第6話 最悪の修学旅行にとどめ

我々O市立北中学校一行の修学旅行第一日目の宿泊地は、東京都文京区にある「鳳明館」。


長い歴史を持ち、地方からやってくる修学旅行生御用達の宿だ。


なるほど、かなり昔に建てられたと思しき重厚な外観と内装をしている。


カツアゲに遭っていなければ私も中学生ながら感慨にふけることができたであろう。


だが、この宿に関して旅行前からちょっとした懸念材料があった。


ぶっちゃけた話、私は普段の学校生活で嫌な思いをさせられていた。


それも冗談で済むレベルではない。


トイレで小便中にパンツごとズボンを下ろされたり、渾身の力で浣腸かまされたりのかなり不愉快になるレベル、即ち低強度のいじめに遭っていた。


その主たる加害者である池本和康が同じ部屋なのだ!


おまけに小阪や今日最高に嫌な奴だとわかった大西も同室で、あとの二人も悪ノリしそうな奴らであるため、一緒に一つ屋根の下で夜を明かすのは非常に危険と言わざるを得ない。


部屋割りはこちらの意思とは関係なく旅行前に担任教師の矢田谷とクラス委員によって一方的に決められており、その面子が同室であることを知った時はそこはかとない悪意を感じざるを得ず、私は密かに抗議したが、陰険な矢田谷の「もう決まったことだ」という鶴の一声で神聖不可侵の確定事項となっていた。


もっともその宿に到着した頃、私の精神状態はカツアゲの衝撃でショック状態が続いていたために旅行前に感じた部屋に関する懸念については部分的に麻痺していた。


同じ部屋の面子のことなどもうどうでもよい。


今日出くわした災難に比べればどうってことないと。


ちなみに夕飯を宴会場のような大きな座敷で食べた後は入浴の時間だったが、私はあえて入らなかった。


いたずらされるに決まっているからだ。


実際に二年生の時の林間学校ではやられていた。


同じ部屋の連中が風呂に入ってさっぱりして帰って来た時、私はもうすでに敷かれていた布団に入っていた。


今日はもう疲れた、もう寝よう。


明日になれば少しは今日のことを忘れられるだろうと信じて。


しかし、私はこの時全く気付いていなかった。


本日の悲劇第二幕の開幕時間が始まろうとしていたことを。


とっとと寝ようと思ってたが、消灯時間になっても眠れやしない。


小阪や池本、大西及びあとの二人も寝ようとせずに電気をつけたままジュースやスナックの袋片手に話を続けていたからだ。


「やっぱ、前田のケツが一番ええわ」


「ええなー、池本は前田と同じ班やろ?うちのはブスばっかだでよ」


「小阪ンとこはまだええがな、うちは岡と芝谷だで。あれんた女のうちに入らへんて」


話題はもっぱらクラスの女子の話で言いたい放題、時々下品な笑い声を立てる。


女子に関してなら私も多少興味があったので目をつぶりながらも聞き耳を立てていたが。


しかし彼らはほどなくして私の話を始めやがった。


「ところで、あいつカツアゲされとるよな、絶対」


「ほうやて、泣いた後みたいな顔しとったもん」


いい加減しつこい奴らだ。


だが私に関する話題は続く。


「そらそうと、あいつ今日風呂入って来なんだな。せっかくあいつで遊んだろう思うとったのに」


やっぱり池本は何かするつもりだったんだ。風呂に入らなくて正解だ。


「あいつってムケとるのかな?」


大西がここで、突然嫌なことを言い出した。


「なわけないやろうが、毛も生えてへんて。俺、林間学校で見たもん」


小阪の野郎!言うなよ!


つい前年の林間学校の風呂場で小阪は私の素朴な下半身を散々からかってくれたものだ。


彼らの会話がどんどん不快な方向に発展しつつあった。


カツアゲのことを蒸し返されるのもムカつくが私の下半身の話も相当嫌だ!


「なあ、そうだよな!あれ?おーい。もう寝とるのか?」


どうしてヒトの下半身にそこまで興味があるのかこの変態どもは!誰が返事などしてやるものか。


こっちはもう寝たいんだ!


私は断固相手にせずにタヌキ寝入り堅持の所存だったが、池本の恐ろしい一言で考えを変えざるを得なかった。


「ほんなら、いっぺん見たろうや!」


何?!それはだめだ!私の下半身は林間学校の時から変わらないのだ!


「おもろそうやな」「脱がしたろう」


他の奴らも大喜びで賛同し、一同そろって私のところに近づいてくる。


私は思わず布団にくるまり、防御態勢を取った。


「何や、起きとるがやこいつ。おい、出てこいて」


「やめろ!」


五人がかりで布団を引きはがされた後、肥満体の池本に乗っかられ、上半身を固められた。


「おら、脱げ脱げ」と他の奴が私のズボンに手をかける。


「やめろ!やめろて!!やめろてえええ!!!」


私は半狂乱になって抵抗して声を限りに叫ぶが、彼らの悪ノリは止まらない。


畜生!何でこんな目に!


前から思っていたが、うちの両親はどうして反撃可能な攻撃力を有した肉体に生んでくれなかった!


五体満足の健康体な程度でいいわけないだろ!


私がなぜか両親を逆恨みし始めながら、凌辱されようとしていたその時だ。


ドカン!!


入口の戸が乱暴に開けられる音が室内に響き渡り、その音で一同の動きが止まった。


そして、怒気露わに入ってきた人物を見て全員凍り付いた。


「やかましいんじゃい!!」


その人物はスリッパのまま室内に上がり込むなり凄味満点の声で怒鳴った。


我がO市立北中学校で一番恐れられる男、四組の二井川正敏だ!


やや染めた髪に剃り込みを入れた頭と細く剃った眉毛。


私をカツアゲした連中と同じく、いかにもヤンキーな外見の二井川は見かけだけではなく、これまで学校の内外で数々の問題行動を起こしてきた『実績』を持つ本物のワル。


池本や小阪のような小悪党とは貫禄が違う。


「何時やと思っとるんじゃい?ナメとんのか!コラ!!」


そう凄んで足元にあった誰かのカバンを蹴飛ばして一同を睨み回すと、池本や小阪、大西らも顔色を失った。


もう私にいたずらしている場合ではない。


どいつもこいつも「ご、ごめん」「すまない、ホント」と、しどろもどろになって謝罪し始めている。


ざまあみろ!池本も小阪も震え上がってやがる。


さすが二井川くんだ!


普段は他のヤンキー生徒と共に我が物顔で校内をのし歩き、気に入らないことがあると誰彼構わず殴りつけたりする無法者だが、二井川くんがいてくれて本当によかった。


災難続きのこの日の最後に、やっとご降臨なされた救い主のごとく後光すらさして見えた。


この時までは…。


「さっき一番でかい声で“やめろやめろ”って叫んどったんはどいつや!!」


え?そこ?夜中に騒ぐ池本たちに頭に来て、怒鳴り込んで来たんじゃないの?


「あ…ああ、それならこいつ」


池本も小阪も私を指さした。


二井川の三白眼がこちらを睨む。


「おめえか、やかましい声でわめきおって!コラァ!」


二井川は私の胸ぐらをつかんで無理やり引き立てた。


「え、いや、だってそれは…」


大声出したのは、こいつらがいたずらしてきたからじゃないか!おかしいだろ!何で私なのだ?そんなのあんまりだ!!


「ちょっと表へ出んか…、お?こいつ何でズボン下げとるんや?」


「ああ、それならさっき、こいつのフルチン見たろう思ってさ、脱がしとったんだわ」


矛先が自分には向かないと分かった池本が喜色満面で答えると、二井川からご神託が下った。


「そやったら、お前。お詫びとして、ここでオ〇らんかい」


「え…いや、何で…!」


「やらんかい!!」


魂を凍り付かせるような凄絶な一喝で私は固まってしまった。


「おい、おめーら!こいつを脱がせい!」


「よっしゃあ!」


凍り付いた私は、二井川からお墨付きをもらって大喜びの池本たちにズボンとパンツをはぎ取られた。


終わった、私の修学旅行は一日目で終わってしまった。


飛び入り参加した二井川を加えた一同の大爆笑を浴び、当時放送されていた深夜番組『11PM』のオープニング曲を歌わされながらオ〇ニー(当時はつい数か月前に覚えたばかり)を披露する私の中で、修学旅行を明日から楽しもうという気力は完全に消失していった。


絶頂に達した後は、カツアゲされたショックも矢田谷に怒鳴られたことなど諸々の不快感も吹き飛んだ。


明日からの国会議事堂も鎌倉も、あと二日もある修学旅行自体もうどうでもよくなった。


私の中学生活も、私の今後の人生までも…。


そんな気がしていた。


おまけに次の日、国会議事堂見学の時に昨日のショックでふらふら歩いていた傷心の私は、二井川の仲間で同じくヤンキー生徒の柿田武史に「目ざわりなんじゃい!」と後ろから蹴りを入れられた。


矢田谷の野郎は担任なのに知らんぷり。


それもかなり不愉快な経験だったが、昨日までのことで頭がいっぱいとなっていた当時の私が二日目からの修学旅行をどう過ごしたかあまり覚えてはいない。


初日にさんざん私で遊んだ池本たちは二日目の晩にはもうちょっかいをかけてこなかったが、彼らと私との間で時空のゆがみが生じていたことだけは確かだ。


「ああー帰りたくねえな」と彼らはぼやき、「まだ帰れないのか」と私は思っていた。

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