第5エピソード ブロンズデーモンの再来

第17話 俺、市場で買い食いをする。

 廃倉庫をあとにした俺たちは、市場の通りを目指していた。

 女子というものは大概、甘いものには目がない生き物だ。もちろん、これは俺の勝手なイメージだが、ドロシーもその例には漏れないらしい。露店に向けて足を進めるドロシーの顔は、心なしか普段よりも表情が豊かに見えた。いつもは不愛想なのに、この変わりようだ。スイーツの持つ魔性の魅力というのは、本当に恐ろしい。


 どうやら、これについては、もう1人の仲間にも同じ指摘ができるらしく、俺の後方にいる剣士の足取りも、どこか軽そうだった。


 いまだ周囲を警戒するように、目を光らせてこそいるものの、それはたぶん彼女の習慣だからだろう。実際、目つきの鋭さに反して、腰にいた剣に手が伸びることは、一度もなかった。もっとも、この点は戦闘中であっても同じなのだが。


 松葉色の髪を後ろで束ねた剣客。

 要するにポニーテールで、要するにスザクだ。

 ご存じのとおり、市場の入り口に並んでいるのは、ワールド名産のホワイトシチューだけだが、奥まったほうに進めば、途端に甘味かんみを商う露店が顔を出して来る。この通りの出口付近は、俺たちの泊まっていた宿屋群にも接しているので、ここまでこうして安全に来られたのは、暴漢の一件が、無事に片づいたからこその賜物たまものといえた。


 俺は別に、雪乃ゆきのの町にも甘味かんみにも詳しくない。なので、どうしたものかと辺りをうろうろしていたのだが、そこでふとスザクの視線が、一軒の屋台にくぎづけになっているのが分かった。その視線を目で追ってみれば、そこにはペロペロキャンディーとしか形容できない、ずいぶんとカラフルなあめが置かれてある。渦を巻いた棒つきのキャンディー。まさしくペロペロキャンディーだ。


「好きなの?」


 ついつい好奇心から、俺はスザクに尋ねていた。

 悪く思うな、見かけによらないと思っただけなんだよ。


「……。はい。子供の頃の憧れがこうじて、町で見かけると、どうしても買うようになってしまいました」


「へぇ、いいじゃん。普段とのギャップがあって、素敵だと思うよ。買い食いは俺が言いだしたことなんだし、何本か買ったら? 俺が払うよ」


 言うやいなや、俺はスザクの手を引いて屋台へと近づいていく。

 油とほこりで汚れた布の屋根。

 元の色は白だったのだろうが、今では黒っぽくて汚いものに変色している。

 老舗というより、現代人の俺からすると、衛生環境がやや気になってしまうところだが、そんなものはワールドに転生した時点で、別れを告げていなければなるまい。それに中二病は悪食あくじきと相場は決まっている。今、俺が決めた。


 適当にあめの色を見繕みつくろうと、俺は硬貨を支払った。

 金貨シルガじゃない。いつの間にかドロシーが両替して来てくれたので、相場どおりの金額だ。

 ちなみに、屋台の男に味を聞いてみると、全部ホワイトシチュー味だと答えていた。……なんで?

 シチューの味を再現できるほど、ワールドの化学は絶対に発展していないはずなのだが、そんなことは気にするだけ野暮だろう。


 買ったキャンディーをスザクに手渡せば、彼女はそれをペロペロ――とはせず、全部まとめてぼりぼりと食い始めていた。


「やはり美味しいですね。あめみごたえがあって」


 ……初めて聞いた、その感想。

 だが、イメージどおりのキテレツな行動に、ある種の安心感を覚えたのもまた事実だ。

 硬けりゃうまいと断じるスザクは、食の好みが絶望的に偏っていて、なんの参考にもならないので、俺はドロシーのほうに向きなおっていた。この間に、ドロシーは独りで菓子を買っていたらしく、その手にはたい焼きのような物が握られていた。


 形こそ、魚をかたどったものではないものの、その質感は完全に和菓子だ。今川焼とか、そっち系の生地を使っている。


 興味深く、俺がじろじろとそれを見ていれば、気を利かせたドロシーが、商品の説明をしてくれていた。


「これですか? サテモ焼きです。甘い生地の中に、贅沢ぜいたくにもトマトシチューがたっぷりと入っているんですよ。なんでも、昔の勇者によって伝わった、勇者の故郷のものだとか。生地の形は地方によって色々とあって、その地に由来するもので作るのが一般的です。なのでほら、見てください。ここではネモフィラの花なんです」


 そう言ってドロシーは、俺にかじったばかりのサテモ焼きを見せて来る。仕方なく、俺は形を確認するために、ドロシーがまだ食べていないほうに目線を向けた。


 なるほど。言われてみれば、確かに5弁花の形をしている。

 あいにくと花卉かきにも詳しくないのだが、これがネモフィラに違いないのだろう。じゃあ、逆になんなら俺は詳しいのかと、そう思ったか? 残念だったな、何もない。認めたくはないが、無能だ……。


 たぶんだが、名前はくたいというところから取られたのだろう。故事成語についての、誤った伝聞がなされているようだった。


 このサテモ焼きはドロシーの好物らしく、持っていた2つもあっという間に平らげていた。

 そのままぶらぶらと全員で市場を見て回っていれば、露店にはいくつかの種類があることに、俺は気がついた。ペロペロキャンディーとフルーツの盛り合わせ、そしてサテモ焼きだ。このフルーツは、間違いなくスザクの借りていたところの果樹園から、運ばれて来たものだろう。オレンジにぶどう、そして見たこともない謎の青いフルーツだ。


 どこで何が売られているのかは、色で判別できるようにしてあるらしく、遠目からでも屋台の内容を理解できた。それぞれ順に、白・黄・赤の布が屋根に使わている。つまり、サテモ焼きなら赤というわけだ。


 ひととおり買い食いを楽しみ、大通りにまで戻って来たところで、俺たちは血相を変えた住人と鉢合わせていた。通行人にぶつかりながら、駆け寄って来た男は、やがて道の真ん中でその歩みを止める。何事かといぶかしんだのは、なにも俺1人だけじゃない。ごくりと息を飲んだ男は、尻上がりのボリュームでおずおずとしゃべりだす。


「出た……。出たぞ。ブロンズデーモンがまた出たぞー! 向こうの山のほうだ! みんな、逃げろー!」


 男の声で、辺りが静まり返る。

 その直後、住民たちが一斉にパニックに陥った。

 暴動に巻きこまれそうになる刹那、スザクが俺たちを抱えて跳躍していた。その場から離れたことで、どうにか市民に踏みつぶされるという事態は免れる。


 俺たちを屋根の上におろしたスザクが、ひとちるようにつぶやいていた。


「なんでしょう。ブロンズデーモンと話していたように聞こえましたが……」


 彼女の発言から、それが俺の聞き間違いでなかったことが分かる。

 ……ブロンズデーモン。ネモフィラ南部のボスだ。


「まさか……また、あれが?」


 ドロシーでさえも、目を泳がせて驚きをあらわにしていた。

 俺の頭に、復讐ふくしゅうに燃える男の姿がよぎる。

 ボスを倒すのは、それこそ一流の冒険者であっても難しいはずだ。

 そんなものに無策で挑めば、命がいくらあっても足りないだろう。

 アルバートの身が危ない!

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