第35話(後編) 俺、ボートレースを鑑賞する。

 このレースのルールは、すこぶるシンプルだ。

 1人用の船に乗って、かいいでゴールを目指す。コースとしては、大きく南に進んで、⦅風の回廊⦆のほうに向かう。ここで目にする大岩を、折り返し地点として回頭。再び浜辺に戻って来ればゴールだ。コースの全容からも分かるとおり、かなりの距離を手動で航することになる。


 この種目が祭り最大のイベントとなるので、俺もスザクを応援するべく、ドロシーと共に浜辺に残っていた。


 やがて発される出航の合図。

 ロケットスタートを決めたスザクが、前にいるオーズリーを船ごと吹き飛ばした。

 比喩ではない。

 オーズリーの船は、全壊した状態で、頭上2mくらいの高さまで浮きあがっていたのだ。オーズリー本人がどうなったのかは、いまひとつ不明瞭ではあったが、船を壊すなどして進めなくなった場合には、失格の扱いとなるらしい。たとえ本人が無事であったとしても、大会のルールに照らせば、退場の判定を食らうことだろう。


 残念だが、動力を人力に頼ったレースにおいて、ほかの選手たちに勝ち目はない。スザクに負ける理由がないからだ。


 猛烈な波濤はとうを生みだしながら進むスザクは、あっという間に豆粒サイズになってしまい、レースの状況が解説だよりとなった。


 ……やっぱり応援する意味がなかったのか。全然見えねぇし。


「おぉっと、ここでスザク選手にアクシデントです。どうやら、魔物に襲われている模様! ……あれはプチクラーケンでしょうか? 魔物討伐協会が定めるランクでは、B-に区分されている危険なモンスターです。人の足ほどもある巨大な触手が、容赦なくスザク選手の船を襲います」


 サトウの実況に対して、ドロシーがぎょっとしたように独り言ちる。


「結構、強力な魔物がいるんですね……」

「あぁ、うん。海の向こうに、⦅海底神殿⦆っていう魔物の巣があるんだよ。たぶん、そのせいだね」


 ……そっか。水着ギャルが1人もいないのは、ここの海に魔物がいて、水の中に入れないことを知っていたからか。なるほどね。


 ドロシーの一瞥。

 何か言いたげに俺のことを見ていたので、俺が心の中でひそかに、観光客の水着姿を楽しみにしていたことが、彼女にてしまったかもしれない。


(町の名所を知らなかったのに、こういうことには詳しいんだ……)


 海域に、邪法を使って来る魔物が棲息しているとなると、レースにも相当な危険が伴うことになる。そう思って辺りを見回せば、運営側もきちんと対策をしているらしく、後ろのほうにドラ=グラが控えていた。必要とあらば、いつでも選手を救出できるようにしてあるのだ。


 もっとも、スザクにあってはその心配もない。スザクを心配しなきゃいけないときというのは、渚瑳なぎさの町はおろか、ネモフィラ地方さえもが、地図から失われるときを意味している。そんなもの、危惧すること自体が愚かだ。


「倒しに行くんですか?」


 ドロシーがなんでもないふうに俺に尋ねる。

 ⦅海底神殿⦆のことを言っているのだろう。

 俺は以前、ドロシーの前で、この世界からすべての魔物を殺すと豪語したので、それを踏まえての台詞に違いない。


「……いや、今はまだいい」


 ⦅海底神殿⦆は難攻不落のダンジョンだ。並みの戦力では歯が立たない。

 それでも、スザクさえいればどうにでもなるのだろうが、町に主だった被害が出ていない以上、喫緊の課題ではないはずだ。均分転移イクオリティーの存在を思うと、手を出すためにはそれなりの準備がいる。念のために言えば、スザクの強さがバグっているだけで、冗談抜きで激やばのダンジョンにあたる。俺が100万人いても倒せない……これは誰が相手でも一緒か。なぜ?


 閑話休題。

 それに……おかげで、スケルトンライダーたちの使い道にも、気がつくことができた。

 スケルトンライダーに残されていた農業問題について、俺はすっかりとその存在を忘れていたのだが、プチクラーケンの登場は、それを思い出すきっかけになった。まさか、モンスターたちが、祭りの期間しか出没しないわけじゃあるまい。渚瑳なぎさのボートレースが、日常の延長線上に位置づけられている以上、漁場とモンスターの海域は、同じ範囲に含まれていることになる。邪法がモンスターにも有効かどうかは、あとで世界攻略指南ザ・ゴールデンブックで確かめないといけないが、タナカたちを漁師の護衛として用いることも、差しつかえなくできるはずだ。端的に言えば、タナカたちを冒険者として雇えばいい。その報酬がパンだ。これならば、長期に渡る友好的な関係が望める。


 再びの実況。


「この競技からは、ドラ=グラのマッドレルさんにも、解説として加わっていただいております。わたくしサトウでは説明できない、魔物の生態などについて、お話を伺えればと思っております。早速ですが、マッドレルさん。実際のところ、プチクラーケンというのは、個人で対処できるような魔物なのでしょうか?」


 サトウが神妙な面持ちで、横に座る男の顔を見る。

 マッドレルと呼ばれた金髪の青年は、力強く首を横に振っていた。


「それは無謀ですね。絶対にやめてください。今回は我々ドラ=グラが待機していますので、観客のみなさんに害が及ぶことはありません。もちろん、ボートレースという競技の性質を鑑みて、選手の方々が少々の困難に見舞われても、即座に救援に向かうことはいたしませんが、一般市民のみなさんが、プチクラーケンと遭遇してしまった場合には、どんな状況であっても必ず逃げてください」


「なるほど、非常に危険な魔物というわけですね。しかし、プチクラーケンのどこが、いったいそんなにも危険なのでしょうか? 体のサイズこそ大きいですが、軟体動物に似た姿ということで、素人の目には可愛かわいいようにも見えます」


 彼我の距離が大きいので、見かけのサイズこそ小ぶりだが、どう考えたって愛でるようなモンスターじゃない。マッドレルから、続きの説明を引き出すための無駄口だとは思うが、俺には、サトウがドロシーに近い感性を、持っているような気がしてならなかった。


 半眼でドロシーのことを見やれば、俺が何を言いたいのか悟ったらしく、ドロシーが唖然たる面持ちで俺に言葉を返す。


「ん? なんですか、ご主人様もプチクラーケンと遊びたいんですか? 今すぐ連れていってあげますよ。さぁ、遠慮しないで」


「ごめんって、ちょっと思っただけだよ」


 慌てて、俺は誠心誠意ドロシーに謝罪する。俺の服の裾を引っぱり始めていたので、彼女なりの悪ふざけなのかどうかも、いまいちよく分からなくて、めちゃくちゃ怖かった。


「あんなものを、可愛かわいいと思うわけがないじゃないですか。ご主人様の美的センスは、どうなっているんですか?」


 ドロシーの顔を可愛かわいいと思うくらいには、狂っているかも――なんて、軽口を続けようかと思ったのだが、存外洒落しゃれにならなそうなので思いなおす。


 その間にも、マッドレルによる補説が披露されていた。


「なんといっても脅威なのは、あの触手ですね。その特徴的な触手から、この魔物はプチクラーケンと呼ばれているわけなんですが、これらの触手は実のところ、魔物の本体とは関係がないんです」


「本体ではない? そう言いますと……」

「すべてが邪法なんですね。プチクラーケンの本体というのは、私もまだ目にしたことがないのですが、触手は邪法によって生みだされているものですので、いくら攻撃しても意味がありません。作りなおせばいいだけなので、プチクラーケンにしてみればノーダメージです。しかし、向こうは触手を自由自在に動かして、こちらを攻撃することができます。プチクラーケン本人は、いつも安全なところに潜んでいますから、一方的に人間を攻撃し放題というわけです。これが陸上での戦いであれば、我々にもやりようはあるのですが、あいにくと相手は海の中にいるモンスター。海中を隈なく探し、魔物の本体を見つけ出して叩く、という手法が取れないんですよ」


 さすがは、魔物退治にも造詣ぞうけいが深いドラ=グラだ。説明が分かりやすいし、何よりも現実的な対抗策になっている。学問的な話をされたら、俺は寝てしまっただろうから、その意味でも助かった。


「なるほど……。おっと、どうやらここでスザク選手の状況に、変化があったようです。あれは……素手でしょうか? なんと、スザク選手、プチクラーケンを次々と、自分の拳で殴りつけております!」


 すかさず、マッドレルが否定的な感想を漏らす。スザクの運動性能を知らないのだから、それも当然といえた。


「いやぁ、無茶ですね。彼女は、あの触手が邪法によって出現しているものだということを、知らないのでしょう。あれではプチクラーケンのいい餌食です。この競技では、魔物に対する知見も、おのずと勝敗の鍵を握る要素となります。てっきり、スザク選手はプチクラーケンの性質を知っていて、うまく逃げるのではないかと期待していたのですが、残念です。私もそろそろ部下に対して救助の命令を――」


 したり顔で解説を続けるマッドレルの横で、実況のサトウが声を荒らげる。


「どうやらスザク選手が、無事にプチクラーケンの群れから脱出したようです!」

「何っ!?」

「場内からも驚きの声と共に、盛大な拍手が送られています! まもなく、スザク選手が大岩をUターンしました。あぁっと、またもスザク選手にアクシデントです! 今度はどういうことでしょうか? わたくしの目には、スザク選手の船が突然、沈み始めたようにも見えるのですが、あの辺りに座礁するほどの岩場があったでしょうか? なかったのではないかと、記憶していますが……」


 一度は体裁を失ったマッドレルだが、挽回のチャンスが来た。心なしか声が弾んでいるので、スザクが順調に進めていないことを、喜んでいるようにも思える。


「恐らく、マーキュリーマーメイドの仕業でしょう。この魔物は、航行している船を泥に変えてしまうという、凶悪な邪法を使用します。マーキュリーマーメイドに鉢合わせるとは、スザク選手もついていない。非常に好成績でしたが、こうなってはもうリタイアは必至でしょうね。さすがに今回ばかりは、私も救助に向かいたいと――」


「どうやらスザク選手、そのマーキュリーマーメイドを倒した模様です!」

「えぇ……どうやって……」


 マッドレルが泣きそうな顔で頭を抱えていた。

 なんともまぁ、ドラ=グラにとっては嘆きの対象だが、スザクは剣を使わずとも、束になったブロンズデーモンを倒せるほどの実力者だ。ゾウの突進を前に、いくら蟻が立ち塞がったところで、それを阻める道理はない。


「マーキュリーマーメイドが倒れたことで、泥に変わってしまった船の状態も、元に戻った様子です。いくらか船底に穴がいていることと思われますが、スザク選手の動きは、それをまるで感じさせない華麗なもの! おぉっと、わたくしとしたことが、スザク選手に夢中で、ほかの選手たちの現況に触れるのを、ついつい失念しておりました。えぇ、ただ今の情報によりますと、後続の選手の多くが、スザク選手のすさまじいスタートに巻きこまれており、すでに船からドロップアウト。失格の判定をもらっているとのことです。さぁ今、スザク選手が1着でゴールしました! 圧倒的な速さ。文句なしの大会新記録です! 未来永劫、この記録を塗り替える者は、現れないと断言しましょう」


 予想どおり、結果はスザクの独擅場となった。

 よそ者のスザクが、芳しい成績を残したことで、地元民は面白く思っていないんじゃないかと、少し不安になったのだが、俺の心配に反して、会場は大いに盛りあがっている。少なからず、不愉快にはなっただろうが、スザクのパフォーマンスが、そんな悪感情をかすませるほどの出来だったため、かえって、場内に熱気がみなぎっていたのだ。


 もっとも、ロケットスタートで吹き飛ばされたのは、選手の全員ではなかったらしい。赤髪の男が、しれっと2着でゴールしていた。


 どことなく見覚えがあったので、探るようにじろじろと視線を送っていると、実況のサトウから、男がブルーノという名前であることを教えられる。


 そこで俺も合点がいった。

 ……こいつ、あの焚火たきびのところでイチャついていた野郎だ。

 もしも自分が優勝したらどうのこうのと、話していたような覚えがあるが、俺としては知ったことじゃない。応援してやってもいいが、縁のない人間にまで構っていられるほど、この世界は平和じゃないはずだ。俺の限られたマンパワーは――といっても、ほとんどスザクなんだけど――、魔物を殺すことに向けるべきだ。


 ……それに、外野が何をせずとも、あの様子じゃ女とうまくいくだろうしな。

 再びボーナスチャンスが始まる。

 もはやスザクの順位は不動だろうと、俺は特に参加しなかった。

 第4問、海鮮山鮮うみせんやませんの店主の名前は? 答え、レイモンド。

 第5問、新島にいじま渚瑳なぎさの飼っていたペットの名前は? 答え、ズ・グヌンバ・ペペ。

 気になっているやつなどいないだろうが、以上が問題とその正答だ。ん? 問題は全部で6題あったはずだろうって? 鋭いな。悪いが、屋台で店番をしている人の中に、水着を着ている女を見つけちゃったので、そっちに夢中で聞いていなかった。ワンピース型の水着で、露出こそ少なめだったが、ちらりと覗く素足にドキドキせざるをえない。


 クイズが終わっても全体の順位に変動はなく、スザクは1位のままだ。優勝は間違いない。

 だが、そこでブルーノの姿を認めたドロシーが、俺に提案をしていたのだ。


「あの青年に勝ちを譲ってあげませんか?」


 思いもよらない台詞だった。


「……。ドロシーはもっとクールな子だと思っていたよ」


 正直な話、ドロシーは恋愛と無縁だと思っていたので、ちょっと調子が狂ってしまう。100%殴られるだろうから、乙女な部分もあったのねなんて、茶化すことはしない。照れ隠しにしては割に合わない、本気のパンチが飛んで来そうだからだ。


 ドロシーが目線を僅かに下げ、俺の顔を見つめると、幼子に説き明かすような口調で、穏やかに語り始める。特段、説明していなかったかもしれないが、ドロシーのほうが俺よりも少し背が高い。


「だって、いつ会えなくなるのかなんて、家族にも分からないんですから。せめて、慕いあっている間くらい、一緒にいて欲しいじゃないですか」


 それがドロシーの両親を示唆しているのだということは、俺にもすぐに理解できた。ドロシーをからかおうなどと思っていた自分が、ちょっと恥ずかしい。程度こそ軽いものだが、純粋な自己嫌悪に俺は陥っていた。


「ブライアンさんのことか」

「……はい。母が、なぜあんなろくでもない人と、結婚までしちゃったのかは分かりませんが、それでも、してもいいと考えられるだけの、大きな理由があったからこそ、結ばれたんだと思うんです。あまりその話題に触れたことがないので、母が亡くなったことについて、父がどう思っているのかは分かりませんけれど、死に別れていない恋人たちには、なるべく連れ立っていて欲しいんです。……応援してあげても、いいんじゃないですか?」


 いくら身内で遠慮しなくてもいいとはいえ、自分の父親に対する評価があんまりで、俺は少しだけブライアンのことを憐れんだ。でも悲しいかな、たぶん正確な位取くらいどりなんだよな。残念だけど、ブライアンは俺と同じダメ男だろう。それを思えば、何か裏があったのではないかとも勘ぐってしまう。それこそ、身分を偽るためなどと邪推するのは、さすがにブライアンとドロシーの御母堂ごぼどうに失礼だろうか。


 ドロシーの意向に従って、勝ちを譲るということに異存はない。

 ソーニャが狙っていたという、賞品の中身こそ気になるものの、優勝の景品は、やはり地元民が手に入れるべきだと俺も思うからだ。本来、部外者は祭りに参加できないはずだしね。


 だが、スザクの順位は、すでにほかの参加者を圧倒している。今さらどうにもできないんじゃないかと思ったのだが、グッドタイミングで、好都合のアナウンスが流れだしていた。


「とうとう祭りの競技も、最後の種目となりました。この競技に勝った選手が、えある優勝を手にすることになります。選手のみなさんには、今までの成績をすべて忘れて、是非とも全力を出しきってもらいたいです!」


 ……なんだ、そういうパターンのやつね。

 言葉を選ばずにいえば、今までの種目は、全部茶番だったということになる。もとより最初からそのつもりだったらしく、選手や観客から不満の声は上がらない。盛りあがった事実はうそじゃないからだ。


 これならばまだ、譲歩のやりようはあるのではないかと、俺はスザクに近づいていったのだが、その途中で、初めからこの依頼が不要であったことを理解した。完全に忘れていたが、次の種目は料理コンテスト。土台、スザクにできるはずがない。


 スザクに刃物。

 こんなの、やっちゃいけない組み合わせの1つだろう。

 俺は後ろを振り返って、ドロシーを見やった。


「大丈夫だ。スザクに、そんな繊細な作業ができるわけがない」


 一応、それでも安易に町を破壊されると困るので、くれぐれも周りの物に気を配るよう、俺はスザクに伝えていた。


 無論、その程度の注意で、スザクの神懸かみがかった運動性能を、抑えられるわけもなく、案の定、開始の合図と同時に、置かれてあった金属の調理台を破壊。ほかの選手を巻き添えにして気絶させたスザクは、瞬く間にその場で失格となっていた。


 コンテストの結果はどうだったか?

 なんの面白みもないが、そつなくこなしたブルーノが順当に優勝した。

 まぁ、ドロシーが満更でもなかったので、俺としてもハッピーだ。

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