第7話

 その日の晩。


 達哉を風呂にぶち込んで、そのあと自分もお風呂を済ませて、自慢の髪をくしで梳かしながら乾かして、ようやく一息吐けるとベッドに腰掛けて肩を撫で下ろした時、枕元に放り捨てていたスマホが、ピロン、とメッセージの受信を知らせた。


「なんだろ」


 こんな時間――時計を見遣れば十時を回った頃合いか。この時間に私にメッセージを送って来る相手なんて沙耶ぐらいだ。まあ今までは沙耶しかメッセージをやり取りする友達が居なかったから当たり前なんだけど。

 ただ、今日からはちょっと違った。


「紅音?」


 見れば、スマホの画面には『工藤紅音からトークの招待が届いています』と出ている。

 はてなと小首を傾げ、訝しむ。


 トークアプリに関しては昼休みに私、沙耶、紅音の三人のグループトークを作って登録してあるはずだ。そして遊びの内容は明日以降に詰めようとなっている。なのにどうしてまたわざわざ個人間のトークに私を招待しているのだろう。

 とそこまで思って、通常顔を突き合わせないネットワーク上の遣り取りって個人対個人が基本だということを思い出す。


 最近はわりと気軽に複数人で会話内容を共有するようになっているけれど、実を言うと私はそれが苦手だったりする。ほら、二人ならともかく三人になると途端に存在感を失う人っているでしょ。あれ、私なんだ。


 まあ、別に紅音と一対一で話して困ることもないし。


 なので、私からの指令を今か今かと待ちつつ画面近くで逡巡していた指先に命令を出し、紅音からの招待を受諾する。

 トークアプリのルームが作成され、何も履歴が無く壁紙だけが存在を放つ画面が現れる。

 と、さっそく画面に動きあり。

 送信者は紅音。

 内容は『こんばんは』。


「お、おぅ?」


 いや、何もおかしいことはないんだけれど、いや、やっぱりちょっとおかしいかな。いきなり第一声で他人行儀な挨拶をされたものだから面食らってしまった。


 どうすればいいんだろう。私もこんばんはって返したほうがいいんだろうか。それとも敢えて定石を外して返答すべきだろうか。


 私の脳が緊急出力した挨拶候補は「おっす」、「ちっす」、「ご機嫌麗しゅう」。

 碌なのが無い!

 

 返信に悩んで頭を抱えていると、再びスマホがメッセージの到来を告げた。

 しまった。追撃だ。


『招待の許可、ありがとう。改めて、これからよろしく』


 加えて、笑顔の熊のスタンプ。


「……次は普通だ」


 変に身構えて損した。いや、ほら、実際に話すときはフランクでもこういうアプリを介する場合は畏まる人なのかとちょっと警戒してしまった。イメージに現実とのギャップがあると、私みたいに対人スキルがよちよち歩きレベルだと対応しきれない。

 取り敢えず無難に返信しようと指を動かす。そして、送信。


『こんばんは。こちらこそよろしく』

「うっすっ」


 無難にも無難。あまりにも内容が無さ過ぎて薄っぺらな返信をしてしまった。なんてつまらない人間なんだろう。自分で自分が哀れに思えてちょっと凹む。


「スタンプとか送ったほうが良いかな」


 いや、でも、私はそういうキャラじゃないんだよなぁ。自分で言うのもなんだけど、そういうカワイイことって、自分には合ってないように思う。なんだか冷めた自分がいつも自分を見つめていて、この指先が触れるのを躊躇してしまう。

 沙耶相手だったら開き直って躊躇わないんだけどなぁ。


「……止め止め。別にスタンプなんて要らないでしょ」


 言い訳めいたことを口にしつつ、もう一度スマホを放り出そうとしていると、再びメッセージが届いた。

 まだ話すことがあるの。私、もう疲れたんだけど。

 それは単に私が勝手にやきもきして気疲れしているだけなのだけど、そんなのは棚に蹴り上げて目を逸らそう。慣れないことをしているから私は疲れている。それでいい。

 メッセージを見る。


『バイトの件、了承貰った。来週から時間と日数減ります』

「へぇ」


 本当にバイト減らしたんだ。もしかしたらあの発言はただのその場凌ぎ、という可能性もちょっと頭の片隅に置いていたから少し関心。


『良かったね。何も言われなかった?』

『初めに絶対根を上げるって言ったよね、ってお説教された』

『あーあ』

『できるって言った俺が悪いんだ。結局シフト組み直させちゃったし』

『どんまい。まあ切り替えていこ』

『だな』


 そして、熊の『お世話になりました』の土下座スタンプが送られてきた。

 それに対し、蹴りのスタンプを押す私。


 まるで土下座している熊の鼻っ面を無表情の簡易人型が蹴り飛ばすような流れになってしまった。とても酷いことをした。まあ、さらっと抵抗感のあったスタンプを押してしまうぐらい蹴りやすい顔だったのが悪いのだけど。私、悪くないネ。

 声じゃなく文字列だけど、紅音が狼狽えているのが返信からわかる。


『なんで蹴るんだよ』

『ちょうど良い位置にあったから』

『怖い』

『怖くないよ』

『怖い人はみんなそう言うだろ』

『例えば?』

『看護師さん。針刺すとき痛くないよって言うくせに痛いだろ』

『注射怖いの?』

『今の無し』


 続いて、不貞寝のスタンプが送られてきた。

 そうかそうか、紅音はその年で注射が怖いのか。まっこと初いやつめ。あんなもの、プスプス刺され続ければ屁でもなくなるっていうのに、軟弱な男の子だ。


 取りあえず蹴りのスタンプを送っておく。そして『おやすみ』と送って会話を切る準備。

 すると紅音から『また蹴った!』と非難の文章と、号泣スタンプ。

 そして最後に、『おやすみ』の一言が返ってきた。


 トーク画面を閉じて、スマホの画面を消して、そこでようやく自分の口角が上がっていることに気付いた。指先でふにょふにょと解して、珍しいこともあるものだと感慨に耽る。


 ふと箪笥の上に置いてあるデジタル時計に目をやると、時刻は十時十五分だった。

眠気は少しずつ増してきているし、そろそろ就寝してしまおうか。けれどちょっと喉が渇いているな。先にお水でも飲んでこようか。


 思い立った私はベッドから降りると、階段を下りてリビングへ向かう。


 階下へ降りたその時、カチャカチャと扉の鍵を開ける音がして、玄関扉が静かに開いた。


「ただいま~」


 入ってきた人物は酷く疲れた様子でそう言った。


 私と達哉の母、春瀬百合だ。


 ラフなOLといった格好で、毛先にウェーブがかった髪型が柔らかな雰囲気を醸し出している。しかしその雰囲気に反して、ライトベージュの上着が一日の疲れを象徴するように右肩部分が肩からややズレていて悲哀を覚えさせる。


「おかえり、お母さん」


 言って、靴を脱ごうとしてるお母さんから鞄を受け取る。お母さんは「ありがと」と言って玄関框に腰を下ろすと靴を脱いで立ち上がった。


「達哉は?」

「もう寝たよ。『お母さん待つ』って強がってたけど」

「あはは、そっかー」


 疲れた顔で嬉しそうに笑うと、少しだけ軽い足取りでリビングに向かい始めた。

 私も付いて行って、お母さんの鞄をソファに置く。そうしてお母さんに目を向けると、蛇口からコップに水を注いで、それを一気に呷っているところだった。


「ぷはぁ~。生き返るー」

「ご飯、冷蔵庫に入ってるよ。豚の生姜焼きとサラダ」

「ありがと。いただくね」

「うん」


 お母さんはコップを置くと冷蔵庫を覗き込んで皿を取り出した。そして茶碗を取ってご飯を装い始める。私はその間にテレビを付けて、冷蔵庫からお茶のポットを取り出してお母さんのコップにお茶を注ぎ直した。


 席に着いたお母さんは「いただきます」と言って遅い夕飯を食べ始めた。


 うちの生姜焼きは厚めの肉じゃなく、ロースの薄切りを使う派だ。漬け込む時間も少なくて済むし、なにより食べやすい。ちなみにバラ肉を使った時は油が出過ぎて地獄を見た。安いからって食材の向き不向きを無視するものじゃないと痛感した出来事だった。


 私も自分のコップにお茶ではなく水を注いでから席に着いてテレビを眺める。


「最近忙しくてごめんね」


 お母さんが唐突に言ってくるものだから、ちょっと苦笑が漏れる。


「いいよ。仕方ないもん」


 お母さんが謝るべきことじゃないっていうのは、ちゃんとわかってる。忙しいのは無茶な納期で仕事を取ってきた他部署だし、それの尻拭いのせいで周りの部署が迷惑してるってことも聞いてる。だからお母さんが謝る必要なんてない。

 だけど、


「でも達哉はああ見えて寂しがってるからさ、ひと段落したらちゃんと構ってあげてね」

「ええ、もちろん」


 ちらりと横目でお母さんを伺うと、微笑を浮かべているのがわかる。けれどその表情がまた少し申し訳なさで滲む。


「今週いっぱいは多分こんな感じだから、達哉の面倒お願いね。食材とか買うのに必要だろうから、明日の朝お金置いていくから必要な物は買っておいてね」

「わかった。明日買い足しとくね」


 頷いて思案。

 明日は学校が終わったらそのままスーパーに寄って帰るとしよう。お金も貰えることだし、達哉の好物のビーフシチューでも作ってあげようか。ちょっとお肉の量も多めにしてね。あと卵と牛乳も買い足さないと。


「心美も、寂しい思いをさせてごめんね」


 あれこれ考えていると、横合いから唐突に殴られたような気がした。まあ気のせいなんだけど、だけど、どうか、それを私に言うのは止めてほしかった。


「全っ然。大丈夫だよ。私は平気。もうそんな年じゃないし」


 そう、その言葉を言ってほしかったのは、今じゃなかったんだ。


「それに沙耶もいるしね」


 その言葉を私が言ってほしかったのは、この手を握ってほしかったのは、もっとずっと、ずっとずっと前のことだ。


 大丈夫だろうか。私、上手く笑えていると良いな。血の気が引いてちょっと頭の芯の感覚が遠ざかっている気がして、表情を上手に繕えている自身が無い。テレビの音がいやに遠く聴こえる。


 お母さんは私の言葉を聴いて、ただ黙って首肯した。

 そして、


「ありがとう、心美」


 その微笑みに含みを覚えて、居心地の悪さを覚える。決して嫌な感覚じゃないんだけど、それでもこの感覚を受け入れることは、私が何かを失くしてしまうような気がしたんだ。


 失くしてしまうモノ。それはきっと、あの頃の私自身なんだと、なんとなくそう思う。


 寂しさを覆い隠して、強がって笑うこと。

 それが出来るようになったと、それを誰かに肯定されてしまうと、あの頃の小さな私が、心のうろから零れ落ちて消えてなくなってしまうような気がした。

 あの頃の苦しみすらも、それを耐え抜いた塵のような誇りすらも、無情に掃き捨ててしまうような気がした。


 こんな肯定は、きっと私が本当に求めているものじゃないんだろうな。


 なんとなくそう思って、コップの中身を一気に飲み干すと立ち上がる。


「お風呂、まだお湯張ってあるから、入るなら追い炊きして入ってね」

「わかったわ。おやすみ、心美」

「おやすみ、お母さん」


 そうして、私はリビングを出て階段を上り、自室に戻った。


 ぱたりと扉を閉じて、それに背にしてふぅと息を吐く。瞑目して、心を整えて、天井を見上げた。


「ヒステリックに叫べたら、スッキリするのかな」


 この心のモヤモヤを言語化できて、そして思いっきり大声を出せたなら、この暗雲は晴れてくれるのだろうか。

 でももしそう出来たとして、元凶たる問題は何も解決しないし変わりはしない。何をしようと変化せず、ずっとこの身に巣食い続けるだろう。

 何も変わらないし何も終わらない。抗うだけ無駄。全てが無駄だ。


「はぁ」


 再び溜息を吐いて、ベッドの前まで歩いて行って、どさりと腰を下ろす。

 憂鬱な気分を叩き出すように勢いよく横たわると、枕元に置いてあったスマホのお知らせライトが点灯しているのが目についた。


「また?」


 さすがに今度は沙耶だろうな、と思いつつ画面を付けると案の定沙耶で、二回ほど着信があったらしい。履歴にそう表示されている。

 この時間に何度も掛けてくるということは何か急ぎの用事だろうか。いやまさかとも思う。

 けれど着信に気付いてしまってから無視して寝てしまうというのも仁義に欠くだろう。これが着信から結構な時間が経過しているならともかく、まだ数分しか経っていないのも気兼ねする要因だ。

 諦めるように嘆息する。


「くだらない用事だったら許さないからね」


 スマホを操作して発信。耳元に当てるとコール音が鳴っている。

 すると四コールくらいで繋がった。


『私からの着信はツーコール以内に出て』

「切るね」

『ああん、待ってえ!』


 病んだような声音で開口一番くだらない事を言うものだから本当に切りそうになった。


「束縛彼女じゃないんだからさぁ」

『可愛いおふざけじゃん。友人トークじゃん』

「また馬鹿なこと言って……」

『馬鹿な子ほど可愛いって言うしね。仕方ないね』

「へぇ、誰が可愛いって?」

『イッツミー!』

「ハハハ」

『なにそのリアクション! 失礼でしょ!』


 電話越しに沙耶が憤慨しているようだが、まあ置いとくとしよう。


「で、何の用? 私そろそろ寝ようと思ってたんだけど」

『ぬぅ、冷たい親友だなぁ。ま、いいや』


 さして引き摺ることもなく切り替えて、沙耶は言う。


『心美ィ、愉しい事情聴取の時間だよォ』

「切るね」

『ほんとに待って。お願い』


 ねっとりした声色が本当に気持ち悪くて、冗談抜きに切りそうになった。まったく、耳が腐ったらどうしてくれるんだ。

 そろそろうんざりしてきたから用事をさっさと済ませてほしい。


「次はないよ」

『はい、失礼が無いよう心掛けます』


 反省した様子の沙耶が神妙な声を出す。まあこの子が反省なんて欠片もしてないのはわかってるけど、そこを穿り返しても会話がループするだけなので放っておこう。


『あのね、訊きたいのは今日のことなんだけど』

「今日って?」


 まあどうせ紅音関連のことなんだろうけど、確定するまでは惚けておこう。


『おやおや、心当たりがございません? 本当に?』

「無いねえ。なんだろうねえ」

『ほっほっほ』


 適当に流すと沙耶は過ぎたる日の強敵のような笑い声を上げた。なんだ、キレたのか。

 悪いけど私は指一本で沙耶を倒せるんだよ。そう、この指先で通話を終了させるだけでね。


とぼけんなよぉ。紅音のことだよー』

「まあそうだよね」


 わかってたことだから観念すると、沙耶が電話越しに咳払いして声を整えたのが聴こえた。


『ねえねえ、二人はどういう出逢いだったの?』

「あのさ、その訊き方、含みがあってだ。別にそういうのじゃないから」

『えー、違うの? 私、ようやく心美に春が来たんだとぶっちゃけ狂喜乱舞だったんだけど』


 狂ったようにブレイクダンスを踊る沙耶を思い浮かべて、これは違うかと思い直す。何気なし、髪の毛先をくるくると弄ぶ。


「それは残念ね。お昼にも言った通り、私と紅音は友達とすら言えないぐらいお互いのこと知らないんだから、そういう関係に成り様がないわ」


 そういうのはきっと、お互いのことをよく知ってから成るもので。

 そもそもよく知ったからって確実に成るものでもなくて。

 だから沙耶の考えは見当違いも甚だしいというものだ。


『でもさ、心美が男子と言い争いなんて珍しいじゃん。その辺りはどうなのさ』

「どうとは?」

『紅音に対して思う所はないかってこと。例えばそう! 「この人、他の男子とは違うキュンっ」的なやつとか、「なんだろう、この人のことを考えると胸が苦しいクスン」とかさ』

「病気?」

『恋のな! 狭心症じゃねえんだわ! 胸キュンを病気扱いは止めてよね! 女子の風上にも置けないなぁココはっ』


 どうもいたく心外だったらしく、沙耶は冗談抜きで憤慨しているようだ。

 そんな症状があるのかと本気で心配になったのだが、どうやら心因性のものらしい。だったら安心だ。強心薬でもぶち込めば血流ガンガンアドレナリン増し増しテンション爆上げラッシャーセー。無事完治完治。反動がとっても怖いけど。


 まあ残念ながら今のところそういう症状はないので、やっぱり私はそういうことには向いていないんだろう。自分の枯れっぷりが誇らしくもちょっと空しい。


「私、そういうの、よくわからないよ」

『わからないって……』

「ねえ、さーちゃん」

『なに、ココ』


 この先を訊くのははばかられた。でも、訊かないとずっと心の虚が埋まらない気がして、怖くなって親友に手を伸ばした。


「それがわかれば、私は『普通』に成れる?」


 訊いたら、沙耶は何も言わず黙り込んでしまった。


 悪いことを訊いたかな。困らせてしまったかな。ああ、やっぱり訊かなければよかった。どうして自分の弱さを言い訳にして沙耶に迷惑を掛けているんだろう。

 自分の浅はかさを悔いて、瞑目して思わず下唇を噛む。


『それは無理』


 やがて短く否定が届いて、ああやっぱりと薄目を開ける。

 でも、


『だって私にとってココは『特別』だからね。今更『普通』になんて成れるわけないでしょ』


 否定の先に肯定があって、私ははっと息を呑んだ。


『まったく、こんな当たり前のこと言わせないでよね。恥ずかしいじゃん』

「うん」


 目頭がグズグズとしてくる。鼻の様子もおかしい。喉だって変だ。

 でも、ここでそれを悟られたら、きっと沙耶に心配させてしまう。だから、精いっぱいそれを抑え込んで、できるだけ平時に近い声を作り出す。

 すんっと鼻を啜って、躊躇いがちに再び口を開く。


「うん、ありがとう、さーちゃん」

『うん』

「変なこと訊いてごめんね」

『ほんとだよ。私じゃなかったらドン引きからの明日からさん付け開始だよ。マジで気を付けなー?』

「あはは、なにそれ」


 ちょっと鼻声になってしまって、焦って目頭を拭う。


 ああ、こうして目頭を拭うように私の弱さも拭い去れたらいいのに。そうすればきっと強く生きていけるのに。

 私が鬱々として目元をぐりぐりと揉んでいると、沙耶が言う。


『ねえ、ココ。真面目に言うね』

「うん」

『私はね、今日ココが紅音と話してるところを見て、本当に安心したんだ。「ああ、良かった。私以外にもちゃんとココを見てくれる人が居たんだ」って。だってさ、私、ココが人との間に壁を作っちゃうとこ良く知ってるし。そうする理由も、わかってるつもりだから』

「うん」

『だからね、別に紅音個人のことがどうこうじゃなくてね、ココにはようやくできたこの縁を大事にしてほしいなって、私はそう思うんだ。こんなこと言ったら傷付くかもしれないけど、ココはこれから先も人と繋がることを嫌がるでしょ?』

「たぶんそう」

『だよね。だからね、こういう数少ない良縁をね、繋いでいってほしいんだ』

「良縁かなぁ?」

『そうだよ』


 電話越しに沙耶が笑う気配がする。


『友達少ないココにとっては良縁も良縁。滅多にない友達を増やすチャンスだよ? これを握り締めないでどうするの。でしょ?』

「うーん」


 煮え切らない私に、沙耶は苦笑しているようだ。


『もし『言い訳』が足りないならさ、運命だって思っちゃえばいいんじゃない?』

「なにそれ。どういうこと?」

『だから、この出逢いは運命。私たちは巡り逢うべくして巡り逢ったんだ、ってね。だからこれから先どうにかこうにかなろうと運命運命そして運命。そんなロマンチックに言い訳しちゃえばいいじゃん』

「なんかさぁ、運命って便利な言葉だよね。あと連呼すると有難みが薄れて陳腐」

『なら運命さだめでいこうか?』

「急に殺伐としたね」


 私が呆れたように笑うと、沙耶も「確かにね」と釣られたように笑った。

 笑うと、少しだけ気分が晴れた。ほんの少しだけ、前を向けそうな気がしたんだ。


「ねえ、さーちゃん」

『なあに』

「心配してくれてありがとう。ちょっとだけ頑張ってみるよ。友達付き合いってやつ」

『うん。頑張って』

「うん。じゃあもう寝るね」

『りょーかい。おやすみ、ココ』

「おやすみ、さーちゃん」


 そうして自然と通話を切って、胸元にスマホを手のひらごとそっと落としてボーっと天井を眺める。


「難しく考え過ぎなのかな」


 でも、そうしないと周りに迷惑が掛かるかもしれない。


 だって私は、周りの人にとって重荷だから。


 それでももっと気楽に生きるべきでしょ。


 でも、私にそんな資格はあるの。私は、そんな生き方をしてもいいの。


 私はただ運が良かっただけなのに。たまたま生き残ってしまっただけなのに。


 きっと生きるべきだったのは私以外の誰かだ。

 救いの手のひらから私の代わりに零れ落ちてしまった誰かだ。

 私は生に縋り付いたりせず、この席を潔く誰かに譲るべきだったのだ。

 こんな心の腐った死に損ないではなく、もっと生きる価値のあった子が居たはずだ。

 そう。私は彼らから、生者の席を奪い盗ってしまったのだ。


 そんな苛みに、今までどれだけ苛まれてきただろう。

 こんな後悔には何の意味もないというのに、それでも考えずにはいられなかった。

 そして、せめてそれだけでもしなければ、きっと私は許されない。

 生きることを、赦されない。


 でも、それでも、


「頑張らないと」


 少なくとも、沙耶のために、ほんの少しだけでも前に進みたい。

 今はただ、そう思い、願う。

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