第36話 俺、新たにソーニャを仲間として迎える。

 日が落ち、夜になると、会場は一気に舞踏祭の雰囲気を漂わせ始めた。

 半ば予定調和的に優勝を逃したスザクだが、彼女自身は、さほど賞品に興味がなかったようで、手にできなかったことを悔やんでいない様子だ。金貨シルガを積んで買えそうなものなら、代替品をあげようかと思っていたのだが、その必要もないらしい。


 優勝したブルーノへの景品は、なんと一軒家。ブルーノのために、町民が協力して、新しく建ててくれるらしい。参加者を、地元民に限定しているからこその賞品に、思わず、俺も感心してうなずいてしまう。


 壇上に呼ばれたブルーノが、少し長めの赤い髪を恥ずかしそうに揺らしながら、階段を登っていく。壇の中央にまで、ブルーノが歩いたのを見計らって、司会の女が、優勝者としてのコメントをもらおうと話しかけていた。


「ブルーノ選手、優勝おめでとうございます!」

「ありがとうございます」


 声を発したことで緊張がやわらいだのか、魔動具に口を向けるブルーノの表情は硬くなく、司会に対してにこやかに応じていた。


「今の気持ちはどうですか?」

「このような由緒正しき大会で、結果を残せたことに誇りを感じています」

「ありがとうございます。優勝した喜びを伝えたい方は、いますでしょうか?」

「少しお時間をもらってもいいですか?」


 思いもよらない返答に、司会の女はきょとんとしていたが、まもなく、その手に持っていた魔動具を、ブルーノに手渡していた。


「ナタリア! 前に出て来てくれ」


 ざわめく会場。

 今から、一世一代の告白が始まるのだという予感に、その場にいた者たち全員が、観光客を含めて浮き足立つ。


 おのずと注目も膨大なので、ブルーノの呼びかけに対して、応えないのではないかと思ったのだが、ほどなくして、1人の女が、おずおずと舞台のほうに近づいていった。


 彼女がナタリアなのだろう。

 紺色の髪の女を認めたブルーノが、さらに言葉を繋げていた。


「ナタリア! 約束だ。俺は優勝してみせた。今度は君が約束を守る番だ。俺と結婚してくれ!」


 悲鳴に近い歓声が方々から上がる。これだけの観衆を前に言い切った胆力は、並大抵のものじゃない。


「へー。そんな約束があったんですねー。全く気がつきませんでしたー」


 白々しくドロシーが棒読みで告げる。

 焚火たきびのところでは、ドロシーも俺と一緒にいたのだから、ブルーノたちの会話を耳にしていないはずがない。まさかプロポーズをするつもりであったとは、男女の機微に疎い俺では予想できなかったが、ドロシーにあってはそうじゃないだろう。承知していたはずだ。


「いえいえ、私は本当に、ブルーノさんが優勝することで、2人の会話が弾めばいいなと思っただけですよ」


 俺が半眼でドロシーを見やれば、そんなふうにいけしゃあしゃあと答えていた。

 まぁ、別に意地悪をして、スザクに勝たせるほどのことでもないので、俺は1度肩を竦めただけで、それ以上は追及しない。相手が俺と無関係だったとしても、結果的に女が喜ぶのであれば、どんな事柄であっても歓迎するべきだ。


 ナタリアの返事なんて聞くまでもない。昨日の2人の雰囲気を見れば、こんなものはただの様式美でしかなかった。


 頬どころか、耳元まで真っ赤に染めたナタリアが、両手で口元を押さえながら、こくりと静かにうなずく。あとはもうせきを切ったように、祝福の声が、いたるところから飛んで来ていた。


 そんな光景を感激したと言わんばかりに、酷く心を打たれた様子で、じっと見つめている子供がいる。


 ネイサンだ。

 大げさに腕を広げたネイサンが、まるで天啓でも与えられたかのように叫んでいた。


「これだ!」


 この2人から何を学んだのかは明瞭だった。

 違う……違うぞ、ネイサン。それは違う。

 自分に対して、好意のない相手へのアプローチというのは、もっと慎重にやらないといけない。慎重に慎重を重ねて慎重を期した挙句、何もしなったのがこの俺だ。……贅沢は言わない。誰か、俺に優しい言葉をかけてくれ。


 なんだか切なくなって来たので、気を紛らわそうと周りを見れば、視界の端に、ペロペロキャンディーを販売している屋台が映った。


「スザク、飴を売っているみたいだよ?」


 そう言って、南側を指させば、俺の背後に控えていたスザクが、意外にも、あまり興味なさそうにうなずいていた。


「……本当ですね。しかし、私はあのナッツが気に入りました」


 森林ツアーで食べて、参加者をドン引きさせたときのやつだろう。


「あぁ、イアーモンドの殻ね。ごめん、スザク……あれ、食べ物じゃないよ?」

「……えっ?」


 イアーモンドの種子自体は簡単に取り出せたが、それを覆っている果肉の部分は、ドロシーでも壊せなかったほどの頑強さだ。滅多にお目にかかれないカチカチの食料に、よほど随喜していたのか、放心したスザクが目を泳がせて立ち止まっている。


 見ているこっちが心配になるほどの狼狽っぷりに、俺は慌てて、スザクを励ますべく何本もの飴を買った。


「た、食べ物じゃなくても、お腹を壊さないなら、少しくらいは食べても大丈夫だと思うよ」


 とっさに気休めの言葉をかけるも、まもなくスザクはかぶりを振る。


「いえ……やめておきます。護衛の仕事が1番ですから」


 音楽が流れだし、町民たちが踊り始める。

 雪乃ゆきのの町と違って、目に見えてカップルが多いのは、渚瑳なぎさの町に観光として訪れている男女が、それだけたくさんいるからだろう。


 民族衣装を身にまとった踊り子たち。

 派手ではなく、セクシーとはほど遠い服装だが、男のごつごつとした輪郭とは異なる曲線と、透きとおるような美しい長髪が、嫌でも相手を異性だと意識させられる。


 ……水着はほとんど見られなかったが、これは相当な眼福だな。

 時間が溶けていく。

 見ているだけで、心臓のあたりが温かくなるような、そんな幸せな気持ちになれる。

 気がついたら2時間も経っていて、後夜祭なんかとっくに終わっていた。……おかしい。瞬きしかしていないはずなのに、8人くらいしか女の顔を覚えていない。なんで2人とも、俺を起こしてくれなかったんだろう?


 理由は明白だった。

 踊り子たちに、鼻の下を伸ばしていたからだ。







 翌日、俺はドラ=グラの成員に、スケルトンライダーとの交渉を持ちかけていた。すなわち、渚瑳なぎさの町がパンを提供する代わりに、漁獲中の護衛を、スケルトンライダーに頼むというものだ。


 耳を疑うようにして、俺の話を聞いていたマッドレルだが、町に残っていたタナカにも意見を聞いてみると、先方が非常に乗り気であったため、試験的に運用してみる方向で合意になった。


 これにて名実ともに、新島にいじま忘島ぼうとうの件は落着だ。

 それ以外のすべきことといえば、ソーニャのほうの問題があるだろうか。

 大雑把な性格をしているので、すでに立ちなおっている可能性もあるが、ソーニャが優勝に何を望んでいたのかは、ちょっとばかし気がかりだ。彼女との出会いは中々どうして悲惨なものだったが、終わってみれば、ソーニャによくしてもらったことのほうが多い。お礼がてら、申し訳程度の物品を贈ろうと考えたのだ。


 ソーニャを探す。

 住んでいる家を知らないので、会うためには直接見つけるしかないが、観光客が多すぎるので、真正面からでは不可能だ。世界攻略指南ザ・ゴールデンブックを発動して対応する。


 ソーニャと最後に出会ったのは、昨日の朝方。すでに、≪直近で出会った人≫というスキルの条件から、外れてしまっているんじゃないかと不安になったが、ぎりぎり制限時間内だったようで、ソーニャはすぐに見つかった。


 挨拶もほどほどに、どんなものを賞品として期待していたのかを、俺は彼女に尋ねる。

 答えは単純明快だった。


金貨シルガだよ」

金貨シルガ?」


 予想だにしていなかった答えに、俺はオウム返しをしていた。

 現金は大事だ。俺だってワールドに来て、一番最初に望んだのが金だった。

 だから、その考えがおかしいとまでは思わないが、なんだかソーニャらしくない気がしたのだ。

 もちろん、個人的な好みの話をすれば、女には、あんまり経済面でがつがつしていて欲しくない。それが俺の劣等感――つまり、自分の稼ぎじゃ女を満足させられないかもという、不安から来ているものであることは、疑いようがないだろう。いくら俺が現役の高校生だからって、将来の恋愛に対してそのくらいの心配は抱くし、そうであるからこそ、今の手持ちであれば問題ないと分かっているのだが、それでも必要以上に執着していて欲しくはない。


 ……なんだろう。言い換えれば、女の家事の方法に文句をつけている男がいたら、ちょっと鬱陶しいよねみたいな感じだよ。


 俺の返事に、ソーニャがうなずいて言葉を繋げる。


「あぁ、俺には金が必要なんだ……」


 深刻な表情で話しているので、贅沢な暮らしがしたいなどといった、一般的な動機から望んでいるわけではないようだ。


「具体的にいくらとか決まっているの?」

「8000金貨シルガだな」


 払えないほどじゃないが、身構えていた金額よりはやや大きい。

 平均的な金銭感覚を持っているドロシーは、心底呆れたと言わんばかりに、露骨にため息をついていた。


「そんな大金、賞品になるわけがないじゃないですか。馬鹿なんですか?」

「うるせぇ! 毎年、ちょびっとは金貨シルガが出ていたんだよ。なのに、今年は新居だなんて聞いてねぇぞ……」


 どのみち謝礼として、いくらかの金貨シルガを譲るつもりではいるが、その前に欲しがる理由を知っておきたい。具体的な金貨シルガの枚数は、それを聞いてから判断すればいいだろう。客観的に、ソーニャの人生に大きく関わるものならば、それこそ手持ちの全部をあげたって、俺は一向に構わない。今からスザクの手を借りて、⦅海底神殿⦆に乗りこめばいいだけだ。均分転移イクオリティーのことは、そのあとでじっくりと考えればいい。……俺の頭じゃ、100年かかっても名案は浮かばなそうなので、最悪はドロシーに任せるパターンかな?


「結構な金額だね。使い道を聞いてみてもいい?」

「おう。目指している職業に必要なんだ。拳闘士グラディエーターになるためには、それだけの金がいる」


 ソーニャの発言に、ドロシーが反応を示す。


「あぁ……。私の村にも、拳闘士グラディエーターを志していた子がいましたよ」


 思わぬ言動に、ソーニャがぱあっと顔を明るくしていた。


「マジか! そいつはどうしたんだ?」

「さぁ? たしか、1人で王都のほうに向かったと記憶していますが、連絡もないですし、途中で死んだんじゃないですか?」


 さすがはドロシーだ。同郷の人間に対してもドライすぎる。

 もうちょい温かみのある女の子だった気がしたのだが、よく考えたら、ドロシーは、平気で子供を蹴り飛ばすような人間だった。……まぁ、あれはクソガキのほうが悪いんだけど。


「それにしても、まさか拳闘士グラディエーターが、そんなにお金のかかる仕事だったなんて、知りませんでしたよ」

「認定のための大会に、飛び入りで参加する形だと、それだけの金がいるんだ。名門の出自とかなら、もっと安くなるはずだぜ。家柄で勝負できないやつは、パトロンを得られるかどうかっていうのが、実力を測る1つのバロメーターになっているのさ」


 ……なるほどね。

 いったいどうするつもりなのかと、ドロシーが目配せで俺に問う。ソーニャの性格はドロシーも承知しているので、発言の真偽を疑うそぶりはない。状況的に、俺も世界攻略指南ザ・ゴールデンブックを使えてはいないのだが、うそはついていないだろうと感じていた。俺からの謝礼金を目あてに、こんな行動をしていたのだとしたら、いくらなんでも色々と回りくどすぎるだろう。


 ……まぁ、手持ちに余裕はあるし、構わないか。

 俺はドロシーに対して首肯し、彼女に金貨シルガの袋を取り出すよう合図していた。


「う~ん、8000金貨シルガでいいなら俺が持つよ。祭りの出場枠を譲ってくれたことへの、感謝ってことでさ」


 大食衣嚢グラットンポケットを発動したドロシーが、大量の金貨シルガをソーニャに見せつける。もっとも、この場で渡すと、ソーニャ側での保管が面倒になるだけなので、あくまでも所持していることを示すだけだ。


 途端にソーニャが俺の手を握って、ぶんぶんと振り回しながら大げさに喜ぶ。


「マジか! パトロンになってくれるのか! どこまででもお前についていく。兄貴と呼ばせてくれ!」


 成人男性以上の運動性能を持つ、ソーニャに体を揺すぶられ、俺は目が回りそうだった。そんなテンションの高いソーニャのことを、ドロシーが冷ややかに見つめる。


「よかったじゃないですか、ご主人様。素敵な妹ができて」


 ……どの口が言ってんだ、マジで。

 互いの実力を認めこそしたものの、ドロシーはどちらかというと、ソーニャを苦手としているだろうと、内心で俺は毒づく。それに、俺としてもこんな男勝りな妹が、そうそう世の中にいてもらいたくはない。俺の理想とする妹は、自分を「兄さん」って呼んで慕ってくれる、清楚で優秀な妹だ。


 ふと、これまでの会話に入って来られなかった、スザクのほうを見れば、彼女は真剣な面持ちで、ドロシーの腰元に熱視線を送っていた。


(……あれ? またもやっとするかと思ったのに、この少女では何も感じなかったな。もしかして、少年じゃなくて、こっちの少女だったのか)


 そして、何を思ったのか、急にドロシーのことを抱えて、ひょいと持ちあげていた。ちょうど、親が子供に高いたかいをしているかのようだ。


「えっ、スザクさん!? ちょっと、やめてください。恥ずかしいです! なんなんですか、急に」


 珍しくドロシーが慌てた様子でスザクを睨む。言葉とは裏腹に、ドロシーは全く恥ずかしがっていなかったのだが、一昨日から続くスザクの突拍子もない言動に、俺もとまどいを隠せなかった。


(……? ダメだ、別に何も感じない……。気のせいなのか? うーん……やっぱり私は考えるのが苦手だ)


 まもなく、何事もなかったように、スザクがドロシーを地面におろす。

 少々、スザクに接近するのが怖かったのだが、声をかけずにはいられないと、俺は勇気を振り絞った。


「えっと……スザク。大丈夫? この前から、ちょっと変だよ?」


 不安げに彼女の顔を見上げれば、口角を僅かに持ちあげたスザクが、奥ゆかしい微笑を浮かべながら、俺のことをまじまじと見返していた。その表情があまりに美しくて、俺は全然似合っていないと思ってしまった。だって、動く災害のスザクだよ?


「いえ……もう大丈夫だと思います。ご迷惑をおかけしました」

「そっか。それなら、よかったよ」


 話を本筋に戻すべく、俺はソーニャに向きなおる。


拳闘士グラディエーターになるための大会はさ、どこで開かれるの?」

「王都だな」


 ちらりとドロシーに視線を向けるが、彼女は是非が分からないと言いたげに、首を横に振っていた。俺としては、場所を尋ねたつもりだったのだが、仕方ない。どのみち、ネモフィラ地方を離れることになるので、もうすぐドロシーの土地勘は望めなくなるだろう。


「どっちへ行けばいい?」

「俺も詳しくは知らねぇが、普通は西親川おやかわの町から向かうんじゃねぇか。兄貴に案内が必要だってんなら、俺が先導するぜ?」


「うん。お願い」


 渚瑳なぎさの町はもう十分に堪能できただろう。エルシーの困り事も解決できたし、満足のいく結果だ。

 向かうは、アネモネ地方。

 俺にとって、全く新しい地域となる場所だった。

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