第11話 俺、クレバリアス家に無断で侵入する。

 ドロシーが俺の手をつかんで走っている。

 後ろから見るドロシーの姿は、下半身の一部と左腕が血で赤く染まっていた。

 厚手の衣服を真っ赤にするだけの出血。

 確認するまでもなく、足のほうは重症だろう。

 応急処置でもなんでもいい。

 俺にとっては、彼女の手あてが何よりも優先事項だった。

 やがて、息を荒らげたドロシーが、自分の太ももを押さえて立ち止まる。


「もはや私は足手まといです。ご主人様だけでも、先にお逃げください」


 そう言って、俺の手を振りほどいた。

 俺1人だけを生き残らせようとしている。

 そんなドロシーの、あまりに俺とは違う考え方に、俺は苛立いらだちを隠せなかった。


「ふざけるな! 俺はお前を決して見捨てない。それに、ドロシーがいなくなったら、見るからに俺は生きていけないでしょうが!」


 高らかなるダメ男宣言。

 ただのわがままでも、傲慢な願いであっても構わない。

 俺はこれから先もドロシーと共にいたいんだ。

 そんな俺の気持ちが、彼女に伝わったかどうかは分からないが、ドロシーが諦めたようにうなずいていた。


「……クソみたいにしょうもない理由ですが、とりあえずは、メイド冥利に尽きるとでも言っておきましょうか」


 しかし、虚勢を張っても目の前の現実は変わらない。

 肝心のドロシーは怪我けがを負ったままだし、俺のステータスはごみカスのまんまだ。

 どうする?

 俺に何ができるんだ。あるいは、俺のスキルならいったい何ができるんだ。

 どちらにせよ、時間が全然足りない。

 考えるための猶予が必要だ。

 一旦は、身を隠せる場所を探さなくてはならないだろう。

 俺はドロシーの手を取って、居住区へと向かっていた。居住区といっても、それは一般市民たちが暮らしている左翼じゃない。右翼側の、金持ちたちのほうのエリアである。


 俺の行動を理解できなかったドロシーが、不安げに声を上げる。


「ちょ、ちょっと。こんな場所に来ても、助けなんか求められないんじゃないですか? お金持ちの人たちは、誰も私たちと関わり合いになんて、なりたくないですよ」


 余裕がなかった俺は、彼女の声に応えることができなかった。小走りになりながら、スキルを発動していたためだ。


 走りながら、文字を読む。

 当然、三半規管へは大ダメージだ。

 酔って吐きそうだったが、そんなことはどうでもいい。

 それに、なんの因果だか、酒のおかげで吐き気と嘔吐おうとには慣れている。

 俺がスキルで探していたのは、雪乃ゆきのの町にあるの位置だった。

 現在地と照合すれば、この付近に、廃屋として放棄されている建物を発見する。

 居住区の左側と違って、ここでは次の家主が簡単には見つからないのだ。金持ち自体が少ないからだろう。俺はそれを狙っていた。


 この世界にも、不法侵入の概念はあるかもしれないが、今は緊急事態だと割りきるほかない。

 手を引いて、俺はそこに逃げこんでいた。


「住人に見つかってしまうのでは?」

「大丈夫だ、ここはだ」


雪乃ゆきのの町に来てから、まだ日の浅いはずのご主人様が、どうしてそれを知っているのでしょう……)


 ドロシーが何か言いたそうにしていたが、結局、口を開くまではしなかった。乱暴な手段を取った俺のことを、暗に責めていたのかもしれない。


 運よく、鍵の閉まっていなかった窓を見つけたので、そこから室内に入る。

 すぐさま、世界攻略指南ザ・ゴールデンブックで応急手あての方法を調べた俺は、見よう見まねで手あてを実践していった。


 自分の手と足に治療を施していく俺の姿を見て、ドロシーがひとちるようにつぶやく。


「ご主人様に、こんな器用な一面があったなんて、驚きましたよ」

「悪い……」


 返す言葉が思いつかなくて、俺はついつい謝罪の言葉を口にしていた。


「なんで、ご主人様が謝るんですか」


 女に怪我けがをさせて謝らない男がいるなら、俺がそいつのもとまで行って、殺して来てやるよ。

 そんな、できもしないことを言いそうになる。

 気まずい沈黙を破ったのは、不愉快なことに俺たちを捜索する男たちの声だった。


「メイドのほうは足を怪我けがしている。近くにいるはずだ!」


 もう追いつかれたのか。

 ここも時間の問題かと、俺はため息をつきたい気分だった。

 考えたくはないが、最悪の場合には、ドロシーを優先して生かすことを、決断しなくちゃいけない。

 もう1回死ぬのかと思うと、それだけでも軽く憂鬱だが、俺の人生はすでに1度終わっているんだ。異世界での活動は、たまたま神様からもらった延長戦にすぎない。俺とドロシーでは、その命の重みに根本的な違いがある。


「それに俺は男だからな」


 女を守らなくちゃいけない。ずっと守られてばっかりだけど。せめて、最後くらいは覚悟を決めよう。

 俺を不審げに見つめるドロシー。

 俺は首を横に振って、なんでもないことを伝えると、話題を彼女のお父さんにずらしていた。


「俺たちをピンポイントで狙っているのだとすれば、村にいるブライアンさんが心配だ。あっちは大丈夫だろうか」


「私の家族を狙うということですか? それなら、ご主人様だって」

「いや、俺に家族はいないよ」


 予想外の発言だったのか、つか、ドロシーからの返事が途切れる。


「……。相手にそこまでの知恵があるのかは謎ですが、恐らく父なら大丈夫でしょう。あぁ見えて、戦闘の経験を積んでいます。さすがに本職の兵士には遠く及びませんが、身を守るくらいならば問題ないかと。病み上がりでも、ご主人様よりは戦えますから」


 最後の一言は余計だと思ったが、ドロシーは俺に、自分のことだけ考えていろとでも言いたいのだろう。


「あの村の結束力を考えれば、心配は無用か。それなら、予定よりちょっと早いが、俺たちは町を離れるのが一番かもな。ドロシーもついて来てくれるんだろう?」


「もちろん、そうなったら従いますが、今行動するのはどうなんでしょう。居住区からでも町を抜け出せますが、そうなると道なき道を歩くことになります。この場合、敵と鉢合わせたときは最後です。それにこの私の足では、どこまで露払いの役目を果たせるのか……」


 そう言って、ドロシーが自分の太ももをさする。

 言わんとすることを理解した俺は、ただちに前言を撤回した。


「なるほど、却下だな。俺は決して、ドロシーを死なせるつもりなんかないぞ」

「分かっています。しかし、そうなると、いったいどこへ身を隠しましょうか。……あっ」


 何かをひらめいたように、ドロシーが声音を弾ませる。

 うなずき、俺はドロシーに発話を促していた。


「もしかしたら、なんとかなるかもしれません。クレバリアス家に向かいましょう!」

「それは……ドロシーが前に勤めていた、資産家の屋敷か?」

「そうです。持ち主が亡くなってからも、遺品の整理を任されていますので、私なら問題なく入れます。あそこなら、敵もすぐには手を出せないでしょう。私とクレバリアス家を結びつけるのに、時間がかかると思いますので」


 いい案だと思った。

 俺たちに必要なのは、作戦を練るだけの時間だ。何をするにしても、落ち着いて考えることのできる環境が必須だった。


 外では、敵が今も俺たちのことを捜索している。

 タイミングを見計らって、すぐさま俺たちは移動を開始していた。

 クレバリアス家も居住区のルールに漏れず、金持ち側のエリアに存在している。つまり、俺たちが今いる場所の近くにあるということだ。


 ほどなくして、ドロシーの案内で俺は豪邸を見つけていた。

 いったいどこに隠してあったのか、裏口の鍵を取り出したドロシーが、音を立てずにゆっくりと扉を開ける。


 侵入。

 ドロシーにならって、俺も適当に室内を物色した。

 盗むのは気が引けたが、状況が状況だ。一時的に、拝借しているだけと思うしかない。


「ご主人様さえよければ、きっといつか新品を買って返しますよ。何枚かの金貨シルガは失うかもしれませんが」


 俺の心の変化を読み取ったのだろう。


「最高級のやつをプレゼントしてくれ」


 俺の冗談に、ドロシーが微笑ほほえむ。


「これで、いくらかの時間は稼げたと思いますが、どうしますか? 状況が落ち着くまで、隠れて待っているというわけにはいかないでしょう。逃げるにしても、相手を迎え撃つにしても、今のままじゃ戦力不足です。元々、私はベロニカさんとは違って、武闘派のメイドじゃないので……なんですか、その顔は?」


「ううん、どうぞ続けて」


 ドロシーが武闘派じゃなかったら、武闘派のメイドってなんなんだろう。新種のバーサーカーとか?


「端的に言えば、新たに人を雇うべきかと」

「冒険者ギルドに依頼を出すってことか」

「……最悪の場合は。できれば、それは避けたいです。時間をかけて、じっくりと選ぶのであればともかく、あのような場では、質の低い人材しか見つけられないと思います。私が一番恐れているのは、仲間からの裏切りです。その危険がある中、冒険者ギルドに頼るというのは、得策ではないんじゃないでしょうか」


 ドロシーの指摘は一理ある。

 思い返してみても、酒場にはガラの悪い連中しか出入りしていなかった。

 モンスター相手には頼もしいかもしれないが、思わく入り乱れる対人戦では、あまり味方にしたくはない。


「……ならば、不本意だがタマーラの手を借りるか。これ以上、タマーラとの関係を強くするのは、リスクな気もするが、背に腹は替えられない」


 俺がタマーラを信頼できないでいるのは、彼女の才能が突出していることももちろんあるが、偽名であることもまた大きな理由の1つだった。


 タマーラという名前が真実ではない。

 それは世界攻略指南ザ・ゴールデンブックを使ったからこそ、分かった情報だ。

 単にタマーラのことを、優秀な商人としか思っていないドロシーは、俺の警戒に労わるような目線を向けて来る。


「何か気がかりな点が?」

「いや、俺の勘違いもしれない。ドロシーは気にしなくて平気だ」

「分かりました。では、できるだけご主人様の意向に沿って、私が市中に戻って適材を見つけて来ます。無理だったときは、タマーラ商会に声をかけてみます。それでいいですか? ご主人様は、ここで待機していてください。敵の狙いは私ではなく、恐らくご主人様です。くれぐれも、大人しくしていてくださいね」


 そう言って、ドロシーは弱った体にむちを打つべく、痛み止めを服用していた。

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