第18話 俺、アルバートのもとへと急ぎ、そしてブロンズデーモンを目にする。

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 ブロンズデーモンは、その名のとおりデーモンの一種だ。

 体格は、魔物の中では並みだが、それでも3mほどの背丈を持ち、横幅も体長に見合った相応のものである。


 さびついたような羽と、顔にある3つの目玉が特徴的で、死亡時にドロップする青い瞳は、観賞用として非常に価値が高い。そのため、市場では高額での取り引きがなされている。もちろん、それが討伐の難度を反映したものであることに、疑いはないだろう。


 全身を覆う茶色のボディーはいかにも硬質で、ブロンズデーモンという名前に恥じない態様だ。

 指の数は、左右どちらもが4本。

 この4本の指先からは、土の魔法による投擲とうてきを行うことができ、その破壊力は上級の冒険者であっても、決して油断できないものとなっている。


 もっとも、ここでいう魔法は、正確な言葉づかいではない。魔法はあくまでも、人が用いる奇跡を指す言葉だからだ。魔物の場合には、邪法という言い方に変わり、その内容にも、魔法との差が見られるようになる。


 15年前、ネモフィラ地方に突如として現れたブロンズデーモンは、雪乃ゆきのの町一帯に災禍をもたらした。


 元々、雪乃ゆきのの町の南東には、金庭かねばの集落という小さな村があったのだが、この集落はブロンズデーモンによって壊滅。村民のほぼ全員が殺害される、という事態になった。


 生き残ったのは、男がたった1人だけ。

 幸か不幸か、妻と子を家に残して出かけていたので、自分だけ助かったのである。

 男の名はアルバート。

 町から帰り、原型を失った故郷を見るにつき、アルバートは狂ったように駆けだしていた。

 自宅のあった場所へと向かい、崩れた家屋を必死になって持ちあげたのだ。


「クレア! ネル!」


 妻と幼い娘の名前をくり返し叫んだが、アルバートの耳に入るのは、倒壊した家屋で火の粉がぜる音と、地響きにも似たブロンズデーモンの威嚇だけだった。


 無論、弔い合戦にアルバートは参加した。

 それは無知ゆえに招いた戦いだったといえる。15年前では、ブロンズデーモンの脅威が、今ほど十分には知られておらず、感情的に動く人間が、当時のほうがはるかに多かったのだ。そうでなくとも、アルバートは妻子を失った激情に身を任せて、ブロンズデーモンに切りかかっていたことだろう。


 初めから勝ち目のないいくさ

 ネモフィラ南部の戦力では、どれだけ男衆を集めてみても、ブロンズデーモンを撃退することなど、到底かなわなかった。


 この地を襲った災厄は三日三晩続き、その間に、アルバートは肩から腹部にかけてを大きく負傷。満足に動かせなくなった体では、ほかの者の足手まといにしかならない。前線からの離脱を余儀なくされた。


 破壊の限りを尽くし、もはや壊すものを失ったブロンズデーモンは、ゆっくりと東へと北進し、うわさを聞きつけた呪術師によって、そこで封印されることとなる。一度、退いてしまったアルバートには、くだんの呪術師がどこで魔物を封印したのか、その詳細が分からなかった。


 以来、アルバートは居を東へと移すと、呪術師が最後にいた場所を探しあてるべく、その捜索を続けている。クレアとネル、2人のかたきを自分の手で討つためだった。


 この話はまだ終わらない。

 ブロンズデーモンほどの強力な魔物を、長期間に渡って封じておくことは、いくら高名な呪術師であっても難しい。封印は徐々に効力を失い、やがては中の魔物が復活してしまう。


 予期せぬ再来。

 これを防ぐべく、腕の立つ呪術師は定期的に各地を巡回し、その封印を強めて回っているのだ。

 ネモフィラのブロンズデーモンといえども、決して例外ではない。

 今から2年前、ブロンズデーモンはとある呪術師によって、再び鎮められる運びとなった。

 だが、この封印が問題だったのだ。

 彼女は凄腕すごうでの呪術師だったが、どうしてだか、他人と同じことをしようとは思わなかった。通例であれば、誤って市民が封印を解かないよう、それと分かる者にしか、手の内を明かさないはずである。しかし、この呪術師は何を思ったか、誰にでも封印が解けるようにしてしまったのだ。こうなっては、まじないに詳しくない普通の市民であっても、容易に封印を解除することができてしまう。


 ブロンズデーモンが眠らされているのは、ネモフィラの南東部にある小さな洞穴。

 今、そこには1人の男が近づいて来ていた。


(あの女商人(タマーラ)が言っていたのはここか。たしかに、ここはまだ来たことがなかったな……)


 そう思ったアルバートは、己の足を洞窟の中へと向けていた。




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 ひったくるようにして馬を借りた俺たちは、全速力で東を目指していた。

 いうまでもなく、俺は1人で馬に乗れないので、手綱を握っているのはドロシーだ。俺は、その後ろから彼女に腕を回して座っている形。すげぇ、ドキドキしたよ。2つの意味で。……あれね。ドロシーに殴られるんじゃないかっていう意味と、もう1つは言わなくても分かるだろう?


 スザクであれば、こういったことにも深くは気にしないんだろうが、ところがどっこい。スザクに馬は必要ないんだ。だって、馬のほうが遅いから。


 化け物のスザクは無視して、状況を整理しよう。

 目撃者の男の話では、今から2時間前に、山奥でブロンズデーモンを見かけたという話だった。

 まさかこんなにも早く、ネモフィラの親玉が現れるなんて、俺としても完全に想定外だ。まだ全然、こっちの戦力が整っちゃいない。


 確たる証拠はないが、独りでに復活したわけじゃないだろう。

 何年もの間ずっと、執念だけでブロンズデーモンを探していた男がいるんだ。アルバートが封印を解除したと考えるほうが、よほど自然だった。


 俺がアルバートの身を案じていることは、言わずともドロシーに伝わったようで、彼女は馬を限界まで急がせてくれていた。まもなく、俺も一泊したことのある山小屋へと到着する。


「アルバート!」


 壊す勢いで扉を開け、俺は小屋の中へと入った。

 だが、当然のようにそこにアルバートの姿はない。

 念のために、寝室などのほかの部屋も確認してみたが、どれも小屋の持ち主が不在であることを、言外に主張するばかりで、手がかりはまるで見つからなかった。


「ご主人様、来てください!」


 俺が室内にばかり目を向けていると、外からドロシーが大声を上げた。

 急いで彼女のもとまで駆けつければ、中腰になったドロシーが、地面の一部を指さしている。


「新しいひづめの跡があります。私たちのものではありません……」

「やはり遅かったか……」


 アルバートには、早まったことをしていて欲しくないのだが、すでにブロンズデーモンとの交戦が、始まっていると覚悟すべきか。


「馬を出してくれ、ドロシー!」


 返事をいうよりも早くに、ドロシーが手綱を握り、俺たちは再び駆けだす。

 そのまま疾駆を続ければ、やがて、くぼ地で戦っている男たちの姿が視界に映る。

 ……アルバート1人じゃなかったのか。

 彼がそこまで無謀ではなかったことに安堵あんどしつつ、俺は、アルバートたちと対峙たいじしている魔物に目を向けた。


 巨大だ。

 アルバートでさえ俺よりも背が高いが、そんな彼が子供に思えるほど、魔物との体格には差があった。


 ブロンズデーモン――この地のボス。

 眼下で行われている争いの、単純な戦力差は絶望的といってもいい。

 あまりに現実離れした敵の姿に、ドロシーも思わず息を飲んでいた。


「どうするんです、ご主人様? このまま近づきますか?」

「いや、いい。ここで止まってくれ」


 いぶかしむドロシーに構わず、俺は乗馬したまま世界攻略指南ザ・ゴールデンブックを発動させていた。

 見知らぬ相手が敵ならばどうしようもないが、一度でもこの目で視認できれば、あとは俺の領分だ。

 手早くブロンズデーモンのページを開いて、俺はその詳細を確認していった。

 ブロンズデーモン。

 ランクはA+。クラスはボスまたはエネミー。

 通常のデーモンに比べて硬質で、物理ダメージが利きにくい。その下には、こいつのステータスとして、硬度30.2と運動性能11.1という表記が見える。


 ……硬度?

 人間には存在しなかった項目に、つか、俺はとまどったのだが、調べればすぐに意味を理解できた。そのモンスターに対して、有効なダメージを与えるのに必要な運動性能。これが硬度だ。つまり、ブロンズデーモンは、どちらかといえば防御系のボスということになる。それでも、俺の3倍に近いステータスだ。成人男性であっても、決してあなどれはしない。直撃すれば、それだけでノックアウトだろう。


 ……ダメだ、こりゃ。スザクの運動性能だと、たぶんワンパンする。ボスを瞬殺って、やっぱりこの子おかしいよ。


 世界攻略指南ザ・ゴールデンブックを閉じた俺は、最強の剣士にくれぐれも余計なことをしないよう、念押ししていた。


「スザク、アルバートを守ってくれ。一番前で剣を振っている、茶髪の男がアルバートだ。ただし、君は攻撃に参加しちゃダメだよ。これ、絶対ね」


「……は? それはまた、なぜですか? 戦うために駆けつけたのでは……」

「いいから。あの人を守ることだけに専念して。加勢はダメ」


 この戦いは長きに渡る執念の総決算だ。

 アルバートが自ら剣を振るっていることに、意味がある。そうじゃなきゃ、復讐ふくしゅうは達成されない。

 横から来た俺たちが、いきなりブロンズデーモンを討伐したって、アルバートの心は満たされないだろう。妻子を亡くした悲しみでできた傷は、心臓に深く残ったままだ。


 そして、恐らくはあそこにいる者たち全員に、この戦いに参加するだけの動機がある。故郷か友か、恋人。はたまた家族か。亡くした者が何かは分からないが、俺たちはその援護に徹しなければならないだろう。それが本当の意味での、助けるっていうことのはずだ。


「ドロシー、俺たちは町に戻ろう」


 これが正当な戦いとなれるよう、適切な援軍を引き連れるのだ。

 スザクみたいなインチキじゃなくて、もっとちゃんとした人たちが、ここには不可欠だった。

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