第10エピソード 西親川の町
第37話 俺、西親川の町に到着する。
ネモフィラ地方とアネモネ地方の間には、地形として目立つ境界線が存在していない。
だが、その先のカモミール地方と、アネモネ地方を結んでいる場所には、東西に巨大な山脈が走っているため、適当に王都を目指すということはできないようだ。ソーニャの言うとおり、まずは北上して、西
これとは別に、王都には、北西の町を経由して進む、という行き方もあるようだったが、山脈から離れなければならないために、平地の中を大きく迂回することになるので、このルートでは相当な時間を取られてしまう。素直に、俺は西
ほどなくして、反対方向から町のほうへと移動して来る、1人の男と遭遇していた。
無視して通り過ぎようかと思っていたのだが、横を抜ける際に、男が聞き捨てならない台詞を吐いた。なんでも、自分がグラントリーで、人気沸騰中の札を売っていると話すのだ。
グラントリーの札というのは、
だが、これは全くのでたらめ。
この札になんの機能もないことは、事前にスキルで確かめてある。
……こいつが、エルシーを騙した詐欺師だったのか。
エルシーも、直接グラントリー本人から買ったわけではなく、違う人間から入手したようなそぶりだったが、いずれにしろ、目の前にいる行商人が、ろくでもない人物であることに変わりはない。
男の持っている商品を手に取って、隠れて
要するに、偽物の偽物だ。こいつはグラントリーですらない。
少々奇妙だったのは、その説明に≪グラントリーの札としての効果を持たない≫と、書かれてあったことだが、元々、グラントリーの札自体が詐欺的な物品だろう。
「どうです、ちっこい旦那。何枚か買っていきやせんか? 今なら安くしておきやすぜ。なんと3
俺が熱心に札を見つめていたので、購入する意思があると思ったらしく、行商人は積極的に声をかけて来ていた。あいにくと、すでに俺は、こいつのあくどい手の内を理解している。ちょっとややこしいが、本物のグラントリーの札と見た目に差がないので、こんな偽物の偽物であっても、売れてしまうのだろう。
ペテンをやめさせようと、俺は男に悪事を働かないように忠告したのだが、なんのことだか分からないと、行商人はとぼけていた。
「はぁ……」
ため息をついて俺は首を横に振る。
どうやら、ちゃんとした灸を据える必要がありそうだ。手間だが、仕方ない。これもエルシーのためだと思って頑張ろう。
「ソーニャ。たしか、そこの
内容を強調するべく、俺は分かりきったことを尋ねる。
だが、俺の意図がうまく伝わらなかったようで、ソーニャはぽかんとした表情でうなずいていた。
「あぁ、そうだぜ。兄貴も見ただろう?」
「スケルトンライダーは、それなりに強い魔物だったよな。ドラ=グラが苦戦していたくらいなんだから」
そこまでいえば、ソーニャも俺が行商人に対して、うざい絡み方をしていることに気がついたようで、絶妙な補足をしてくれた。
「そのとおりだぜ。なんせアホみたいな数で、いつも浜辺に押し寄せて来るからな。会いたいんなら、今からでも向かえばいると思うぜ!」
「ありがとう。……よし、商人のお兄さん。これから一緒に行こうじゃねぇか。身をもって、その札の効果ってやつを証明してくれよ。好きな数だけお前の体に張りつけていい。効果があると分かったら、全部買ってやる。くれぐれも慎重につけろよ、お前の命がかかっているんだからな」
相手の肩に手を回しながら、とんとんとその体を叩けば、さぞかしさまになったのだろうが、残念なことに、俺にそこまでの勇気はない。なので、代わりにスザクに仏頂面で、威圧するように男の背後に立ってもらった。
行商人の背丈はドロシー並みだが、スザクはそれよりも体格がいい。後ろからとはいえ、肉薄されれば、たとえ彼女の運動性能を知らずとも、相当な恐怖を抱くはずだ。
自分の売買している物が、なんの役にも立たない
「最初からするなっつうの」
行商人の背中を見ながら俺がぼやけば、ソーニャも不愉快さを隠すことなく悪態をついていた。
「兄貴があんなことするってことは、やっぱし札は偽物だったんだな。俺の知り合いにも、何人か担がれたやつがいるから、ちょっとスカッとしたぜ」
全くもってそのとおりなので、俺も力強くうなずいておく。
そのあとは、特に目立った出来事もなく、日没前に西
例によって、西
先にも述べたように、アネモネ地方の北部には、巨大な山脈が存在している。当然に、そのすぐそばにある西
人の出入りを鋭い目つきで監視していた兵士が、俺たちの姿を認めると、身分を証明するように求めて来た。
……身分?
今までの集落に、役所のような公的機関を見つけられていなかった俺は、男の言動に面食らってしまった。それもそのはずで、ほとんどの場合には証明できないらしい。ドラ=グラなど、大手と呼べる一部のギルドであれば、冒険者であっても、証明書を発行してもらえるそうだが、所属する組合がよほど巨大なものでない限りは、不詳として扱われる。無論、すでにドラ=グラを首になっているスザクも、この例外ではない。
では、身分を証明できないと、いったいどんな不利益を
「全員が不詳か? それなら、1人につき5
「なんだ、そういうこと」
払う金額が変わるだけなら、どうということはない。倹約を
ドロシーによる
金づかいの荒いことを怒られるかと身構えたが、内容は全く違うことだった。
「私には、クレバリアス家からもらっている身分証明があります。同家はすでに滅んでいますので、今では偽物ですが、どうしますか?」
……あっ、メイドは証明できるんだ。
完全に予想外だった。
ドロシーの気持ちはありがたかったが、俺としては微々たる差だし、
特に差しつかえなく審査は終わったのだが、馬は荷物として高価なようで、その場で1
ちなみに、馬が1頭だけである理由は、ソーニャも1人では馬に乗れないからだ。つまり、ドロシーとソーニャで馬を使い、俺の定位置はスザクの背中になっている。
滝の裏を通って、町内に進入。
狭い空間の中を、ひしめきあうようにして家々が並んでいた。古い時代に建てられたと思わしき、石造りの家だ。その景観とあいまって、町からは長いながい歴史を感じられる。
山の反対側にある東
それならば、混雑したときに備えて、先に寝る場所を押さえたほうがいいだろうと、俺たちは宿屋に向かう。
だが、宿屋の主人と話をしていれば、男は俺たちに対して首を横に振っていた。
「東
「それはどういう……」
聞けば、東西の町を繋いでいる洞窟は一方通行で、1日置きに進路の方向が変わるらしい。今日がその通行できる日にあたるので、今夜中に向かわなければ、次の機会は早くても明後日になる。
「分かりました、ありがとうございます。……そういうことなら仕方ない。先に進もうか」
みんなを急かすようで気が引けたが、
だが、俺の提案をドロシーが即座に否定する。
「やめましょう、ご主人様。顔色が悪いです。だいぶお疲れのようですよ」
「えっ、俺?」
疲弊していた自覚はなかったのだが、落ち着いて考えてみると、黒一点のパーティーのくせして、この中で一番体力がないのは、誠に不思議なことに俺になる。たとえ、俺が倒れたとしても、スザクに負ぶってもらえばいいだけなのではないかと、そう思ったのだが、無理してまで足を速める必要はないと、ソーニャがドロシーに追従していた。
「そうだぜ、兄貴。大会がいつ開かれるのかも、俺たちは知らねぇんだ。2~3日遅れたところで、何も変わりゃしねぇよ。パトロンの体調も配慮しねぇやつだとは、俺も思われたくねぇぞ」
ソーニャ本人にまで説得されてしまえば、言い返すことなどできはしない。強行は諦め、大人しく俺は宿を確保した。
休養を取ることに決めた以上、今日を含め、最低でも2日は滞在することになる。このうちに町内を見て回ったほうがいいだろうと、部屋に入る前に、俺はソーニャに名産品を尋ねていた。
「この町の特産って聞かれてもな……。悪いが、兄貴。俺だって
「……魔石?」
魔動具のほうなら、最近覚えたので心あたりがあるのだが、あいにくと魔石については初耳だ。ソーニャもうまく答えられないようで、肩を竦めていた。
「俺がそんなこと知るわけねぇだろう」
「たぶん、魔動具に使うやつですよ」
すかさず、ドロシーが口を挟む。
ネモフィラの名家である、クレバリアス家で働いていたドロシーは、魔動具についても経験が豊富だ。魔石にあっても、何度か触ったことがあるのだろう。
……なるほど、動力源か。
それならば合点がいった。アルバートが、山小屋で使ってみせたものに違いない。
魔動具を理解した今ならば、もう少し関心を持って、接することができるかもしれないと思った俺は、魔石を見に行くことに決めていた。名産品ならば、その辺の店でも現物を展示しているだろう。今すぐに、ふらっと行って確かめて来てもいいが、せっかくならばじっくりと見学したい。少し早いが、今日はもう夕食にすべきだ。部屋に荷物を置いてから、俺たちは宿屋に併設されている酒場で、食事を取ることにしていた。
ギルド「マイザー=ゲイザー」。西
さすがに
席についてホワイトシチューを注文すれば、聞くともなしに、冒険者たちの会話が耳に入って来る。
「また、マルチゴーレムは現れるのかな?」
「どうだろうな……。最近は現れていなかったから、出現の頻度からして、今夜あたりにそろそろ姿を見せたとしても、決しておかしくはないな」
「そっか……。でも、町の人から『マルチゴーレムを倒してくれー』なんて、言われないことだけは幸いだね」
「……。グラントリーの札があるからだろうな」
苦虫を噛みつぶしたように、男が眉根を寄せて目を閉じる。あまり触れられたくない話題だったらしい。
「ムニエは否定的なんだ」
そう言って、女が酒を軽く口に含めば、別の若い男が口を挟んでいた。
「そりゃそうでしょう。あんなものを認めてしまったら、僕らの存在意義がなくなっちゃうじゃないですか。通行人の道案内やゴミ拾いが、マイ=ゲイの役目じゃないでしょう! 僕らでこの町を守っているんじゃないんですか!?」
「そうかな……? 正直、私は助かっていると思っちゃうよ。だって今は、それどころじゃないから」
「それは……そうかもしれませんけども……」
道中でペテン師に会ったので、薄々はそんな予感がしていたのだが、西
ぶっちゃけ、この詐害を馬鹿にしていた部分が、俺にないわけでないのだ。もちろん、騙された人たちを笑う意図はない。だが、ここまでの規模だとは考えていなかった。根も葉もないお守りの効果を、大勢の人間が信じるわけがないだろう。何か特別な由来でもない限り、多くの人を罠にかけるのは無理だと思っていた。
だが、会話の文脈に照らせば、まるでグラントリーの札で、マルチゴーレムを退けることができるかのようだ。あとで詳しく話を聞いてみたい。
何気なく、興味本位で俺はムニエたちのステータスも確認する。冒険者というだけあって中々のものだが、それでも、大物を相手にするには心もとない運動性能だった。もっと戦力として余裕が欲しいところだろう。マルチゴーレムのランクは、ブロンズデーモンにこそ及ばないものの、A-と個人では戦えない位置に属している。討伐などの対処は、大人しく
そう思って俺はパンに手をつけ始めたのだが、俺の考えは甘かったようで、ムニエが憮然とした面持ちで、首を横に振っていたのだ。
「コリンヌ。君が期待しているところ悪いが、恐らく、いつまで待っていても
「どうして?」
むっとした様子で女がムニエを見やる。自分の意見を表立って否定されたことに、分かりやすく腹を立てていた。
「中途半端だからだ。
ご立腹だった女も、ムニエの話した理由に納得できたのか、諦めた様子でうなずいている。
「私たちだけでやるしかないってことね」
「あぁ。そのためにも、明日からの調査をさっさと終わらせよう」
ギルドの人間に、話しかけるタイミングを見計らっていた俺は、今がその機会だろうと思って、ムニエたちに近づいていく。
「今の話――グラントリーの札が、マルチゴーレムに効果があるっていうのは、本当なんですか?」
いきなりの発言に、ホワイトシチューを
たしかに、単刀直入だったと反省し、俺は簡単な挨拶から始めた。
「いえ、僕は
俺の説明を聞いた女が苦笑いで応じる。
ムニエも一応は口を開こうと思っていたらしく、女に先を越されたので、決まりが悪そうに酒をちびちびと飲んでいた。
「マイ=ゲイ……あぁっと、私たちのギルドとしては不本意だけど、そうかもしれないなって感じ。ほかにマルチゴーレムが襲って来ない理由に、思いあたるものがないから……。でも、公に認めているわけじゃないから、あくまでもここだけの話にしてね。グラントリーの札は値段が安いから、しばらく町に滞在するつもりなら、その間だけでも、持っていると安心だと思う。ただ、マルチゴーレムはほとんど夜にしか現れないから、夜間に外出しなければ、鉢合わせる心配もないかもよ」
「なるほど、丁寧にありがとうございます」
お礼を言って、俺は頭を下げる。
マルチゴーレムに出会ったことがないので、
だが、そこからなんとなく、嫌な気配が漂っているのを、認めざるをえなかった。
……きな臭いな。
魔物がグラントリーの札を嫌がることはないはずだが、偽物の札で読んだ≪グラントリーの札としての効果を持たない≫という文言が、どうにも引っかかる。マルチゴーレムだけは例外で、札が有効だとでもいうのか。
マイ=ゲイの戦力では、マルチゴーレムを倒せないのは間違いない。ソーニャが優先とはいえ、俺がいる間に事が起これば、これを無視するわけにもいかないだろう。
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