第9エピソード 渚瑳の祭り
第33話 俺、祭りの最中に、浜辺で芸術作品を鑑賞する。
翌朝。
太陽が登ると同時に、⦅
もちろん、本格的に開始したわけじゃないが、気の早い屋台はもう出店しており、この祭り一番のイベントであるボートレースが始まるのを、誰もが今かいまかと心待ちにしていた。
ボートレースに参加できるのは、
そういうわけなので、あいにくと水着の女は拝めなかったのだが、俺は浜辺で気落ちしている、顔見知りを発見していた。
ソーニャだ。
あれだけ楽しみにしていた祭りが、ようやく始まるというのに、彼女の顔つきはなんとも浮かないもので、はっきり言えば気がかりだった。それに、森林探索ツアーを紹介してくれた礼も、言わなければならないだろうと、俺はソーニャに近づいていく。
「お早う、ソーニャ。この前はツアーを教えてくれてありがとう。昨日、早速行ってみたんだけど、かなり楽しめたよ」
俺の言葉に、ソーニャはどうでもよさそうにうなずいて応える。
さすがに、落ちこんでいるソーニャを無視するわけにもいかず、俺は事情を尋ねていた。
「どうかしたの?」
一度、彼女は盛大なため息をついてから、俺の問いに答えた。
「それがよ、ボートレースの賞品が目あてのものじゃなかったんだ。くっそ~! 本気で優勝するつもりだったのによ、計画がぱあになっちまったんだ。そういうわけで、俺の出場枠がいらなくなったから、ちょうどいいし、お前にやるよ」
言うやいなや、ソーニャは近くにいた
「ずいぶんと勝手な人なんですね」
さすがに看過できなかったらしく、ドロシーがソーニャの背中に嫌味をぶつける。
ドロシーの小言に、一瞬だけソーニャが肩をぴくりと動かしたが、それでもこちらを振り向くようなことはせず、
ドロシーの言うように、ソーニャが大雑把な人間であることは、否定できない。
しかし、いくら彼女の言動が粗野なものだったとしても、ソーニャもまた1人の女だ。俺は自分の中二病と、真摯に向きあうことを決めたばかりなのだから、このまま、はいそうですかと終わらせるわけにはいかない。
……ソーニャの出場するはずだった枠を、俺が無駄にしちまうと、それはそれで町民の印象を悪くするかもしれないな。
一旦、ソーニャの件は後回しだ。
大勢の人間が、
競技はボートレースという、いかにも肉体労働だ。
スザクの背中に手をあてて、俺は最強の女を海へと向かわせる。
「スザク、出番だ! 蹴散らして来い」
「……殺すんですね?」
「違うよ! なんで君はそう、すぐに人を殺そうとするのかな!? 殺しは、今後もずっとなしだよ!」
当然のように殺害を視野に入れるスザクを、どうにか押しとどめながら、俺は改めて祭りの内容を確認していく。
ボートレースは、全部で4つの種目に分かれており、順に漁獲量コンテスト・網投げ・所定の海域を、いかに早く航行できるかというスピードコンテスト、そして料理コンテストだ。この中でも、観光客が一番楽しみにしているのは、種目として最も派手な、スピードコンテストであるのは間違いない。料理であればドロシーのほうが安パイだが、スザクにバトンタッチという俺の采配に、狂いはないだろう。漁獲量コンテストでも、無双してくれることは請け負いだった。
海への祈り。
開催の合図は、町の守護者である
最後に、古くなった網を燃やして儀式は終了。浜辺を掃除していたとき、擦り切れた網は無用なんじゃないかと思ったものだが、なるほど。このためだったのか。
漁師たちがボートレースの準備をしている間、俺たちは浜辺で開かれている、大規模なマーケットを覗くことにしていた。無論、昨日のうちに、コースの設営などは終わっているので、あくまでも、今やっているのは最終的な点検だけだろう。
食品では、魚介類や海藻といった新鮮な海産物が、工芸品では、どこが美的なのかまるで分からない、珍妙で前衛的なアートが売られている。大型の展示物もかなりの数が並べられているので、いったいいつ持ちこんだのか不思議だったが、俺たちが森林ツアーをしている間に、芸術家が浜辺に集まっていたらしい。
林立する砂像。
⦅風の回廊⦆と比べてしまうのはかわいそうだが、これはこれで迫力がある。
塔・子供・浮き輪、馬に家。変わったところでは、魔物を模したものなんてのもある。
……これはスケルトンライダーか? さては、タナカが作ったな。
そう思って、俺が海の家の側壁に、立てかけるようにして座らされているタナカのことを、疑うように見つめていれば、心なしか、あいつの
全体的に見事なものだったが、話を聞けば、これらの砂の彫刻に保存する予定はなく、午前中ですべて撤去するとのことだった。
「ちょっともったいないですね」
あまり作品に関心を示さなかったドロシーも、思わずそう呟いていた。俺も、労力の割に壊すまでの期間が短いと感じたので、力強くうなずいておく。
さらに先に進むと、環境保護の大切さを訴えるコーナーを見かけた。漂着したゴミを題材とすることで、浜辺の美化に対する市民の意識を、向上させようというものだ。もっとも、今年は流れ着いたゴミが少なかったようで、製作者の連中は、満足のいくものが作れなかったと嘆いていた。俺がスケルトンライダーを説得して、ゴミ捨てをやめさせてしまったためだろうか?
……悪かったよ。でも、啓蒙の趣旨からすれば、俺のほうが正しいんじゃないか?
目的が逆転してしまっている芸術家を尻目に、俺はさらに作品たちを見ていく。その中でも、群を抜いて目を引きつけられたのは、1枚の絵画だった。
流動する
構図としては、砂遊びをする子供と、それを見守る大人というシンプルなもの。
本物の砂で作られている城は、当然ながら、浜辺に寄せる波によって少しずつ消えていく。しばらく突っ立って見ていれば、やがて砂の城が完全になくなり、そこには穏やかに眠る死者の顔が現れた。それまでは単に、海に来ている親子の日常というものだったのに、今では大人の顔が、死者を労わる表情に見えて来るようだ。表現しているのは、同一人物の違う場面じゃないだろう。恐らく、遊んでいた子供が大人になって、自分の親が亡くなったという世代交代のシーンだ。
タイトルは海。
全くといっていいほど、作品の中で海は描かれていないのに、人間の生活とは無縁に続いていく、大自然の無慈悲さと雄大さを、これでもかと見る者に伝えている。
「……」
正直、俺は度肝を抜かれていた。
例によって芸術なんぞにも
「すごいな、これは……」
思わず、そう独り言ちれば、俺の感想にドロシーが反応を示した。
「そうですか? 私は、仕掛けに酔った作者のしたり顔が、作品から透けて見えるようで、なんだか好きになれません」
……全く、この子はもう。
「ドロシーって本当に容赦ないよね。これがもし、俺の作ったものだったら、きっと違うリアクションだったと思うよ」
「そのときは破いて捨てます」
「……ちょっと酷すぎない? そろそろ泣くよ?」
ドロシーの言動はさておき、俺は作者と話をしてみたくなったので、きょろきょろと周囲を見回した。
しかし、それらしき人物が全く見つからない。
どこかで休憩しているのかと思い、
「製作者の名前とかって分かりますか?」
「どうだったかな……。今回のタイトルはなんだっけ?」
「『海』だったと思います」
言いながらも、女は書類をぺらぺらとめくってくれている。
ほどなくして、彼女の視線が1つのところに定まっていた。
「あったあった。これだね」
そう言って、俺に紙を見せてくれたのだが、あいにくと俺は、ワールドの文字を読むことができない。なので、代わりにドロシーが読みあげてくれた。
「シャフツベリーだそうですよ、ご主人様」
……シャフツベリー。
ドロシーの教えてくれた名前を、俺は反芻するように胸中でくり返す。
いつか会ってみたい人間だ。
新たに訪れた観光客が『海』を見て訝しんでいるが、今から眺めたんじゃ絵画の趣旨は伝わるまい。最初から動態を追っていないと、あれは理解できない仕掛けだ。
すでに趣の大半を失ってしまった作品を、もう一度だけ振り返りながら、俺は居場所も分からぬ人間に会うことを、心に深く誓っていた。
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