第31話 俺、妖精の宴に参加し、名残惜しいがユリアーネとも別れる。
20年だ。
デイヴィッドは、この神殿の中で、一度も町に戻ることなく、妖精使いになるための修業を続けている。
修業がどれほど大変なのかは分からないが、20年という膨大な数は、人の一生にあてはめただけでも、大体4分の1にあたる。
俺が生きて来た年数よりも少し多い。
途方もない期間だ。
それだけの時間を、たった1つの物事に費やす。
これは部活や趣味の文脈で使われる、20年という数字じゃない。日常生活の全部を、捧げた結果の20年だ。
俺の想像を完全に凌駕していたが、デイヴィッドの
デイヴィッドの活動を、アホだとなじるのは簡単だ。どれだけの時間を無駄にしているんだと、それだけの労力があれば、いったいいくつの物事を成し遂げられたんだと、馬鹿にすることは俺だってできる。しかし、それが――口先から
自分には到底真似できない。
気の遠くなるほどの努力を、一心不乱になって続けることなんか、俺にはできやしないんだ。もしも結果が実らなかったらと思うと、功績を伴わないかもしれない過程を前に、俺は足が竦んでしまって動けなくなる。
現代で生まれ育った俺は、根本的に我慢することができない。
それが、俺だけに原因があるわけじゃないことは、俺も分かっているつもりだ。
現代人に耐久力がないのは、社会に対する不期待の裏返しにほかならない。ゆとりだなんだと言われて育った来た俺たちだが、若者だって、みんながみんな馬鹿なわけじゃない。社会が俺たちを疎んでいるように、俺たちだって社会が何をしてくれるのかと、真剣に値踏みしている。
今の社会に、心の底から期待できるやつなんか、恵まれた環境で育ち、何をせずとも集団の勝者として君臨することが、運命づけられている連中だけだろう。分かりきった結果ばかりだ。
そんな一握りの勝ち組以外はどうだ?
見返りを寄こさない社会からの要求に、耐え続けることなんか選びはしない。我慢しないんだ。さっさと、逃げるようになる。
それを賢いことなんだと思うことはできるし、現代的な処世術なんだと、自分に言い聞かせてもみるのだが、頭の中で囁く劣等感までは、中々拭い去ることができない。
幼い頃に植えつけられてしまった、頑張ることは正義だとか、努力は実を結ぶといった中途半端な価値観が、俺の心にすっかりと巣を作っていて、時々、嫌でも顔を覗かせて来る。
「……」
気づかされてしまった。
デイヴィッドとユリアーネが言葉を
自分の人生を、自分で選択できるほどの決断力がなく、そうかといって、ちゃらんぽらんな周りの人たちとも、なじむことのできない俺は、現実をかたくなに逃避して、中二の世界にこもるしかないのだと、嫌でも分からされてしまった。
泣きそうだった。
それでも、今まで必死になって、中二病一筋で来られていたのなら、堂々と笑って、自分を慰めてやることもできただろう。
でも、俺はそうじゃない。
馬鹿にされ、自分の身分ってやつを知った俺は、一度ヒーローから離れてしまっている。そんな俺が、再び正義の味方を演じることに対して、本質的な冷や水を浴びせられてしまったかのような、いかんとも形容しがたい無力感が、容赦なく俺を襲っていた。
言うともなし、口から言葉が漏れて出る。
「ユリアーネ、教えて欲しい。あの人は……デイヴィッドさんは、どうしてあそこまで脇目も振らずに、のめりこむことができるんだろう。何が、あの人の原動力になっているのかな?」
自嘲気味に俺が話せば、ユリアーネの冷ややかな視線が、無遠慮に返って来ていた。
「……最初からなんでもできちゃった人と、努力してできるようになった人。ゼンキチはどっちがすごいと思うの? デイヴィッドのことを笑うつもりなら、ユリアーネが許さないよ」
「違う! 馬鹿にしたかったわけじゃない、本当だ……。なんか自分が、ちっぽけな人間のように思えて来ちゃったから、それで知りたかっただけで……」
口元に笑みを浮かべていたのは、笑っちゃうくらいに自分が情けなかったからだ。デイヴィッドを冷やかすつもりなんか、これっぽっちも俺にはなかった。
会ったばかりの相手に、自分の弱みを打ち明ける。おまけに、ユリアーネは女だ。本来であれば、俺のほうが恰好つけて、対応しないといけないところなのに、このざま。
すこぶる決まりが悪い。
それでも、ユリアーネのふるまいを見るに、彼女もデイヴィッドと同様、すでに自分の人生を決めている側の人間だろう。
俺には、相談する相手がユリアーネしかいない。
これから先の未来を、どういうふうに生きていくのか。そういった確固たる道を持っているという意味合いなら、ドロシーやスザクも同じといえたが、俺からすれば彼女たちは大人の人間だ。何より、自分との距離が近すぎているので、あまり弱いところを見せたくない。
知らないうちに、俺だけが2人から置いてけぼりを食らうんじゃないかって、そんなことないと分かっているはずなのに、無性に心配になってしまうんだ。
「……どうして一生懸命になるのかなんて、ユリアーネは気にしたことがないかな。でも、自分のライフプランをはっきりと決めている人は、ゼンキチが思っているほど多くはないよ。不安にならなくても大丈夫。それに、早々と決めちゃうことが、必ずしもいい決断なわけじゃない。妖精にだって色んな種類がいるから、ユリアーネにはそれが分かる。なんでもすぐに選ばなきゃ気が済まない妖精や、何かと1つの方針だけで決定しようとする妖精。ほかの妖精には理解されにくいけど、きちんと自分の中に、考えを持っている妖精だっている。ゼンキチもきっとそうだよ」
「そういうものかな……」
ユリアーネの挙げてくれた例の中には、自分がどこにも属さないように思えた。
……だって、俺は深く考えられないのに悩むタイプなんだから。
「気になるなら、見つければいいじゃない。ゼンキチの歩むべき進路を。デイヴィッドほどに夢中でいることができなくたっても、それで自分なりの選択するをすることができたなら、やっぱり最初から自分の人生を持っていた人よりも、ゼンキチはすごいってことだよ。ユリアーネは、生まれたときから妖精が見えていたの。ほかの人にはない妖精の瞳という選択肢を、自分の武器として使うことは、全然悪いことじゃないとユリアーネは思う。だから、ユリアーネは妖精使いになったの。そんなもんだよ、ユリアーネも。もちろん、ゼンキチが妖精使いを目指したいのなら、ユリアーネがずっと見ていてあげるしね」
たぶん最後ら辺は、俺を励ますために加えてくれた付言だろう。本当につきあってくれるわけじゃないと思う。
でも、焦る必要がないという話や、己の生き方に納得できるかどうかのほうが肝心だ、というユリアーネの考え方は、どちらも腑に落ちる内容だった。
「ありがとう……。そうだよね。俺はワールドのことも、まだまだ全然知らないんだから。もう少し世界を隅々まで見て回りながら、自分の将来について考えてみるよ。それまでは――」
偽りの中二病を、頑張って続けてみようと思う。
この世界から魔物を殺しつくしたいと思ったことも、女の傷つく姿が見たくないと思ったことも、どちらも俺にとっては、覆しようのない真実だと感じているから。少なくとも抱いた感情が、本物であって欲しいと俺自身が信じているのだから。
俺の返事に、ユリアーネが微笑を浮かべてうなずく。
「それがいいよ。もう戻りな。というか、そもそもどうしてゼンキチは、こんなところにまで来たの? 用事があったわけじゃないんでしょう?」
「いや……それが道に迷ったんだよね」
その告白に、これまでの会話とは違う種類の恥ずかしさを覚えたが、今さら気にすることはないと、俺はあるがままをユリアーネに話す。
「こんな分かりやすい森で?」
ユリアーネが呆れたように笑う。
おっしゃるとおりなので、俺としては返す言葉がない。
「そんな馬鹿なこと……って、本当ね。迷走状態になっているの。……だ~れ? この子に
俺のほうに近寄ったユリアーネが、周りを見渡す。
話の流れからして、俺が迷子になったのは、絶望的に方向音痴だったからではないらしい。
……よかった。俺はリアルタイムで更新される地図も、満足に使えない人間なのかと思った。
「おかしい……。森の妖精は、そんなすぐにはいたずらをしないはずなの。ゼンキチ、何かした?」
ユリアーネが俺のことを、ちょっと白い目で見て来た。
「ご、誤解だ。何もしていない」
バードウォッチングなどには、不純な動機で参加こそしているものの、森に迷惑をかけてはいないつもりだった。
「まぁ、いいや。ゼンキチ、動かないで」
先ほど、神殿で地下への扉を開いたときと同じように、ユリアーネが自分の腕を差し出して、軽く空を見上げる。
目の前で佇んでいるはずなのに、まるで彼女の存在感を忘れそうなほどの静けさが、瞬く間に辺りを包みこんだ。
「お願い」
一瞬、体の中から何かが抜け出たような感覚があったが、あとはそれだけで、痛みとか気持ち悪さとかいったものも何もない。
あっという間に、ユリアーネによる治療は終わっていた。
「……とりあえず、元に戻したの。これでもう森から出られるようになったよ。ただ、本当にいたずらをされる覚えがないなら、念のために、ゼンキチも妖精の宴に参加したほうがいい」
「宴……」
「うん。今から始める。ついて来て」
一応、俺としては、ちょっかいをかけられるような自覚がないので、ユリアーネのあとを追った。
……森に興味はなかったけど、だからといって、自然を破壊しようとか、そういう敵対的な行動をしていたわけじゃないし。えっ? 俺、何もしてないですよね? えっ?
軽々とした足取りで、ユリアーネが神殿の外壁を登っていく。
素早い動きなのは、ここでも妖精の力を借りているからなのだろう。
「ゆっくりでいいよ」
てっぺんまで上がったユリアーネが、下にいる俺に向かって声をかける。
ひょっとして、俺にも妖精の加護を与えてくれたんじゃないかと、期待して運動性能を確かめてみたが、もちろんそんなことはなかった。俺のクソ
へろへろになりながらも、どうにか俺は神殿の頂上に到着する。
内部を歩いたときにも見たが、すでに天井の一部が崩れているので、辺り一帯は、無数の落とし穴が広がっているのとおんなじだ。中央にいるユリアーネのもとまで、俺は注意して移動していった。
座った状態のユリアーネが、バッグから種々の花と木の実、それに
ユリアーネがすべてを出し終えると、その直後、並べられていた品々が、発火したり凍ったり、増えたり腐ったりと、実に多種多様な現象に見舞われ始めた。
「うんうん。今年もみんな元気いっぱいだね。引き続き、デイヴィッドのことをよろしく。それから、今回は、これとは別に紹介したい人がいるの。……ゼンキチ、前に出て」
いきなりの発言に、俺は肩を弾ませてびびる。
もうちょい何か前置きがあると予想していたので、シンプルにびっくりしたのだが、特に抵抗することもなく、俺は前に進んで頭を下げた。
「
「あんまり困らせないであげてね」
話の途中で、ユリアーネが遮る。
……なるほど、自己紹介をしろというわけではないのか。
「……そう。うん、ほかの子たちにも伝えておいて。ゼンキチ、もう下がっていいよ」
言うやいなや、ユリアーネがその場で手を叩きだす。
規則的なリズム、これは手拍子だ。
まるで様子が分からないが、おおかた、妖精による歌と踊りでも始まったのだろう。俺には何も聞こえないままなので、あまり居心地がいいとは言えない。
「何しているの、ゼンキチもほら」
彼女に促され、俺も見よう見まねで手拍子を取る。
音楽の一節さえ聞こえて来ないので、非常にシュールな光景だったのだが、これは俺のためでもある。ユリアーネの好意を無視することは論外だし、現実問題としては、これから先、知らない間に妖精からいたずらをかけられていた、なんていう事態は、なるべく少なくしたい。いつでも都合よく、身近なところに妖精使いがいるわけじゃないのだ。できる限り減らしたいと思うのは、当然だろう?
……別に、
それから5分ほどして宴は終わった。
あまりにも時間が短かったので、失敗したんじゃないかと不安になったが、大丈夫らしい。
「うまくいったよ。でも、森の調和が乱れたって、一部の妖精たちが怒っているの。エネルギーの異変……。ゼンキチってもしかして、特別な力でも持っているの?」
「えっ? どうかな……自分ではあんまり意識したことがないかも」
隠された能力があるとしたなら、中二的にかなり美味しい展開だが、あいにくとすでに、女神から
それとも、スキルのことを言っているのだろうか。
だが、これはドロシーにだって同じことが指摘できる。
世界には、スキルの使い手が何百人といるだろうし、ユリアーネが初めて会ったスキル持ちが、偶然俺だったとは考えにくい。
……まさか、中二パワーでもないだろうしな。
「そろそろ帰ろう。午前中からここでみんなの話を聞いていたから、ユリアーネも少しくたびれちゃった」
「えっ、それじゃあ、ほかの人たちが木の実を採集していたときも、ずっとここにいたってこと? 飯の支度は? 連れのぶんは分けられないけど、俺のならあげるよ」
たしかまだ、食後のデザートとして、エルムフルーツという果実が残っていたはずだ。
だが、これは俺の勘違いらしい。ユリアーネは、ガイドに従ってここに来たわけじゃない。
「ふふっ。ユリアーネは森林ツアーに参加していないよ」
「……それもそっか」
「うん。でも、ありがとう」
今日は、全然いいところがなくて、さすがにちょっと恥ずかしい。
ユリアーネと2人で森の中を歩く。
彼女が言っていたように、今度は、難なくドロシーたちのところに戻って来られた。
立ち止まるユリアーネ。
ここが俺たちの別れなんだと、何も言われなくても理解できた。
でも寂しくて、ちょっと切なくて、ついつい俺は後ろを振り返って、彼女に尋ねてしまうんだ。
「また、会える?」
俺の問いに、茶髪の女が長い髪を揺らして答える。
「ユリアーネに? 妖精は古い神殿を好むの。だから、ユリアーネも色んなところを回っている。ユリアーネに会いたいなら、頑張って見つけて」
「……分かった。きっとだよ? きっとだからね」
うなずき、俺は手を振りながら、ドロシーのもとに走っていった。
そして、案の定、帰りが遅いとぶっ飛ばされた。
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