第38話 俺、魔石を見学する。そして、ワールドで初めての本屋に向かう。

 翌朝、俺はドロシーから何枚かの銀貨ラハモを受け取っていた。魔石の展示を見学した際に、うっかり気に入ってしまった場合に備えての対応だった。


 西親川おやかわの町は、町の中も道幅が非常に狭いため、スザクには留守番をしていてもらう。下手にスザクが動くことで、何かあるといけないからだった。十中八九、軽くスザクが接触しただけでも、家が崩れるだろう。スザクであれば、家々の間を道だと思って破壊しながら進む、ということも被害の視野に入れる必要がある。


 魔石の見学には1人で行ってもよかったのだが、宿屋で過ごすよりは、俺といたほうがマシなんじゃないかと、ドロシーを誘ってみた。しかし、彼女が魔石にほとんど関心を示さなかったので、それならばと、代わりにソーニャに声をかけていた。


「ん、なんだ? 俺に兄貴を守れってか」

「いや、それはどっちでもいいよ」


 逆説的な表現だが、ソーニャはドロシーと互角に戦えるほどの腕前なので、護衛としては文句ないだろう。だが、そのつもりで声をかけたわけじゃない。


 ソーニャとは遅かれ早かれ、王都で別れることになるだろうから、その前にちょっとでも、相手のことを知っておきたくなったんだ。実際に王都に到着してみないと、そのあとのことは分からないが、無事に拳闘士グラディエーターになれれば、ソーニャも自分の道を歩きだすことは間違いない。それを思うと、ソーニャと仲良くなれる時間というのは、俺が思っているよりも短いのだろう。わざわざ、そのために期間を引き延ばすことは、ソーニャの迷惑になるだろうから、しないつもりでいる。だからこそ、彼女とはなるべく積極的に行動を共にしたい。


 宿屋を出て、ソーニャと一緒に町内を歩く。

 もっとも、ソーニャはドロシーよりも魔石について知識がないので、展示にも特段の関心がなさそうだ。ちょっと彼女に気をつかわせてしまったかもしれない。


 さすがに、魔石で潤っている町だけあって、売っているショップというのは、意識して探すまでもなく見つかった。


 店主に、名産品の中でも特に何が有名なのかと尋ねれば、仄爛砑アンバーオリンドという魔石だと答えてくれる。

 仄爛砑アンバーオリンドは地表付近から採掘できる魔石で、橙色をしているのが特徴となる。しかし、同じ色の魔石も数多く産出するので、見分けるのは容易じゃないらしい。


「何かほかに、判別するための方法があるんですか?」

「あるよ。石の表面に触ると、微かに痒みを覚えるんだ。害はないけどね。……触ってみるかい?」

「いいんですか」

「あぁ、構わない」


 うなずいた店主が、カウンターのケースから、握り飯サイズの魔石を取り出してくれる。ごつごつとした石の断面に、俺が恐るおそる指をあてれば、なるほど、店主の説明したとおりだ。僅かだが、痛みとも言えない刺激を感じる。


「ただ、この町で取れるのはほとんど仄爛砑アンバーオリンドだから、あえて俺たちが、触れて確かめるってことはしないんだけどな。量も多いし」


 そう言って、店主は苦笑した。

 面白い体験だったが、これ以上深く知るのは学問的になる。俺の忍耐力では寝るのがオチだろうと、店屋をあとにした。


 そのまま、ぶらぶらと魔石のショップを冷やかしながら、ゆっくりと道なりに進んでいけば、ずいぶんと趣の異なる店舗のそばにまで来ていた。


 ……なんだ、ここは?

 中を覗いてみれば、俺にもすぐにどんな種類の店屋なのか理解できた。だが、そうであるがゆえに、俺は驚いてその場に足を止めてしまう。


 そこは、俺がアナザーワールドに来て初めて目にする、本屋だったのだ。




✿✿✿❀✿✿✿




 ゼンキチが部屋から出ていってすぐに、ドロシーは階下におりていた。宿屋の主人に、ちょっとした道案内をしてもらうためである。


「つかぬことを伺いますが、エオガリアス家の屋敷はこの辺りのものですか?」

「えっ? いや……聞かない名前だね。アネモネ地方に建っているんですかい?」

「そのように教えられたのですが……」


 ドロシーの返事に小首をかしげていた男は、やがて1つの妙案が浮かんだかのように手を叩く。


「んー、だとすると、巴苗はなえの町にあるのやもしれないですね。ここいらで大きな家のある町といったら、あとはそこになるんで」


 たびたび敬語との混じる主人の物腰に、職業柄、強い違和感を覚えたドロシーだったが、どうにか苦笑いを押し隠すと、礼を述べる。


「なるほど、ありがとうございました」


 宿屋からの退出。

 主人にはあぁいったドロシーだったが、発言の内容を全面的に信じたわけではない。1人でも調査を続けようと、くだんのエオガリアス家を求めて、ドロシーは歩き始めた。雇い主に対する過保護さを排してまで、ゼンキチの誘いを断った理由が、ここにあることは言うまでもないだろう。


 渚瑳なぎさの町を出てから――すなわち、アネモネ地方に入ってから、この道程でそれらしき集落とは出会っていない。屋敷を見逃しているとは考えにくかった。


(やっぱり宿屋の言うとおり、ここにはないのか……。元気にしているといいな、ベロニカさん)


 不在を悟ると、まもなくドロシーは部屋へと戻った。




✿✿✿❀✿✿✿




 初めての本屋を前に、俺が興味本位で中を覗いていると、それに気がついた店員が声をかけて来ていた。俺と同様で、ソーニャは書籍なんかに関心がないようで、ここでも店内に入ることをしない。あくまで俺も、稀有けうだと思ったからこそ立ち寄っただけで、本来は活字なんか読まないことは、言わずもがなだ。


「いらっしゃい」


 店員はすこぶる美少年。

 つまり、俺の苦手なタイプである。

 そのまま、流れるようにして、探し物は何かと店員に尋ねられてしまったので、俺は素直に冷やかしであることを伝えていた。


「ごめん、つい珍しくて」

「別にいいと思うよ、それでも。気軽にお店に行けないようじゃ、ますます本への関心が薄れちゃうだろうから」


「……そうだね」


 無邪気に話すイケメンに、俺はうまく返事することができなかった。

 ワールドと違って、本屋がそこら中にあった現代日本でも、俺は書店というショップにまともに入った試しがない。漫画はコンビニで買っていたし、学校で使う朝読あさどく用のラノベは通販だった。


 読書歴はお察し。

 ラノベでさえ、年に数冊も買っていれば頑張ったほうなのに、教養的な文学と親しくしているはずがない。


 世の中に、本を読まない天才はいても、読書家の馬鹿なんかいるわけがないんだ。馬鹿な人は、本を読んでいないと断言できる。ソースは俺。教科書なんて、土台、俺たちに読めるわけがない。


 それを思えば、イケメンの呟いた意見は、文字を読むという行為に、抵抗を覚えない側の弁舌だった。全国民が本を読んでいて、読書しない人間なんか、世の中に1人もいないんだという信念に、イケメンの主張は支えられている。それを悪いことだとまでは思わないけれど、俺という愚者を想定していない発言に、ほんの少しだけ居心地が悪かった。


 ……いや、それとも俺が、変に意識しているだけなのか?

 自分で作ってしまった気まずい沈黙に耐えかね、俺は店員にオススメの本を尋ねる。自分で選ぶほどの目利きはないし、どんなジャンルであっても、あまり好きじゃないので、俺にしてみれば大して変わらなかったのだ。


「それなら、冒険物語が子供から大人まで、幅広い世代で人気だね。特に評判なのは、ドラゴンの子供を助ける物語かな。年寄りの猫から、ドラゴンのことを聞いた男の子が、便利な道具として酷い扱いを受けているドラゴンを助けに、無人島へ向かうっていう物語なの。全部で3部作あるんだけど、どれもが世界的に大人気で、どこのお店でも品切れ状態が続いているんだ。ここに置いてあるのも初めの巻だけだし……」


 聞き覚えのある内容に頭を捻っていれば、やがて俺は1つのタイトルを思い出す。

 たぶん、これ『エルマーのぼうけん』だ。珍しく、俺でも読んでいるやつ。


「その本なら、俺も知っている気がするな。棒つきのキャンディーを使って、わにの背中を渡るやつでしょう?」


「そう! あのシーンいいよね。僕も大好き。そっか、君もこれは読んでいたか。そりゃそうだよね、あまりに有名だもん。……ほかのオススメになると、僕の好みになっちゃんだけど、それでもいい?」


 そう言って、イケメンが1つずつ振り返るようにして、指で本棚をなぞっていく。


「いいよ、全然。むしろ、自分が好きだからっていう理由のほうが、俺も嬉しい」


 為になるからみたいな理由で本を渡されても、俺じゃ子守歌以外の使い道がない。ぶ厚けりゃ、せいぜい枕の代わりくらいにはなるだろうか。


 やがて、イケメンが深緑色の表紙の本を持って、俺のそばに寄っていた。表紙の絵は、たぶん森だろう。


「僕が一番好きなのは、この『ラッシュと魔法の森』かな。自分を魔法使いだと思っている少年ラッシュが、病気で家から出ることのできない少女を励ますために、自分の体験した不思議な出来事を、笑いながら語って聞かせるんだ。その不思議な現象を、どれも自分の魔法によるものだって、ラッシュは言うんだけど、実際におかしなことを引き起こしているのは、ラッシュじゃなくて魔法の森。少女もそのことを分かっていて、ラッシュの話に面白おかしくつきあってあげるの」


 よっぽどイケメンはこの物語が好きなようで、嬉々として語る目が、恋でもしているかのように、きらきらとした光を帯びている。


「へぇ……コメディ?」

「そうだね」

「どういう感じの終わりなの?」


 一瞬、イケメンが残念そうに眉を寄せる。自分で読まずに結末を知ってしまうことに、少なからず、いい印象を持っていないのだろう。


「気にしない?」

「うん。俺、ネタバレされていても、楽しめるタイプの人間だから」

「そっか。……少女を笑わせるために、ラッシュは毎日魔法の森に向かうんだけど、いつの日かラッシュは、自分に魔法を扱える力なんてものが、初めからなかったことに気がついてしまうんだ。偉大な冒険をしているつもりだったラッシュは、どうしようかとすごく迷う。冒険を続けるべきか、それともやめるべきか。でも結局、少女が笑ってくれるのであれば、魔法を使っているのが、自分かどうかなんて関係ないと思って、再び魔法の森に入っていくの。これがエンディングだね。……憧れちゃうな。できないことが分かっていても、女の子のためにやってあげるなんて、恰好いいよね」


 本を両手で抱きしめながらイケメンが話すので、思わず、俺は苦笑しながら応じていた。


「君は真似しなくてもいいと思うよ。だってほら、イケメンが恰好いいことをしちゃうと、色んな人の立つ瀬がなくなっちゃうからさ」


 茶化すような俺の返事は、あまり気に染まなかったようで、イケメンがじろりんちょと俺を睨む。


「嬉しくないな、それは。……ただ、本の内容に話を戻すと、このエンディングは第2版のものなんだ」


「初版があるんだ?」

「うん。内容がちょっと違うの。初版の場合は、少女の病気はどうにか治るんだけど、代わりに、今度はラッシュが森に入ったっきり、二度と帰って来なくなる。あんまりいい結末じゃないでしょう? そういうわけだから、市場に出回っているのは2版のほうなの。この作者……モルガーナさんっていうんだけど、彼女の作品は、こんな感じに物語の最後で、主人公が亡くなってしまう話が非常に多くて、普及しているものはどれも、ほかの人が手を加えた第2版なんだよ。こっちの『星とリリーの約束』もそうだね」


 本棚から、また別の書籍を取り出して、イケメンが俺に説明してくれる。


「そっちはどういう内容?」

「残念ながら、僕はまだ初版を読んだことがないんだけど、第2版はこんな感じ。少女リリーが夜空を見上げていると、突然、空から星がって来る。見る間に、星はどんどんと地上に落ちてしまって、ついには町の空から1つも星がなくなってしまうんだ。驚いたリリーは、星を探して、落下していった場所に歩いていく。すると、そこには星の精霊がいて、この町にはもういられないとリリーに告げるの。困ったリリーは、星たちの願いをかなえることを約束し、空に戻ってくれるように頼む。それから、2人は冒険をして、最後には町の空に無事、星が戻って来るっていうお話なんだけど……」


「たぶん、リリーは死んじゃうんだね」

「そうだね。やっぱり、初版だとリリーは亡くなっちゃうんだと思う。世の中には第2版しか出回っていないから、リリーはそのあとも町で幸せに暮らすし、こっちもかなりの人気作品なんだけどね」


 そう言ってイケメンが、指先で本の表紙に触れる。物語の世界にしか存在していないリリーに、思いをせているかのようだ。


 ……いや、さっき言っていた作者のほうか。


「ふ~ん。面白そうだから買うよ、両方とも」


 俺の発言にイケメンが目を丸くする。

 まさか購入の意思があるとは思わなかったようだ。内容を知ったばかりだし、そう考えるのも無理はない。


 ……でも実際、ネタバレされても俺は楽しめるからな。

 みんながみんな結果だけを知りたいなら、誰もスタジアムで、スポーツ観戦なんかしないと思うのだが、それとはまた事情が違うのだろうか。難しいことは、俺にはさっぱり分からん。


「えっ、大丈夫? いいの? 本って結構、高いよ?」

「マジで? 俺、今、銀貨ラハモが7枚しかないんだけど、これで足りる?」

「うん。それだけあれば買えるよ。……君ってお金持ちだったんだね」


 勘定としては、銀貨ラハモ4枚を渡してお釣りが来る程度の値段だった。ワールドの物価がよく分かっていないので、日本円との具体的な為替はまるで不明だが、それなりの高級品であることは違いないようだ。


 店員が見繕みつくろってくれた書籍を、しかと俺は受け取る。直後に本の表紙を眺めてみたが、やはりなんて書いてあるのかは全く読めなかった。俺はこの世界の文字を知らないからだ。


 ……まぁ、絵画『海』の作者を尋ねた際に、これは分かっていたことだしな。

 別に、俺は何も気にしていない。近日中に死ぬわけでもないだろうし、この世界の識字とは、気長につきあっていけばいいだろう。


 ややあってから、イケメンが別の店員に呼ばれる。


「ヌザリーマ、ちょっと来てくれ」


 駆けていくイケメンの後ろから様子を窺えば、どうやら在庫の位置を失念してしまったらしい。それで、イケメンの店員に場所を聞いたようだ。


「今のは店長?」


 俺の質問にヌザリーマが苦笑する。


「そうだね、ヤノビッツさん」

「店のオーナーから頼りにされているなんて、すごいね」


 俺は正直な感想を述べたつもりだったのだが、ヌザリーマのほうは、それを自分の実力だとは思っていないようで、あまり喜んではいなかった。


「どうだろう……これは僕の趣味みたいなものだから」


 俺たちが他愛もない会話を続けていると、店内に人が入って来る。ソーニャが待ちくたびれたのかと思ったのだが、全くの別人だ。男の放つ物々しい雰囲気に、俺はちょっとびびった。


「キッシンジャーさん? どうして、こちらに……」


 イケメンの知り合いのようで、ヌザリーマと目が合うと、男は少しだけ相好を崩す。


「ヌザリーマか、ちょうどよかった。そなたを探していたんだ。悪いが、少しついて来てくれないか? ⦅アネモネの大洞窟⦆の地図が、役立っていないんだ」


 いったいなんのことだと、俺とヌザリーマが顔を見合わせる。

 だが、旅人である俺の顔を向いたところで、なんの意味もないことに気がつくと、まもなくヌザリーマが、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめていた。




*脚注

 『エルマーのぼうけん』は実際にある本で、福音館書店より発売されています。一方、『ラッシュと魔法の森』と『星とリリーの約束』は、私による創作で実在しません。

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