(7) 真犯人は

 デイモン警部は翌朝、本庁裏手の公園でアーネットと落ち合った。

「なるほど、そんな情報があったとは…確かに、子爵家関連の捜査はごく限られたチームだけで行われ、わしにさえ大雑把な情報しか入って来てはいなかった。そんな情報を仕入れられるとは、君の相方は一体、何者なんだね」

 デイモンの疑問はもっともだったが、あまり表立っては言えない方法で情報を得ている可能性もあるため、アーネットは黙っている事にした。

「ナタリーによれば、この阿片密売の情報はトップシークレットだそうです。何しろ阿片関係は大物政治家の名前がゾロゾロ出てくるらしくて、これを調べている事を上に報告したら、まずい事になるでしょうね」

「何とも扱いの難しい情報だな」

「でも興味あるでしょう?警部なら」

 アーネットはニヤリと笑った。デイモン警部も若い頃は、上に噛み付く事で有名だったのだ。

「わしの事などどうでもいい。問題はこの事件の解決だ」

「警部はどう見ますか?この、子爵の阿片密売を仲介していた「中継ぎ」が何者なのか」

 デイモン警部は難しそうな顔をした。

「仮にその人物が、マールベル子爵家の消滅後も活動しているとすれば、麻薬関連のチームの捜査線上に引っかかるはずだ。だがそうなると、今回の事件には関係ないのではないか」

「なぜです?」

「阿片密売人がローバー議員を殺害する意味などあるか?子爵がいなくなれば、別の人間と組めばいいだけの事だ」

 言われて、アーネットは手をポンと打った。

「なるほど。つまり、『中継ぎ』とは…」

「うむ。子爵家の消滅とともに、権益を失った人間ということだ」

「つまり、子爵に極めて近い人物?」

「そうなるな」

 さすがだ、とアーネットは思った。たったひとつの情報から、ここまでの推測ができるとは。名刑事はいまだ健在であった。

「だが、貴族の内部事情となると探るのは難しいのではないですか」

「そうだな。君の相方も結局、その『中継ぎ』の正体までは辿り着けなかったのだろう」

「はい」

 アーネットは頭を抱えた。相手が企業だとか、個人ならそれなりに捜査の方法はある。しかし、貴族となると「階級」の壁が立ちはだかる。形骸化したとはいえ、いまだこの国では貴族が「上」なのだ。

 どうしたものかと思案に暮れていると、警部はぽつりと言った。

「君にはこう教えなかったかな。違う世界の内情について調べたいのなら…」

 デイモンは、思い出すのを促すように語尾をぼかした。

「…その世界の人間に訊け」

「正解だ」

「誰かアテになる人がいるんですか?」

「多少、いやかなりクセがあるが、妙な正義感も持っている人物だ。わしは面識があるので、話だけは通しておこう。ただし、わしは同席はせんぞ。君が自分でやるんだ」

 アーネットはかつての恩師の支援に感謝しつつ、これはひとつの試練だと受け取った。師は今も師であり、こうして試験をしているのだ。


 アーネットが出向いたのは、国会図書館の一角にある会議室だった。デイモン警部が、ここでその「人物」を待つように指定してきたのだ。おそらく、階級が上の人物である。アーネットは下座に座り、その人が来るのを待った。

 15分ほど待っていると、カツカツと勢いのある足音と、それに従うもうひとつの足音が近付いてきた。

「こちらです、子爵」

「うむ」

 先に入って来た中年の男性に促され、豪奢なスーツをまとった、アーネットといくらか近そうな歳ごろの男性が入室してきた。アーネットは起立すると、一礼して迎えた。

「本日は、御足労いただきまして…」

「ああ、よい。堅苦しい挨拶は今日はもう聞き飽きた。名を申せ」

 言いながら男は、くだけた調子で手近な椅子にどっかと腰をすえた。

 なんだ、この男は。正直そう思った。いいや待てよ、見た事がある。

「はい。メイズラントヤード魔法犯罪特別捜査課、アーネット・レッドフィールド巡査部長と申します」

「ほう」

 何やら、男の目が輝いた。

「魔法特捜課か。実は以前より興味を持っておった」

「は」

「私は上院議員、ヘイウッド子爵グレン・ヘンフリーである」

 やっぱりだ。どこかで見た事があると思ったら、国会議員の貴族だ。なかなかにクセのある人物だと聞いている。

「今日はもう予定はない。私も通常の業務に飽きていたところだ、何でも訊きたい事があるそうだな」

「はい」

「申してみよ。遠慮はいらぬ」

 さて、ここからだ。どこまで切り込んでいくべきか。

 だが、ここまできて遠慮しても何も得られまい。アーネットは思い切る事にした。

「では、単刀直入にお尋ねいたします。子爵は、3年前に爵位を剥奪された、マールベル子爵家についてお詳しいでしょうか」

「む?」

「はっきりと申し上げましょう。マールベル子爵家の…」

 するとヘンフリーは、手を挙げて制止した。

「その先を私に尋ねるという事は、それなりの覚悟あっての事だな?」

 ヘンフリーの返答に、この男は何かを知っている、とアーネットは確信した。

「はい。私は刑事です。正義と公正と真実の追及に身を捧げています。相手が何者であろうとも、その姿勢は変えるつもりはありません」

「相手が国王でもか」

 ヘンフリーは厳しい質問をしてきた。しかし、ここで怯んでは答えは聞き出せない。

「相手が国王陛下であっても。そのとおりです」

「ははは!」

 ヘンフリーは笑った。

「気に入った。さすがはデイモン警部の弟子といった所か。その度胸に免じて答えてやろう」

「ありがとうございます」

 なんとか、最初の関門は突破したようだった。

「では、質問を続けます。私がお尋ねしたのは、亡きマールベル子爵が、阿片の密売に関わっていたとする情報の真偽です」

 ヘンフリーの眉が動いた。

「どこまで掴んでいる?」

「正直言って、明確な証拠はありません。我々は、ローバー議員暗殺事件について調べているうち、マールベル子爵の爵位の剥奪に議員が関わっていた事を突き止めました」

「なるほど。つまり、子爵に近い誰かが復讐でローバー議員を暗殺したと、そう考えているのだな」

 若く見えて、なかなか頭の回転は早い男だとアーネットは思った。癖は強いが、バカではなさそうだ。

「そうです」

「例えば、息子のドーンあたりか」

「ご存知で」

「ご存知も何も。ドーンが幼少の頃に遊び相手になってやったのは、この私だ」

 なんだ、このとんとん拍子に進む展開は。

「では、彼がいま巡査として勤務している事は」

「うむ。知っている」

「正直に言います。彼が犯人の可能性を、一度は我々も考えました」

「当然だな」

 ヘンフリーは言った。

「外部から客観的に見ればそうだ。国会の決定によって称号を剥奪され、家を失った青年が復讐を考えても、動機としては何の不思議もない」

「はい。ですが」

「ですが、何だ」

「彼はそのような暴挙に出る人間ではありません。会話してわかりました」

 アーネットの説明は理論的ではなかったが、ヘンフリーは笑った。

「うむ。私もそう思う。彼はそんな事はできないし、むしろあの愚かな父親を憎んでいた」

 ヘンフリーの返答は意外でもあり、なんとなく納得できるものでもあった。どうやら、マールベル子爵家とは深い付き合いがあったようだ。

「あれは貴族にあるまじき姿だ。貴族は誇り高くあらねばならない。わたしが掲げる貴族の姿では断じてない」

「どこまでご存知なのですか」

「少なくとも、お主よりは何十倍も知っておるだろうな。うむ。確かに子爵は阿片の密売に関わっておった」

 あっさりとヘンフリーは明かした。

「もっとも、明確な証拠は何もないがな。証拠はないが、証拠が隠滅されている事実を私より上の世代の貴族や、利益を得ている政治家たちは知っていた。それは、公然の秘密だった。その収益たるや、莫大なものであったろう」

「誰も咎めなかったと?」

「そうだ。貴族や政治家は互いに弱みを知っているからな。相手の秘密をバラせば、今度は自分が標的になる。貴族の矜持を忘れた犬どもだ。私は若いため、つい最近までそれを知らなかった。証拠を掴んでおらぬ以上、まだ彼らを糾弾する事はできない」

 吐き捨てるようにヘンフリーは言った。

「もっとも、マールベル子爵は度を過ぎていた。それは確かだ。自分の妻や息子を殴るなど、狂気以外の何ものでもない」

「ヘンフリー子爵、我々の推理はこうです。今回のローバー議員殺害の犯人は、マールベル子爵家の解体に伴って、権益を失った何者かの逆恨みではないか、という事です」

「ふむ。なるほど」

 ヘンフリー子爵は、腕組みして思案した。

「調査によって、推測ですが、マールベル子爵の阿片密売を手引きしていた『何者か』がいると我々は見ています。要するに、子爵が手を汚さずに済むよう働いていた何者かです」

「それが今回の犯人だと?」

「確証はありません。が、最も可能性が高い推理です」

 ヘンフリーは、今度は目を閉じて何かを考えているようだった。その表情には、何か複雑な心境が見え隠れしていた。

「例えば、レッドフィールド刑事であれば誰だと考える?というより、具体的にどういう人物像であるか、だ」

ヘンフリーが言い換えたのは、貴族家の人物関係などアーネットが知りようもないと考えたからであろう。アーネットはそれを承知で考えてみた。

「そうですね。まず、取り引きの実態を巧妙に隠せるという事は、金や物の取り引きの実態をよく知る人物です。どの情報を消せば調査しても途中で糸が途切れるかを」

ヘンフリーは小さく頷いて、次は、と促した。

「次に、これは最も重要な点です。つまり、マールベル子爵に信頼されている人物…」

そこまで言って、自分でアーネットはハッと思い当たった。

「何か勘付いたという顔だな」とヘンフリー。

「いや…しかし、まさか」

ヘンフリーは意地の悪い笑みを浮かべて、アーネットに自分の考えを披露した。既に知っているような口ぶりで。

「貴官が特定の誰かを思い浮かべたのかはわからん。が、そういう条件であれば、私に思い当たる人物は一人しかいない」


 その後アーネットはヘンフリー子爵から、彼が推測した「真犯人」の名前を聞き取ると、しばらくヘンフリーの雑談に付き合わされた。非常に癖と我が強い思考の持ち主で、階級制度や人種差別に対してあまり自覚がない事には正直、辟易させられた。まだ若いので今後考えを改める事もあるかも知れないが、三つ子の魂百まで、かも知れない。ただ根っから悪い人物ではないかも知れない、という印象はあった。


 ヘンフリーとの接見を終えるとアーネットはデイモンのもとを訪れ、ヘンフリーとの会話の内容を伝えた。警部は苦虫を噛み潰したような顔ではにかむ。

「やはり厄介な人物であったろう」

「はい」

「わしと子爵の関係を話すと長くなるが、ああ見えて全くの悪い人物でない、とだけは言っておくよ。それはそれとして、目下の問題は」

 デイモン警部は、アーネットとヘンフリーが辿り着いた容疑者候補の名を確認すると、なるほどと腕組みしながらうなずいた。

「この人物は知己ではないが、一応面識はある。といってもただ挨拶を交わした程度だがな」

「さっそく当たってみるつもりです。クロかどうかは、まだわかりませんが」

「君のカンを信じたまえ。最後はカンがものを言うのだよ」

 そうかも知れない。何の根拠もないが、とにかく行動しよう。アーネットはそう思った。


 その浮かび上がった人物の名をナタリーに伝え、徹底的に調べるよう指示すると、アーネットはブルーを連れて再び例の駐在所を訪れた。しかし、その日はドーン青年はいないようだった。代わりに、40代半ばくらいの年配の警官が出て来た。

「ご苦労さん。今日はドーンは非番かい」

 手帳を示しながら話しかけると、一瞬何事かという表情をしてすぐに、中年警官は敬礼した。

「ご苦労様です」

「本庁のレッドフィールドだ。あなたは?」

「巡査部長のテイラーです。ドーンは非番ですが、何か」

 そこまで言って、ああ、とテイラーは思い付いたような顔をした。

「あの、ドーンの元後見人とかいう中年の件でしょう。また本庁に押し掛けたんですか」

「いや、そうじゃないが、ちょっとこの間の事件に関して、彼に確認したい事があってな」

「ドーンなら、警察の寮住まいですよ。ここから北西にある」

 そこならアーネットも知っている。礼を言って、二人は警察官の単身者が多く利用している寮に向かった。寮は、交通の便はあまり良くないが、森が見える景色のいい所にあった。赤いレンガ作りの長屋で、もともとは軍隊の寮だったものを警察に払い下げたものである。ドーンの部屋は、二階の西側の端にあるという話だった。

 が、外部の人間ということで寮監に取次ぎを頼んだところ、ドーンは外出したという。

「なんだか、そわそわしてる様子でさきほど出かけてしまいました。もうちょっと早ければ」

 だいぶ年配の、ボリュームのある白髪の男性は窓越しにそう言った。アーネットは嫌な予感がして、寮監にたずねる。

「どこに行きました?」

「さあ。ただ出かけるとしか」

「……」

 非番の日に外出くらいするだろうが、先日事件について職務質問をしたばかりだ。もし、外出の理由がそれに関係しているとしたら。

「ちょっと聞きたいんだが。ドーンの緊急連絡先で、こういう名前の人物の家を知っているか」

 アーネットは、手帳にメモした一人の人物の名前を見せた。

「ああ、そういう名前だったかは忘れましたけど、いちおう居住者の緊急連絡先なら控えていますよ」

 台帳をぺらぺらとめくり、ドーンの緊急連絡先を調べる。

「ありました、同じ名前ですね。この住所になります」

「どこだ?スミス通り34の7、4号室…わかった、ありがとう。急ぐぞ、ブルー」

 アーネットはブルーの方を見もせずに走り出した。ブルーも慌てて後に続く。

「ドーンを疑ってるの?」

「何とも言えん。だが、もしあの男の所に向かったとしたら…」

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