第3話 災難のはじまり

それは、ちょうど個室に入ってドアを閉めて一安心したのと同時だった。


下卑た大声が外から聞こえたのだ。


「お、誰かウンチコーナー入ったぞ!」


誰かに入るところを見られたようである。


声からして私と同じ中学生くらいだと思われたが、その声に聞き覚えはないため、きっと他の学校の修学旅行生だろう。


しかし、ウンチコーナーだと?


私のいた中学校では大便をするということ自体がスキャンダルになるため、外にいるのが自分の学校の人間でないとみられることに一瞬ほっとしたが、それは大きな間違いだった。


「おい出て来いよ!」


「ちょっと顔見せろ!」


などと言ってドアを叩いたり蹴ったりで、かなり悪質な連中なのだ。


そんなこと言ったって、こっちはもうズボンを脱いで、便座に腰掛け、大便を始めている。


だが、彼らの悪ノリは止まらない。


「余裕こいてウンコしてんじゃねえよ」


「お、中の奴、今屁ぇこいたぞ」


「おい!いつまでケツ吹いてんだ?紙使い過ぎなんだよ!」


何なのだ、こいつらは?余計なお世話ではないか!


ヒトの排泄の実況中継や批評まで始められるに至って、私のいらだちは頂点に達した。


ドンッ!!


私は「うるさい」とばかりに、内側から個室のドアを思いっきり叩いた。


音は思ったより大きく響き渡り、外の連中の茶化す声が一瞬静まり返る。


私の強気にビビったのか?


いやいや、その逆だった。


「ナニ叩いてんのオイ!」


「俺らと喧嘩してえのか?!」


「引きずり出すぞ!ボケ、コラ!!」


彼らは、先ほどよりずっと大きな声で威嚇しながら、ドアをより強く蹴飛ばし始めたのだ。


まずい、怒らせてしまった。


そして、さっきから思っていたことだが、外の奴らは悪質も悪質、ヤンキーなのではないのか?


やたらとドスが利いたガラの悪い口調である。


ならば、断固出るわけにはいかないではないか!


私はパニックになりながらも、まずは外に何人いるのか確認するのが先決だと判断。


この個室にはドアと床の間に隙間があったため、私はその隙間から外を偵察することにした。


清潔だとはいえ少々抵抗があったが、手をついて床とドアの隙間に顔を近づける。


が、相手も外の隙間から中をのぞこうとしていたらしい。


それがちょうど私が顔を近づけた場所と向かい合わせで、至近距離で私と相手の目と目が合ってしまった。


「うわ!」


「うおお!」


私も驚いたが、外の奴もかなりびっくりしたらしい。


中と外で同時に驚きの声を上げて、顔をそらした。


「中にいる奴、宇宙人みてえなツラしてるぞ!」


私は、相手の顔を一瞬すぎて判断できなかったが、外の奴は私の特徴を一方的にそう表現した。


ヒトを宇宙人呼ばわりとは失礼な奴らだ。


しかし、連中の失礼さはそんなレベルではなかった。


「君は完全に包囲された。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」


とか、ふざけたことを言って、タバコに火をつけて個室に投げ込んできやがった。


燻り出そうという腹らしい。


水も降って来たし、借金の取り立てみたくドアも連打してくる。


屈してはならない!出て行ったら何されるかわからない!


何より、やられっ放しもしゃくだ。


私は降ってきた火の付いたタバコを投げ返したり、ドアを蹴飛ばし返したりと『籠城戦』を展開した。


どれだけ攻防戦が続いただろうか。まだ水も流せないし、私はズボンもパンツも下ろしたままだ。


籠城戦というより、闇金の取り立てにおびえる多重債務者の気分に近かっただろう。


そのように、ここで一生暮らす羽目になるのではないかとすら錯覚した時、外の連中とは違う感じの声が響いてきた。


「ちょっと、ちょっと、止めてください。何してるんですか?」


その声がしたとたん、外からの攻撃が止んだ。


ディズニーランドの従業員、通称『キャスト』か!?


そうだろう!いつまでもこんな無法行為を続けれるほど、日本はならず者国家ではない、止めに来てくれたんだ!


「何だよ!中の奴が俺らをナメてんだよ」


「とにかくダメ。こういうことはやめて。警察呼ぶよ」


「中の奴と話させろよ」


「ダメダメ、もういいから出て!」


外で押し問答が続いていたが、ヤンキーどもが折れたようだ。


「わかったよ、行きゃいいんだろ!くそやろーが!覚えとけよ!」と、捨て台詞を吐いて出て行く気配がするのをドア越しに感じた。


助かった!さすがディズニーランド、しっかりしてる!これで安心だ。


やっとズボンを穿ける。


脱出できる!


恐る恐るドアを開けて外に出ると、外の世界はさっきと同じただのトイレだったが、あの極限状態から脱した後は違って見えた。


異常事態は終わり、日常世界に生還してやった、という歓喜と達成感に満たされていたからだ。


私はトイレの光景を見て、あんな感慨に浸ったことはない。また、今後もないだろう。


同時に他校の不良少年たちの攻撃に耐え抜き、敢闘したという充実感に満たされていた。


これは災難ではあったが、あの勇敢なキャストの助けもあったとはいえ私の偉大なる勝利だと。


命の恩人たるくだんのキャストにお礼を言うべきだったが、ヤンキー共々トイレ内にはもういないから別にいいだろう。


とにかくトイレの外に出よう、外では美しい夢の国が待っている。


だが、それは間違いだった。


奴らは出入り口で私を待っていやがったのだ。

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