(3) 魔法犯罪特別捜査課

 首都リンドンのウッドワールドストリート12番地にメイズラント警視庁、メイズラントヤードはあった。王国全ての警察署の総本部であり、その巨大ビルディングはデザインの重厚さとともに威容を誇っていた。

 そのビルディングの地下に、今は使われていない区画があった。何十年か前に同じ敷地内にあった旧庁舎から建て替えられた際、旧庁舎の地下室だけは物置き用として残されたのだが、やがて使われなくなったまま放置されていたのである。

 正確に言うと、ひとつの地下室だけは現在も使われている。他に空き部屋がなかったために、ある新設の部署のため数年前に急きょ充てがわれたのだ。


 過去に振られた部屋番号であろうか、その地下室の古めかしい扉には「13」という数字が彫られた金属プレートが貼ってある。その下にはこうあった。


Magical Crime Special Investigation Dept. (魔法犯罪特別捜査課)


 一人の少年が、新聞の1面を睨みつけながらデスクに脚を乗せていた。

「ブルー。行儀悪いわよ」

 やや巻毛のブロンドをボブカットにした女性が、ブルーと呼ばれた少年の頭を小突いた。ブルーは憮然としたまま脚を降ろし、新聞記事を女性に広げてみせる。

「なんでうちはこういう派手な事件回って来ないのかな」

 新聞には『捜査難航か、ローバー議員暗殺事件』とあり、捜査班長のデイモン警部の顔写真が載せられている。

「不謹慎よ。人ひとり亡くなってる事件に」

「それはそうだけど」

「デイモン警部なら大丈夫でしょう。そのうち犯人を見つけ出すわ」

 女性は言いながら、何やら自分のデスクに人名リストが並んだ何枚もの紙を広げて、その一行一行に素早く目を走らせている。

「そいつはどうだか」

 ややハスキーな声とともにドアが開いて、背の高いスーツの男性が入ってきた。手には丸めた大きな紙がある。

「ナタリー、ちょっとデータを探ってくれないか」

「なんの?」

「ここ最近、警察内で不審な動きを見せた人間がいないかどうかだ。どちらかと言うと現場の巡査あたりの階級、それも比較的若い世代だな」

「大雑把ね」

 言いながらナタリーと呼ばれた女性は、杖を持ち上げると空中で軽く振った。するとたちまち、デスクの紙は一箇所にまとまってバインダーに収まり、バインダーは書類立てにスポンと入ってしまった。

「何を調べてたんだ?」

「政治思想犯、あるいは危険思想を持つとされる人物のリスト」

「怖いな。独裁国家でも作るつもりかい」

 やや皮肉を言って、男性は壁に対して斜めに置かれた自分のデスクに座り、持ってきた大きな紙を拡げた。

「何それ」とブルー。

「例の議員邸宅の周辺の詳細な地図だ。けど、よく見たらだいぶ古い地図だな。こりゃ使えんか」

「アーネット、またよその管轄の事件、勝手に捜査してるの?」

 ブルーは眉間にシワを寄せてアーネットを睨む。

「違うさ。そろそろお呼びがかかるだろうから、その準備だよ」

 ニヤリと笑ってアーネットは、地図に目を向けた。ローバー議員の邸宅があり、周辺には道路が縦横に走っている。が、記された年度を見ると、40年近く前の地図らしかった。

「お呼びがかかるってホント?誰に聞いたの」

「俺のカンだ」

「アテになんねー」

「ブルー、お前こそ予測してんじゃないのか?これが俺達の案件かも知れないって」

 言われたブルーは頭の後で手を組み、椅子にもたれて思案した。

「何とも言えない」

「ある程度推理してみたって顔だな」

「まあね。でもまず、アーネットの見解を聞きたいな」

 ブルーは、偉そうにデスクに両手を組んで微笑んでみせる。アーネットはデスクにつくと、持って来た古い地図を脇にどけた。


「俺の見解といっても、現場の情報は管轄の重犯罪課が手にしているものの又聞きでしかない」

 アーネットの言葉に、とりあえずブルーは頷く。

「重犯罪課もとりあえず、現状では狙撃方法の説明がつかない、という点では一致しているようだ」

「現状では、ね」

「そうだ。まだ何か物理的に説明がつく余地はあるはずだ、という前提で動いている。だが、現場のあらゆる状況が、少なくとも通常の物理では説明がつかない事を示している」

「さっさと諦めて、うちに持ち込めばいいのに」

 少年刑事は容赦ない。

「まあ、そう言うな。あいつらの頭が固いわけでも、無能なわけでもない。俺の古巣でもあるしな。ただ、組織っていうのは前提だとか、常識だとかを簡単にひっくり返すわけにはいかない。なぜなら、それが正しく機能する事がほとんどだからだ」

「前提が間違ってなければの話でしょ」

 ブルーに、アーネットも頷く。

「そうだ。300年そこら前まで、地球は平面だと思っている人間が大勢いた。しかし、天文学や航海術、時計の発達で、この俺たちがいる場所も、天体望遠鏡で見る星々と同じ球体である事が証明された」

「まだ平面だと思ってる人がいるからね」

「実際に見たわけじゃないからな。そんな時が来るのかは知らんが、知らない、見ていないものは、受け入れないのが人間や社会ということだ」


 二人が会話しているとドアの外から、地下の廊下に響く誰かの足音が近付いてきた。

「おいでなすったぞ」

 小声でつぶやいて、アーネットは襟元を正す。すると、ドアがノックされた。

「どうぞ」

 少し間を置いて、ゆっくりとドアが開いた。入って来たのはフロックコートに、ハットを深く被った高齢の男性である。ハットの下には白髪の割合の方が多い髪が見えた。

「邪魔するよ、レッドフィールド君」

「この部屋で姓で呼ばれるのは久しぶりですよ」

 アーネットは首の裏をポリポリとかいて、部屋中央のテーブルの椅子をデイモン・アストンマーティン警部に勧めたが、警部は静かに手で辞退して、

「不本意だが、君たちの力を借りたい」

 と、静かだがハッキリした声で言った。

「つまり、魔法犯罪特別捜査課の力が要ると?」

「…そうだ」

 デイモン警部の表情は硬かった。

「君のことだ、すでに捜査の進展について、新聞には載っていないようなことまで把握しているだろう。正直に言おう、お手上げだ」

 文字通り、警部は両手を上げてみせた。


「どこをどう調べても、かいもく見当もつかない。これは、例の…例の種類の事件なのだろうか?」

 例の種類の事件、とデイモンが言葉を避けて表現するのが、まだ納得しがたいという心情を表していた。

「そうですね、俺はその可能性が高いと思っています」とアーネット。

「もしそうであれば、少なくとも建前上は君らの管轄という事になるな」

「実際は蚊帳の外です。たいがいの事件はね」

 アーネットは皮肉たっぷりに苦笑して肩をすくめる。

「では、仮にここの課の管轄だとして意見を聞きたい。今回の狙撃事件、君ならどう見る?」

「そうですね。今回の狙撃を可能にする方法は、いろいろ考えられます」

「大雑把だな」

 デイモン警部は釈然としない表情で答えた。

「この少年が、現段階である程度は狙撃の方法を推理してみたようです。ブルー」

「りょーかい」

 アーネットに指示されて、ブルーはデイモンの前にひとつの銃弾の弾頭を置いた。

「警部、見てて」

 ブルーは、小さな杖を振るって、軽くコツンと弾頭を叩いた。すると弾頭は一瞬、不思議な虹色の光に染まったあと、ヒュンと真っ直ぐに飛んで、ゴミ箱の横に置いてあった何かの空き箱に突き刺さった。

「これは?」

「物体を飛ばす魔法だよ」

 事も無げに説明するとブルーは立ち上がり、弾頭を箱から拾い上げた。

「僕の推理だけど、犯人が使ったのはこの魔法だ。アーネットから聞いたけど、弾道が不自然に一直線だったんだよね」

「そのとおりだ」

「この魔法ならそれができる。しかも、狙撃銃なんか使わなくてもね。拳銃の威力にこの魔法の推進力を加えれば、大雑把な推測だけど…たぶん軽く1.5kmくらいは拳銃の弾丸を飛ばせる」

 そこまで聞いて、デイモン氏はわなわなと震え出した。

「その、魔法がわしには信じられんのだ!」

 テーブルをダンと叩いて叫ぶその語気には、誰に対してなのかわからない怒りが込められていた。

「知っているとも、ここ何年か、意味不明の事件が時おり起きている事を。件数は少ないが、どうやっても解決できない事件だ。真夏の炎天下、焼けた石畳の上で凍死していた女。誰も開けていない金庫の中からそっくり盗まれた金塊の山。毒も何も入っていないワインで毒殺された伯爵。鐘楼の上から投げ落とされて避雷針に刺さって死んでいた資本家。誰もが記入されるのをその場で見ていたのに、換金されるその時になぜか金額が何の痕跡もなく書き換えられていた小切手…」

 よくもそこまで記憶できるものだと、その場にいた3人は敬服した。

「我が国には確かに千数百年前まで、魔法が存在したという歴史上の記録がある。少なくとも記録だけはある」

 誰もが幼少時に習う事を、デイモン氏は振り返った。

「だが、それはおとぎ話だと思っていた。今こうして目の前で見ても信じられん。信じる事を頭が受け付けん。わしにとって捜査とは、足と目と耳で情報を探って解き明かすことだ。つまり真実とは、説明がつくもの、という事だ」

「俺たちにとってもそうですよ」

 アーネットは手を組みながら、天井を向いて言った。

「魔法は手段です。マッチやライター、電話、蒸気機関、それらと”原理”が異なるだけです。何らかの事象を引き起こすという点では同じです。マッチの扱いを間違えて起きた火事と、落雷で起きた火事、どう違いますか?火事は火事です」

 アーネットは、杖の先に小さな炎を浮かべてみせた。

「なぜ君たちは魔法が使える?」とデイモン。

「それは3人とも由来が違います。ついでに言っておくと、この中で本当の意味で魔法が使えるのは、その少年ブルーただ一人です。俺とナタリーの魔法は、この特別な杖の力を借りたものにすぎません」

「それだって、普通の人間にはできん事だろう」

「まあ、そうなんですがね」 

 火を消すと、アーネットはデイモン氏に向き直って続けた。

「警部。さっき例に挙げられた事件の数々、どうやって起きたかご存知ですか」

「わからんよ。全ては迷宮入りしている」

「公式にはそうです。我々魔法捜査課の、魔法による捜査で見つけた証拠は、証拠能力が劣るものとして規定されています。ここは公式に設立された部署であるに関わらず、です」

 今度は、アーネットの言葉に幽かな苛立ちが見て取れた。

「これを見てください」

 アーネットが机から取り出したのは、一本の万年筆だった。

「それがどうかしたのかね」

「これで、そのテーブルに警部。あなたの名前を書いてみてください」

「なに?」

 デイモン警部は訝しんだが、アーネットの目が嘘も冗談も言っていないことはわかったので、わけがわからないと思いつつ、古いテーブルに差し出された万年筆で名前を記した。デイモン・アストンマーティン、と。

「おおっ!?」

 デイモン氏は思わず後ろに飛び退った。

 警部の目の前で、テーブルが宙に浮いたのである。まるでガスを入れた風船のように。

「これはどうしたことだ??」

「見ての通りです。これは”浮遊魔法”です」

「浮遊魔法!?」

「文字通り、物体を浮遊させる魔法です。これを使えば、ピラミッドだって作れるでしょうね」

 デイモン警部の驚愕は収まらなかった。魔法が起きた事ももちろん、それを自分が引き起こしたのだ。

「なぜ、わしが魔法を使える?」

「違います。魔法を起こしたのは、この万年筆です」

 アーネットはデイモン警部が思わす落とした万年筆を拾い上げると、しっかりキャップを閉じて警部に見えるように持ち上げた。


「結論から言いましょう。この万年筆が、何者かの手によって、ここ何年か都市に流通しているんです」

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