第10話 俺、泊まっている宿屋で夜襲を受け、不本意ながらも逃走する。
夜中。
不穏な空気を察知したドロシーが、俺の部屋のドアを乱暴に
「ご主人様、起きていますか……。というより、すぐに起きてください」
トントンという音が、次第にドンドンに変わり、ついにはドシドシという、建物全体を揺らす音へと変貌を遂げる。
さすがに、そこまでされれば、いくら寝始めたばかりといえども目が覚める。
俺はどうにか目をこすって
「仕方ありませんね。扉を破壊します」
冷静に意味不明なことを宣言するドロシーに、俺はたまらず声を発していた。
「今起きました! すぐ起きました! お早うございます! 今日もゼンキチは元気です!」
言いながら、ノータイムで鍵を開く。
そんなにぽこぽこ扉を破壊されたんじゃ、施錠をしている意味がない。もはや、鍵をかけていないほうが安全でさえある。壊れた破片が飛んで来ないからね。
俺が開錠すると同時に、押し入って来るドロシー。そのまま両手で俺の胸倉をわしづかみにすると、俺を中空へと持ちあげていた。
「どうでもいいことで、わざわざ夜中にご主人様の部屋になんか、訪れるわけがないんですから、ちゃんと1回で起きてください。全くもう」
「それ……より俺……の、首を……絞めないで」
ようやく、ドロシーが手を離してくれたので、俺は地上の人間に戻れた。
すぐに起きろとはまた、無茶を言いなさる。これでも寝起きはいいほうだ。それにあれだよ? 言いたかないけど、俺は君のご主人様だよ――やっぱ今の
目を見開いたドロシーが、俺の両肩をがしりと
「緊急事態です。『草っぱ原っぱ』が何者かに囲まれています」
「……どこ、そこ」
「私たちの宿屋が、何者かの襲撃を受けているんです!」
この宿って、そんなファンシーな名前だったの?
突っこむところが多すぎるが、喫緊は襲撃の話だ。
「囲まれているって、さっき襲って来た連中の仲間か?」
俺は酒場付近での出来事を振り返りながら、ドロシーに尋ねた。
「分かりません。ただ、今度は敵の数が多すぎて、戦闘になった場合に、ご主人様を守りきれるかどうか……。向こうの目的も分かりませんし、ただの物取りと考えるわけにはいかないでしょう。私たちに一切危害が加わらないというのは、ちょっと事態を楽観視しすぎています。というより、もしもご主人様が無関係なのだとしても、メイドとして、何もせずに見過ごすわけにはいきません。ここから避難しましょう」
ちょっと心配しすぎな気もするが、現に俺たちは一度襲われているのだ。
理由はどうであれ、眠りを中断して起きあがったのであれば、万が一に備えるというのも、悪くはないのかもしれない。
だが、どこに避難するのかと、妥当な疑問が浮かぶ。
「移動場所は……そのための別の宿屋か。なるほどな。逃走ルートはどうする? 敵の数は多いということだったよな」
「はい。まず間違いなく、入り口は見張られていると思いますので、窓から出ましょう」
平然と言ってのけるドロシーに、今度は至極真っ当な疑問が浮かんだ。
「あれ? うん。でも、ここ3階だよね。非常階段的なのって、あったっけ?」
外から見た状態の間取りを思い出してみるが、全然記憶に合致しない。
「いえ、もちろん飛びおります。ご主人様も男性なんですから、たかだか3階から着地するくらいは平気でしょう?」
「それは、どこの世界の男の話をしておられるか?」
そりゃ、とんでもない恐怖に打ち勝って勇気を出せば、飛びおりること自体は俺でも可能だろう。ただし、骨折は免れないし、下手したら俺は死ぬ。確実に動けなくなるんだから、逃走なんかできるはずがなかった。
「はぁ、分かりました。では、私が抱えておりますので、ご主人様はそこに座ってください」
言うやいなや、窓を開けたドロシーが、なんのためらいもなく俺のことをだっこした。
やだ素敵。
ドロシーの男らしさに感動したのも、ほんの一瞬。
次の瞬間には、俺を抱えたままドロシーが軽々と宙を舞った。
恐怖。
次いで、着地。
どすんという重たい衝撃が、ドロシーの足に伝わり、俺のほうにまで響いて来る。
「平気なの?」
俺のために無茶をしてしまったんじゃないかと、不安になっておずおずと聞けば、ドロシーからは当たり前だという答えが返って来た。当たり前ですか、そうですか……。
そうして、立ったままの状態でドロシーが手を離したので、俺は背中から地面に落下していた。超
「あとは自分で歩いてください」
「……もっと優しくして。あなたの主人は、とっても非力なの」
ゴミを見る目でドロシーが俺に応える。
あぁ、ちょっと違うな。もうちょいジト目の度合いを、弱くして欲しいんだよ。俺が馬鹿なことをしたら、笑いながら
だが、いつまでもじっとしていられる余裕はない。
急いで立ちあがると、すぐにその場から離れていた。
ドロシーが1人で、先行して様子を
彼女が去ってから、5分ほど経過しただろうか。
偵察に行っていたドロシーが、さっきとは違う方向から姿を見せていた。……そういう
「
そう言って、ドロシーは俺に頭を下げる。
「気にするな、ドロシーのせいじゃない。それに、これではっきりしたじゃないか。向こうの狙いは俺たちで確定だ」
ドロシーが驚いた様子で俺を見つめる。きっと、自分の命が狙われているにもかかわらず、思いのほか冷静な俺の胆力に、見直したと感心しているんだろう。だがな、よく下のほうを見てみろ。俺の
そこに男たちの声が響いて来る。
「クソっ、逃げられた! まだそう遠くまでは行ってねぇはずだ。お前ら、探せ!」
だが、それも時間の問題だ。
どうするべきかと思案を続ければ、俺はドロシーから聞いた話を思い出していた。
「そういや、ドラ=グラはどうなんだ? そこになら、助けを求められるんじゃないか?」
俺は妙案だと思って尋ねたのだが、ドロシーは力強く首を横に振って、それを否定する。
「いえ、それは不可能だと思います」
「なぜだ?」
「ドラ=グラは、治安の維持が目的じゃないからです。あくまでも、ギルドの理念は
「俺かドロシーのどちらかが死んで、初めて役に立てるってか。笑えないな、問題外だ。俺たちだけでどうにかするしかないな」
打つ手なし。
仕方なく闇雲に移動することを試みるが、何度か道を曲がったところで、とうとう敵に見つかってしまっていた。
相手は4人。
さすがに素手では厳しいと判断したのか、ドロシーがポケットから短刀を取り出す。
疾駆。
先手必勝とばかりに、ドロシーが手近の男に肉薄。
利き腕を切り裂いて、すばやく1人を負傷させるも、それを
「あの女、やべぇな。相当な
「メイドは無視だ! ガキのほうを集中的に狙うぞ」
敵の作戦変更。
今まで以上に俺を
はっきり言えば、不利になっていた。
そこに来て、追い打ちをかけるように新たな敵。
2人が加わったことで、眼前の相手は合計で5人となった。
多対一。
いくらドロシーのステータスがずば抜けていても、俺というお荷物を背負っていては限界がある。
追加で来ていた敵のうち、どうにか1人を負傷させるも、ドロシー自身も
「このままでは、じり貧です。ご主人様、覚悟してください。一か八か、突破口を開きます!」
駆けだすドロシーの背中に向かって、俺も懸命に足を運ぶ。
そうはさせまいと、相手も道を塞ぐが、ドロシーの猛攻に耐えられず、1人が地に伏せた。
残った3人による連係攻撃。
初めの2つを避けるも、足を狙った攻撃が、もろにドロシーの肉を切り裂いていた。
「ドロシー!」
「いいから走って!」
怒声。
無論、俺のほうに手が伸ばされるが、それをドロシーが体あたりで食い止めていた。
そのまま体重を強引に相手へぶつけ、反動を利用してドロシーがすぐさま立ちあがる。
追いついて来たドロシーが俺の手を
✿✿✿❀✿✿✿
ゼンキチとドロシーが全速力で走る。
それをオジロワシの面々も、必死になって追いかけていた。
その途中、1人の男が何もないところで不意に立ち止まった。屋根の上に人がいるのを認めたためである。
屋根の上の人物に見覚えがあることが分かると、男は彼に呼びかけていた。
「……そこにいるのは、エッカルトか? どうしてこんなところにいるんだ。お前は、もう1つの宿屋のほうを、部下と一緒に見張っていたんじゃねぇのか?」
「そうですね」
エッカルトと呼ばれた男は、月光に照らされた口元に微笑を浮かべたまま、自分の仲間を見おろしていた。
オスカーには優秀な部下が2人いる。
その右腕をランドルフとするならば、左腕がこのエッカルトだ。ランドルフは武力でオスカーを支え、一方のエッカルトは、頭脳でリーダーを補佐した。エッカルトがオジロワシに加わったのは、つい最近の出来事であったが、その活躍は目覚ましく、たちまち誰もが認める上司となった。
エッカルトのことだ、また何か考えがあるのだろうと、男は彼の登場を深く気にしない。
「まぁいい。ガキとメイドを見つけたんだ。今なら、やつらは手負いだ。手伝ってくれ」
だが、仲間の言葉にエッカルトは何も返さない。
その態度に、さすがに地上にいる男が不審に思っていれば、背後から
一部始終を目撃したエッカルトに、驚くそぶりは見られない。
それがさも自明であるかのように、うなずくばかりだ。
「やっぱり、君のスキルは便利だねぇ」
「探しましたよ、ゴットハルト隊長」
部下の言葉にエッカルト――もとい、ゴットハルトは苦笑を浮かべた。
「ここではエッカルトだよ、まだね」
「失礼しました。……潜入捜査の結果はいかがでしたか?」
「い~や、全然。ここのチームも『鍵』とは無関係だった。まぁ、そんなことだろうとは思っていたから、失望はないけど。元々、ここの町にはブロンズデーモンの調査で、やって来ただけだしね」
言葉とは裏腹に、それなりにがっかりしているようで、エッカルトは疲れたように、何度も伸びをくり返していた。
「そちらのほうは?」
「ん? あぁ、ブロンズデーモンね。見つけたよ。でも、心配はいらない。ちゃんと封印されていた。あのぶんだと、誰かが故意に札を剥がさない限り、当分は復活しないだろうさ。よっぽど腕の立つ呪術師が、封印を施したんだな」
だが、ゴットハルトの視線は鋭い。
施されている封印が、強力な割に、簡単に剥がせるような仕組みだったためである。これほどの力を持っている呪術師が、そんなミスを犯しているとは考えにくい。つまり、わざとだろう。
何が目的かは分からないが、不親切なやつだと、ゴットハルトは胸中で深いため息をつく。
「それなら、安心ですね」
「うん。俺でさえ見つけるのに苦労したからねぇ。よっぽど執念深く、ブロンズデーモンを探しているやつでもいない限り、大丈夫だと思うよ」
そう言って、茶化すように笑ったゴットハルトは、アルバートの存在を知らない。
潜入捜査を終えたゴットハルトは、そのまま女と共に闇に消えた。
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