第2話

 黙々と立ち働くことによって、僕は自分を失っていくような、そんな感覚を覚えていた。

 友人関係すら捨てる羽目になったのだし、もういいや。

 さっぱりとした気持ちでそうやって、毎日を生きているはずなのに、心にはいつももやがかかっているような感覚が拭えなかった。

 「なあ、お前。いつまでここにいるつもりなんだ?」

 「え?ダメですか。僕、行くところないんです。」

 「いやそうじゃなくて、お前さ。浮いてるよ。だって、ずっと会社勤めしてきたんだろ?あのさ、ここにいる奴らにも、ここにいる奴らなりの感情ってものがあって、いや、多分普通に暮らしている奴らよりももっと、そういうプライドのようなものが強いんじゃないかって思ってるから。」

 「はあ…だから?」

 「だから、お前は嫌われてるってこと。俺は別にいいけど。」

 雇ってくれるときは、そんなこと言わなかったのに、でも確かにここでは仲良く気楽に話せる奴らが見当たらなかった。

 僕は、元々性格がねじ曲がっているから、楽観的に人と絡むことができない。ということもあるだろうけれど、僕の経歴を見て、あからさまに嫌な態度をとる人もいたし、なんか、他人を不快にさせているっていう感じって、そうか、僕の居場所はここじゃないって思わせてしまうんだ。

 でも、でもさ、

 「ごめんなさい。僕、行くところ、再三言ってるんですけど、無いんです。ですから、お願いします。」

 「うん、でもお前が、辛かったら考えろよ、ここを出て行くこと。」

 「…はい。」

 はあ、仕事がひと段落して、呆然としながら椅子に座っていると、急に足をすくわれたような心地になった。

 どうしよう、僕にはもう行く場所などないのに。

 だが、こういう急な不安には、慣れている。

 会社員だって並大抵の生き方をして続けられるものでもないのだ。

 だから、決めた。

 「お店を開こう。」

 そう決めたから、すぐ。

 「すみません、僕店を開こうと思うんです。というか、会社を立ち上げます。」

 「そうか。」

 意外なことに、彼はあまり驚いていなかった。

 そして、

 「じゃあ、金貯まるまでここにいな。」

 「…はい、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうございます。」

 と、なって、で、周りの人もそれから、僕の事情を勘案したのか(というか多分、いなくなるって確定したから)、優しくしてくれた。

 そして、いざ開業。


 なのに、

 「こんにちは。」

 一人目は、しばらく来ないだろうと思っていた。が、僕は会社員の頃にやっていたバイヤーの経験を生かして、物を売ることにした。勘とやり方はある程度分かっているから、数字を把握しながらそれなりの結果を出していくことにした。

 のに、

 「いらっしゃいませ。」

 「…何してんの?」

 初めて来た客、高揚している僕。

 そして、

 呆然と?というか、ちょっと怒った感じで突っ立っている、元・妻。

 「お前こそ、何…。」

 言いかけて、やめた。

 だって、

 「早く入れよ。」

 「…うん。」

 妻は、ぼろ雑巾のようにくたびれていた。

 何があったのかは分からないけれど、会社員をしていた僕でさえ、このご時世で生きていくのは大変なのだ。

 ああ、どうして、気にかけなかったのだろうか。

 だって、僕は妻のことが嫌いじゃない。

 妻もきっと、そうなのかもしれない。

 「しばらく、居ていいから。」

 「ごめん。」

 僕らはまた、一つになることを選んだ。

 けど、結婚はしない。

 僕も、お前も、自由になることを選んだのだから。

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