第四章

 そうして、永久に続くかのような悪夢から目を覚ますと、その傍らにはあいつがいた。

「おはようございます。先生」

 彼はそう言って微笑んだ。その笑みは少年的といってもよかった。少年的な、無邪気で残酷さを隠さない笑みを彼は浮かべ、言った。

「本当のことを話して下さい」

 私は寝巻のまま、寝室から逃げ出した。

「先生、どこへ行こうというんですか?」

 私は書斎へと逃げ込んだ。彼は百科事典を持って私を待っていた。

「ここは私たちの故郷じゃないですか。なぜ逃げられると思ったんです?」

 私は書斎の扉を閉じ、妻の部屋へと向かった。

「人間の美しさ、肉体的にも精神的にも、およそ美に属するものは、無知と迷蒙からしか生れないね。。同じ無知と迷蒙なら、それを隠すのに何ものも持たない精神と、それを隠すのに輝かしい肉を以てする肉体とでは、勝負にならない。人間にとって本筋の美しさは、肉体美にしかない(七四)……これがもし本当なら、今のあなたは一体何なのですか?」

「お前こそ何者なんだ。お前の語る言葉には、私が書いていない作品がある!」

「同じ言葉を返します。なぜあなたは、書いていないはずの作品について記憶をしているんですか?」

 私はまた逃げ出した。螺旋階段を降りようとして転び、階下で私は座り込む。そこにはやはり、かの青年がいる。

「あなたは偽者のはずです。時おり、自分の一人称が怪しくなることすらあります。ですが、あなたは覚えている。書いていないはずの、かの作品について……もしかすれば、あなたは、未だ書かれない作品の目論見を語っていたの(七五)ですか?」

 私は逃げ出す。外に出、門から外界へと出ようとする。しかし、扉は開かない。

「あなたにはもはや外界はありません。あなたが『金閣寺』を書いた時、主人公は究竟頂の扉を開くことができなかった。なぜです? 今やこの白亜の屋敷は金閣寺と同様のものです。燃やせないのですか? あなたには、金閣寺が」

 私は逃げ出した。逃げ出した先で見たあいつは、男から女へと変化していた。

「己惚れていらしたんでしょう? 人間って、自分にも何かの取柄があるということは、すぐ信じたがるものですからね」(七六)

 また逃げた。その先にもまた、あいつはいた。

「あなたには必然性もなければ、誰の目にも喪ったら惜しいと思わせるようなものが、何一つないんですもの。あなたを喪った夢を見て、目がさめてからも、この世に俄かに影のさしたような感じのする、そういうものを何一つお持ちじゃないわ」(七七)

 逃亡した。

「そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいいんです」(七八)

 言葉は繋がった。数珠のように繋がる言葉は詩となる。

「あんたは本当のところ、今の自分の状態が満更でもないんだ。世界中の人が自分をお手本にし、自分のとおりになったら、それが救済だとさえ思っている。あんたはともかく生きている。いくら片輪になっても生きているということは一つだ。だからあんたは、若いときの花やかな生活だの、人を小莫迦にした芸術的著作だの、収拾のつかなくなった女道楽だの、そんなものの続きにあらわれたすばらしい休暇を送ってるんだ。絶対の休暇、あんたは俺たちの上に、そのからっぽのすばらしい休暇をいつも見せつけているんだ。永年心に抱いていた考えを、今は公然と見せつけることができるんだ。『人間なんて大したものじゃない。……あ……あ……あ』そうして涎を垂らす。人の大事にしている観念を、片っぱしから訊き返して、無意味なものにしてしまう。『意志? あ……あ……あ』あんたは魂の荒廃を自分の権利にしてしまい、人にそれを護るように命令する。――え? そりゃあみんな好きではじめて、好きでやっていることだろう? それなら俺のどこが悪いんだ。俺のどこが憎いんだ。言ってみな! 言ってみな! 言ってみな!」(七九)

「もう死んだのかっ?」(八〇)

「つまり僕が平凡な人間だということを仰言りたいんでしょう」(八一)

「人の世界でそんなことが通るとすれば、それは直ちに自然をないがしろにし、天地の運行を狂わせることになり、日は西から昇り、子供の胎からおふくろが生れ、蛾は羽根を畳んで繭の中へもぐり込み、燕は秋に来、鶴は春に訪れるようになるであろう」(八二)

「あなたは歴史に例外があると思った。例外なんてありませんよ。人間に例外があると思った。例外なんてありませんよ。

 この世には幸福の特権がないように、不幸の特権もないの。悲劇もなければ、天才もいません。あなたの確信と夢の根拠は全部不合理なんです。もしこの世に生れつき別格で、特別に美しかったり、特別に悪だったり、そういうことがあれば、自然が見のがしにしておきません。そんな存在は根絶やしにして、人間にとっての手きびしい教訓にし、誰一人人間は『選ばれて』なんかこの世に生れて来はしない、ということを人間の頭に叩き込んでくれる筈ですわ」(八三)

 そうした声は輪唱となり、私へと問いかける。

「お前は三島由紀夫ではないのか?」

 私は叫ぶ。

「私は三島由紀夫なぞ知らん!」

 声は続いた。

「では三島由紀夫とは誰だ?」

 私は叫んだ。

「私は三島由紀夫などという奴のことは知らない!」

 声は続いた。室内へと逃げ込んでも、この責め苦は続いた。

 私は宣言した。

「私は三島由紀夫じゃない。三島由紀夫ではないんだ……だからもう、恕してくれ! 私にはもう、三島由紀夫であり続けることはできないんだ」

 そう言って私は涙を流しながら、何年も触れていないレコードを最大音量で流し始めた。私を詰るそれらの声がかき消されることを祈って。

 そのレコードは、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲』だった。


        ⁂


 耳を切り裂くような大音量で、それは流れ出した。

 その大音量の中で、家の戸を叩く音がした。不思議なことに私は戸を叩く者があいつでないという確信を抱いていた。

「先生!」

 家の前に居たのは聡子だった。

「先生……傷だらけじゃないですか。頭から血が流れていますよ」

 すぐに介抱しようとした聡子の手をさえぎって、私は言った。

「それより聡子さん。テレビをつけてくれないか」

「レコードは止めますか?」

「止めなくていい。音はどうでもいい。ただ、テレビが見たいんだ」

「先生がそう仰るなら」

 そういって聡子はテレビをつける。

 テレビでは緊急特番が流れている。どうやら、演説中の元首相が銃撃未遂にあったらしく、護衛に取り伏せられる青年の姿と、病院からの中継で健在の姿を見せる元首相の男の姿があった。

 私は何故かそこで一つの確信を得たのである。……元首相を銃撃したその男こそが、彼では、あいつではなかっただろうか? 半ば妄想に近いその考えは私の思考にこびり付き、以後私が彼に、あいつに出会うことはなかったのである。


        ⁂


 それから幾らかの日月が経過した。彼は、あいつはどこにも現れない。結局私は彼に対し、本当のことを話しそびれてしまった。しかし、もはやそうしたことはどうでもいいことだろうと思う。

 一連の事件は私に区切りをつける決心をさせた。

 まず、遺族が遺産分配で気を揉むことがないように、生前贈与をすることにした。投資家の男に管理させていた財産の殆どを現金化し、数えられる資産の大半を息子と娘へと分配した。また、四谷にある白亜の屋敷も売り払い、処分した。生前贈与をしてもなお余りある老後資金が私にもたらされ、その不安のなさ、生活の揺るがなさに私は一抹の不安を覚えたが、それもじきに忘れ去っていった。

 家を引き払う二週間前に、私は唐突に旅に出たくなった。

 最後の奉公をさせてほしいと追いすがる聡子を断り、私は旅に出た。方向は決めていなかったので、近くの神社で御神籤を引いた。

「旅行――凶。殊に西北がわるし」

 と書いてある。私は西北へ旅をしようと思った。(八四)


 私は、以前に『春の雪』を書いた時に取材した尼寺へと行った。

 奈良の空は晴れやかで、雲一つ浮かんでいない。老人には厳しい日であるが、今さらに死を怖れるようなこともなく、私は大変な量の汗を流しながら、尼寺へと辿り着いた。

事前に連絡していたため、私は現地である高齢の尼門跡に会うことができた。

 実に朗らかな老婆であった。会話は弾み、仏教の説話とその解釈などについて大いに話し合った。

「あなたは随分と面白い人ですね」

 と言うように、私を先生とわざわざ呼ぶことがないその態度を私は気に入ったのだった。

 ふと私は悪戯のようなつもりで、『春の雪』の筋を、実話のような調子で尼に話した。

 以前私が尼寺で『春の雪』の話をしたところ、それはどこで聞いた話か? と問い詰められたことがあり、私はその時と同じ反応を期待したのだった。

 しかし、尼はそのような話は聞いたことがないと言う。そこで私は悪戯を重ね、自分は三島由紀夫という文学者で、その作品の筋がそのようなものなのだと説いた。しかし、尼は何も知らぬ存ぜぬと言った態度で、三島由紀夫という文学者を私は知らないと言った。

 流石にそのようなことはないだろう、と私は思い説明をしてみるが、尼は知らぬとばかり言い、最後にはこのように言ってみせた。

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」(八五)

 不思議な話で、私はその尼の言い方に何か聞き覚えがあるような気がした。しかし、どこでそれを聞いたのかも思い出すことができず、私は彼女の言のように、自分自身の記憶の曖昧さについて思案をした。

 果して、私は何を書いてきたのだろう。私は、何を書きたかったのだろう。私は、何をしたかったのだろう……。もはや、豊饒の海の第四作目は永久に書き上げることができないであろう。今の私は、自分の書いた作品の中身さえも徐々に忘れようとしている。未だ書き上がらぬ未完の作品の中身など、覚えていようはずもない。

 小説を書かない私はもはや、私ではない。かと言って、行動も認識ももはや、老いなる病を前にして曖昧なものとなりつつあり、全ては霧散し、消えようとしている。

「記憶とは全く、不確かなものですね」

 と言った私に対し、尼は答えた。

「それも心々ですさかい」(八六)

 直後、尼は別の僧に呼ばれ、その場を去った。境内を自由に見る許可を得ていた私は、奥の方へと歩んでいく。

 奥には、庭がある。

 脳裏で想起される文言が、果して何に由来するものなのか……今の私には、分からない。それは、以下のようなものである。


 芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼きそうな青緑の陶の榻が、芝生の中程に据えられている。そして裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳やかしている。

 これと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るような蝉の声がここを領している。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……(八七)

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