少しはにかんで、アーネットは近くの木に寄りかかった。

「…ええ、事件の事です」

「どうして彼に事件の事を聞くんだ?」

 これも意地の悪い聞き方だな、とアーネットは思う。

「逆に聞きますが、レッドフィールド刑事達はなぜここへ来たんですか」

 相対する青年も、なかなかのものである。そう言われると、理由を答えないわけにはいかない。

「捜査だ。事件の」

「ガッサおじさんが捜査線上に浮かんだ、って事ですか」

「そうだ」

「……おじさんが殺人事件の犯人だと疑ってる、って事ですか」

 その間の置き方に、何か勘付いているような印象をアーネットは受けた。

「そうだ。ただし、まだ確証はない」

「でも、確証に近い推測はあるって事ですよね」

「そのために現在、情報を洗い出している」

 ドーンはそれを聞いて、下を向いてしばらく何か考え込んだ。

「ご想像の通りです。僕も、彼があの日どこにいたのかを確認しに来たんです。でも結局、直接聞く勇気はありませんでした」

「…そうか」

 ドーンは、彼なりの推論からガッサが犯人の可能性がある、という事を結論づけたのだろう。そして、できれば彼の潔白を確認したいという思いで、彼の自宅にやって来たのだ。

「彼が父のもとで、何か僕の知らない事に関わっている。そういう気はしていました」

 父親の事を語る時のような、冷たい落ち着きの表情でドーンは語った。

「でも、当時はまだ僕は子供でした。なので、ほとんど何も知りません。領地の農家だとかに貸し与えてあった、土地と名前は覚えさせられましたが」

「ドーン、これは俺たちの仕事だ。色々歯がゆい気持ちはあるかも知れん。だが、ここは俺たちに任せてくれ」

 ポンとドーンの肩を軽く叩く。それが、いくらかドーンを落ち着かせたようだった。

「わかりました」

 それだけ言って、ドーンは小さくうなずく。

「勝手を承知でお尋ねしますが、どこまで情報を掴んでいるか、教えていただけますか」

「捜査の情報を第三者に明かすわけにはいかない。これは君も含めて、警察官が遵守しなくてはならないルールだ。ただし、君は一応当事者に関係があるし、気になるだろう。全て明らかになれば、話せる範囲で必ず君に伝えに来る。それまで、待っていてくれ」

 それだけ言い残して、アーネットはドーンが立ち去るのを見送った。


「またあの変なおっさんに会うのか」とブルー。

「あっという間に、変なおっさんから容疑者に昇格したがな」

 二人は、さきほどドーンが降りて来たアパートの階段を上った。西の端に4号室はある。

 とりあえず、ドアをノックしてみた。だが、返事がない。

「留守かな」

「わからん」

 もう一度ノックしようとすると、足音がしてドアが開いた。

「何ですか」

 出て来たのはガッサ本人だったが、髪はボサボサで、しわくちゃのシャツだけを着ていた。先日、街で見た時のきっちりした身なりとはだいぶかけ離れている。右手にはペンを握っていた。

「あなた方ですか」

「お忙しいところ申し訳ない。ちょっと訊きたい事があってね。そのペンは?」

 アーネットの質問にガッサはビクッとして、

「い、いま出版社に送る小説を書いていたところです」

 と、いくぶん震える声で答えた。

「出版社に送る。ふうん、そういうものなのか」

「訊きたい事というのは…」

「なに、形式的なものだ。3月16日の朝6時30分から7時くらいの時間帯、どこにいましたか」

 すると、ガッサは急に落ち着き払って答えた。

「16日というと…あの事件の朝という事ですね」

「そう」

「でしたら私は、この部屋にいました」

「証明できる人は?」

「ええと…ちょっと会いたくないんですけど、ちょっと寝ぼけてベッドサイドの本の山を崩してしまって、物音を立てて隣の部屋の人に怒鳴られましてね。彼が証人です」

 ガッサが言ったとおり、隣の部屋の住人はこう答えた。

「ああ、あの日ね。なんだか朝からドカドカ、ドスンドスン壁を鳴らしやがってさ。うるせえぞ!ってこっちも壁を叩いて怒鳴ったら、すぐ収まったけどな」

 20代くらいの、浅黒い肌の男は迷惑そうだった。

「っていうか、普段からあのおっさん変なんだよ。これじゃダメだ!とか、思い付かん!とか、喚き散らしたりするんだぜ。そのうち暴れたりして飛び込んでこないかって心配で、大家に言おうかと思ってる」

 小説を書いて行き詰っているのだろうか。目に浮かぶようだった。

「なるほど。直接会ったわけではないんだな」

「気持ち悪くて、できるだけ顔を合わせたくないな」

「それはわかる」

 アーネットのポロリと出た本音に、青年は少し笑って「もういい?ご苦労さん。あいつ逮捕してよ、じゃあね」と言ってドアを閉じた。

「逮捕してよ、ときたか」

「でもアリバイがあるよね。いたんでしょ、あの朝」

「……」

 アーネットはまだ納得がいかない様子で、もう一度ガッサの部屋を訪れた。

「邪魔するよ」

「まだいたんですか!」とガッサ。

「訊き忘れた事があってな。お前、こういう万年筆を見た事あるか」

 アーネットは胸ポケットから一本の万年筆を取り出し、ガッサに見せた。

「な、なんですかそれは」

「万年筆を作家志望が知らないわけないだろう。あるのか、ないのか」

「と言われましても、そんな万年筆はどこにでもあるでしょう」

「ふむ」

 それもそうだ、とアーネットは胸にペンを仕舞って続けた。

「ガッサ、お前拳銃は使えるか?」

「拳銃!?」

「使えるかって聞いてるんだ」

 ガッサは、今度は明らかに動揺している。

「つ、使えますがそれが何か」

「いや、今回の事件の被害者は拳銃で撃たれていたんでな。いちおう形式的な質問の範囲だ」

 そんな具体的な形式があるかよ、とブルーは突っ込みたかったが、黙って聞いていた。

「拳銃で撃たれたんですか?被害者は」

「そうだ。」

「えっと、もしかして私を疑っていらっしゃる?」

「それ以外に何がある?」

 アーネットは平然と答えた。

「わた、わたしがローバー議員を殺害したと?どど動機は?」

「仕えていた家がなくなって、横恋慕していた奥さんがショックで拳銃自殺した。貴族家に関わる立場だったのが、今は単なる平民だ。実のところ、その原因を作ったローバー議員を逆恨みしてたんじゃないのか?」

 そんな雑な訊き方でいいのか、とブルーは突っ込みたかったが、なんとかこれもガマンした。

「いや、仮にそうだとしても、人を殺すなんて事しません!」

「そうか」

「だいいち、私は新聞で、被害者は遠距離から狙撃されたって読みましたよ?有効射程距離はせいぜい50m程度の拳銃で、どうやって遠距離で狙撃するんですか」

 なるほど、さすが作家志望だ。反論も要領を得ている。

「事件の時刻、わたしはこの部屋にいました。事件現場はリンドンの中心地を挟んで、十数キロ離れた南側です。どうやって、ここから拳銃で誰かを撃てるっていうんですか」

 まったくもって、ガッサの反論には隙がなかった。証拠もある。

「これ以上は、いかに警察官であろうと訴えますよ!」

「わかった、わかった。今日はこの辺にしておこう」

「もう来ないでください!」

 ぴしゃりとドアを締めると、内側から鍵をかける音がした。


「あーあ。あんな雑な訊き方するから」

「相手の動揺を誘ったんだよ。しかし、あいつが言う分には確かにアリバイは成立するな」

「犯人じゃないのと違う?やっぱり、ドーンが犯人だったとか」

 ブルーは、最初に浮かんだ可能性を再び持ち出した。確かに、ドーンの容疑も完全に晴れたわけではない。むしろ、母親が死亡したという最も強い殺害動機を持っていた可能性さえあるのだ。

「さっきドーンが来たのも、実はガッサはドーンが犯人なのを知っていて、何か口裏を合わせるために相談してたのかもよ。あるいは、共犯って可能性もある」

 ブルーの推論もそれなりに説得力はある。アーネットは腕を組んで、色々な可能性をめぐらせた。

「お前の言う事も一理ある。それに、犯行を実行するにはドーンは有利だ。拳銃を堂々と持ち歩けるし、変な場所を歩き回ったってパトロール中だと言われれば、誰も疑わない」

「でしょ?」

「だが」

 アーネットはブルーが続けるのを遮った。

「俺のカンは、ドーンが犯人だとは言っていない。やっぱり違うと思う」

 それは何の根拠もなかったが、アーネットは最後にはカンを信じる人間である。それを知っているので、ブルーは今はアーネットに従う事にした。

「どちらか一方、あるいは二人とも犯人であるにせよ、明白なのは今回の犯行に魔法が使われている事だ」

「でも、それをみんなに証明するだけの客観的証拠がないんでしょ」

「その通りだ」

 魔法特捜課の戦いは常にこうだ。「魔法を使用した事実の物理的証明」という、矛盾した証明が常に求められるのである。

「やっぱり、ここは俺たち流でいくか」

「え?」

「俺たちは魔法特捜課だ」


 アーネットが動きを見せたその頃、ナタリーは一人でドーンの元後見人ガッサの情報を洗っていた。

「ガッサ・ジョージア、現在55歳。マールベル子爵家の解体時52歳。リンドン・スクール・オブ・エコノミクスを優秀な成績で卒業後、銀行に就職する。その後、34歳の時にマールベル子爵に能力を買われて秘書となり、彼の事業をサポートする。子爵号剥奪後は、裁判所の決定により国の支援を受けつつ、まだ若かったドーンの後見人となって、生活に必要な最低限残された資産を管理してきた。ドーンが自身の希望で警察学校に通う事も支援した。現在は後見人の立場を解かれ、手元にある財産を切り崩して生活している…か」

 ナタリーは溜息をついた。こんな情報は、街の興信所でも30分で調べられる話だ。いま必要なのは、容疑を固めうるだけの証拠なのだ。


ガッサは経歴からわかるように、少なくとも金銭や商品の取り引き、管理に長けた人物だ。マールベル子爵からの信頼も厚かっただろうし、仮に阿片密売を取り仕切っていたとすれば、危険な仕事のぶん多額の報酬も受け取っていたと考えるのは自然だ。アーネットがヘンフリー子爵とともに辿り着いた、マールベル子爵の没後に権益を失う人間、という条件に当てはまる。


 だが問題の、阿片密売に関する情報はやはり途中で途切れてしまう。もちろん、ガッサがこれに関わっていたという決定的なデータも出てこない。「何者かが間違いなくいる」という、ピンボケの写真みたいな間接的なデータである。逮捕された末端の売人や購入者、国外に持ち出した人物の名前は出てくるが、流通の上流に行くごとに情報は曖昧になるか、全く闇となってしまうのだった。

「こっちを洗うのは無理か」

 ナタリーは紅茶をぐいと飲み干すと、音を立てて皿に置いた。

「私たちは魔法特捜課、ね」


 かくして、メイズラントヤード魔法犯罪特別捜査課の面々は、本庁から少し離れたカフェで昼食ついでに合流する事となったのだった。

 歩き回って腹を空かせていたブルーは、サンドイッチと焼いたポテト、チキンとネギのスープをあっという間に片付けて、追加で注文したシチューのパイにかぶりついた。

「…よく食うな」

「魔法はカロリー消費するからね」とブルー。

 大人組の食事はサンドイッチとミネストローネ、と質素なものだった。

「さて、我々の捜査は微妙に行き詰っているわけだが」

「偉そうに言うなよな」

 パイの皮くずを口元につけながらブルーは突っ込んだ。

「俺たちは魔法が使える。捜査に使わない理由はない」

「でもね」

 ナタリーはスープを一口飲んで、スプーンを置くと言った。

「魔法を使った捜査で得た情報は、証拠能力に劣るものという暗黙のコンセンサスがあるわ」

「そうだな」

 魔法特捜課は、捜査において魔法を使う事は許可されている。が、例えば魔法で足跡を追跡したとか、その場で起きた事を念写してみた、といった魔法で得た情報は、魔法による捏造の疑いがあり、信憑性に欠けるものとして警察の上層部が納得しないケースがほとんどなのだった。彼らが地味に証言や物証を集めようとするのは、そのためである。

「だが、やっぱり俺たちは魔法使いだ。使えるものは使う。上を説得するのはその後だ」

「ま、事ここに至ってはそれしかないわね」

「だが、魔法で調べられると言っても、どこで何を調べればいいのかがわからなければ意味がない」

 アーネットはサンドイッチを飲み込むと、紅茶で流し込んで言った。

「そこで、もう一度現場に戻る」

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