草履はき際で仕損じる
三鹿ショート
草履はき際で仕損じる
弱者ばかりが損をする世界ならば、強者と化せば良いだけの話である。
善良であり、誰からも恨まれるような人間ではない私の家族が強盗によって傷つけられる姿を、押し入れの中から見つめながら、私はそのようなことを思った。
***
身近な弱々しい人間たちを暴力で支配し、集めた人間たちで少数の強者を襲っていき、やがて多くの強者を仲間にすることが出来たのならば、さらに多くの強者に挑んでいく。
そのようなことを繰り返しているうちに、何時しか私は、数え切れないほどの人間たちを支配していた。
周囲の人間たちは、常に私の機嫌を窺い、頼んだわけではないにも関わらず、自らの肉体を差し出しては、私に快楽を提供する。
決まった時間には私の好物を用意し、私が眠気に襲われたときには、既に寝床が準備されていた。
黙っていたとしても、私はあらゆる欲望を満たすことができるようになっていたのである。
強者だけが見ることができる景色に、私は喜びを感じた。
だが、かつて押し入れの中から見ていた景色が、頭の中から消えることはなかった。
***
私の姿を目にすると、人々は道の端へと移動し、私が去るまで頭を下げ続ける。
今日もまた、常と同じ景色を見ることになると思っていたが、それは間違っていた。
一人の少女が、刃物を手に、私に向かって駆けてきたのである。
当然ながら、仲間たちによって彼女は取り押さえられ、何故私を襲おうとしたのかと問われた。
涙を流している彼女いわく、兄の報復だということだった。
事情を聞くと、かつて上前をはねた咎により、手の指を全て奪い取った人間の妹らしい。
彼女の兄に罪が存在したゆえであると告げたが、彼女が納得することはなかった。
常ならば、このような話が通ずることがない相手は、腕力によってその口を封じてきたのだが、彼女に対してそのような行為に及ぶことには、抵抗があった。
何故なら、強盗によってその生命を奪われた私の妹に、彼女が似ていたからである。
勿論、他人の空似だということは理解しているが、妹と同じ顔をした人間に対して、暴力を振るうことなどできなかった。
そのような事情を知らないために、仲間たちは彼女に手を上げようとした。
私が行為を停止するように伝えると、仲間たちは信じられないといった表情を浮かべた。
これまで老若男女問わずに殴り、蹴り、刺し、捨ててきたことを思えば、当然の反応だろう。
まして、彼女が私の生命を奪おうとしたにも関わらず私が何の行為にも及ぶことがないということは、理解することが出来なかったとしても、仕方の無い話である。
しかし、妹に似ている彼女を傷つけることだけは、どうしても出来なかったのだ。
私が彼女に手を出すことなく、立ち去るように告げる姿を見て、仲間たちがどのような思考を抱いたのか、考えるまでもない。
***
手足の骨が折られ、至る所から出血した私は、塵捨て場に沈んでいた。
病院へ向かおうにも、折れ曲がったこの脚では歩くことはおろか、立ち上がることも出来なかった。
何故、このような事態に至ったのか。
それは、無慈悲だからこそ恐れられていた私が人間らしい姿を見せたことで、仲間たちが抱いていた私に対する恐怖が消えたことが理由だった。
私もまた、一人の人間に過ぎないと理解されたことで、私は首領の座を奪われることになってしまったのである。
私がどれほどの強者だったとしても、人数の多さに勝つことはできなかった。
その結果が、今の姿である。
この目が捉える景色は、押し入れの中から見ていたものとよく似ていた。
二度とこのような景色を見ることがないようにするために、私は強者と化したのではなかったか。
彼女と出会うことがなければ、今も私は、多くの人間を支配していたことだろう。
だが、彼女を恨んでいるわけではない。
失った妹に似ていたことが理由で手を出すことができなかった時点で、私は完全なる強者と化すことができないということを悟ったのである。
彼女と出会うことがなかったとしても、何時の日か、襤褸を出したに違いなかった。
その時期が早まっただけなのだ。
口元を緩めたところで、私の前に一人の人間が姿を現した。
彼女は身を震わせながらも、包丁の切り先を私に向けている。
彼女にとって、私が強者であろうとも零落れていようとも、己が実行することに変化は無いらしい。
私は口元を緩めたまま、目を閉じた。
その直後、何かが身体の中に入ってきたことを感じた。
しかし、痛みは無い。
それどころか、ようやく家族と再会することができることを、嬉しく思っていた。
私が家族と同じ場所へと向かうことができるのかどうかは、この際どうでも良いことだった。
草履はき際で仕損じる 三鹿ショート @mijikashort
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