第39話 秋音君と七海君
早乙女財閥。
金融、教育、ファッションなど様々なジャンルの子会社を持つ巨大企業グループ。
その歴史は他財閥と比べて浅いものの、この国の基盤として成り立つ日本有数の巨大財閥の一つに数えられる。
そんな家系の一人息子で早乙女秋音は、いわば超がつくほどのお金持ちである。
一般の高校生では口に入れたこともないような高級な食べ物を毎日のように口にし、電話一つで某巨大テーマパークの貸切や自家用のプライベートジェットを呼び出すことも容易なこと。
欲しいものは何でも手に入れる事が出来、金で解決できる出来事において、早乙女秋音の右に出る者は学院内には存在しない。
そんな無尽蔵に近い巨万の富を持つ秋音だが、早乙女家の教育方針により、高等部を卒業するまでお金の使用にはある程度制限が掛かっている。
何を買うにも父親の許可が必要で(許可さえ降りれば無制限)、欲しいものは毎月に出るお小遣いから買うしかない(一般のサラリーマンの月収程)。
故に金銭感覚は至って普通寄りであり、嫌な金持ちのような庶民への見下しも、煌びやかで目立つ高級なものを身に付け見せびらかすこともしない。
よって、普段の振る舞いからでは秋音の財政事情など想像も出来ないという人も多い。
現に、知り合ったばかりの七海は未だに信じられないような様子だった。
「……ぼ、僕なんかがこの車に乗っていてもいいのだろうか」
座り心地の良い座席の底を指で摩りながら、独り言をぼやく。
四人が腰掛ける座席は普通の車と違い、電車のボックス席のように二人が対面する構造となっている。
車内は驚くほど静かで、周りの雑音や車独特の排気音すら聞こえず、まるで高級ホテルの一室にいるような快適さだ。
おまけに足元には備え付けの小型の冷蔵庫まで完備されていたりと、至れり尽くせりの空間が広がっていた。
「秋先輩! まだ着かないんですか!?」
「もうすぐよ。七海、あんたほんとせわしないわね」
そんな至高の環境ともいえる場所で、七海は今にも泡を吹いて倒れそうな真っ青な顔を浮かべていた。
シートだけでも何十万はするだろう座り心地の良い座席も、緊張でガチガチに固まった体はちっとも休まらない。
乗れと言われて乗ったはいいが、体育終わりの汚れた体操着のまま乗るべきではなかったと七海は激しく後悔をした。
「あああ秋先輩、やっぱり僕ここで降ります!」
野球部の遠征や小中学校に乗った大型バスとは何もかも違う環境に、七海が息が詰まるような緊張に耐えきれず、今にも逃げ出しそうな様子だった。
「バカ! 今何キロ出てると思ってるのよ!」
「あー離してください! 僕みたいな芋臭い人間にこの空間は勿体ないですって!」
シートベルトを外して脱出しようとする七海を、右隣の席から必死に抑え込んでいる秋音の声が車内に響き渡る。
「別に、黒川が勝手に用意したもんだし、あんたが気を使う必要ないわよ」
「で、でも……」
「それに、この車の替えなんていくらでもあるんだし、いくら汚しても別に何とも無いわよ」
「ひえ〜〜!!」
気遣いのつもりで言った言葉も、ちょっとしたパニック状態に陥っている七海には効果が抜群のようで、眼球が裏返り今にも昇天しそうになっている。
「もーうるさいわね! 家着いたら何でも食べて良いから静かにしてなさい!」
「……なんでも?」
「えぇ、黒川に言えばケーキでもパフェでも用意してくれるから、ね?」
駄々をこねる子供をあやすように、優しめの口調で秋音が諭すと、車を運転している黒川が運転席から「私にお申し付けください」と相槌を打つ。
「この黒川、七海様の好みは事前に調べております故、ふふふっ何でもお申し付けくださいませ」
何でも、と言う言葉をわざとらしく強調をした真偽は定かでは無いが、その言葉を聞いた七海は先ほどの不安そうな顔が嘘のように晴れ、満面の笑みを浮かべた。
「何でもか〜! じゃあ、ケーキでしょ? 和菓子でしょ? あープリンも捨てがたいなぁ〜」
「パフェやクッキーなども用意いたしましょう」
「秋先輩の家に行ったらたくさんの甘いものが……うっ想像したらなんか酔ってきた」
「バカ! 汚して良いとは言ったけど吐けとまでは言ってない!」
笑顔になってはまた青ざめた表情へ逆戻りし、せわしなく変化するその態度に黒川は思わず愉快な笑い声を上げる。
「ほほほ、本当に面白い方ですな、七海様は」
「ほんと、騒がしい後輩が増えたわ」
呆れかえる秋音だが、不思議と嫌そうに顔をゆがめる事は無かった。
裕作と沙癒とはまた違う明るさとユーモアを持ち合わせており、後輩らしい可愛らしさ全開な一面は憎むに憎めない。
「ほら、この水呑んで落ち着きなさい」
秋音は鞄から水を取り出しつつ、わざとらしく鼻を鳴らす。
「うぅ……ごめんなさい」
そんな七海の事を嫌とは感じてはいない秋音だが、新たに増えたユーモアあふれる後輩の扱いに困っている様子で、どう制御すればいいか分からない様子だった。
「もう、まったく……裕作からもなんか言ってやってよ」
「…………」
「裕作、聞いてる?」
助けを求めるように裕作に話しかけるも、まるで無視をするように返事が返ってこなかった。
それも其のはず、裕作はお祭り騒ぎに近いやり取りをしている最中、ずっと弟である沙癒の様子を伺っていたからだ。
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