第1話 マイノリティをハートに込めて 後半
……一つずつ状況を整理しよう。
大前提として、才川沙癒はただ普通にめちゃくちゃ可愛い男の娘なのである。
見た目があまりにも可愛いので勘違いされやすいが、生物学上、沙癒は間違いなく男だ。
戸籍上の表記も男、学生手帳の記載も男、銭湯に向かった際もちゃんと男湯の暖簾をくぐる。
何より、子供の頃に彼は沙癒のナニを直接確認したこともある。
才川沙癒は男であり、自身もそれを重々理解している。
しかし、他の男性とは決定的に違う要素がある。
それは、あまりにも可愛すぎるというところだ。
子供のようにきめ細かく綺麗な柔肌に、繊細で些細な力で壊れてしまいそうな体。
少女のような丸みを帯びた顔つきから放たれる美しく透き通った声は、一度会った人間の記憶に深く刻み込まれる。
その存在は、幼く可愛らしい少年を表す「ショタ」でも、美形の顔立ちをした「美少年」でも定義出来ない。
そう、彼は男にして女の子のように可愛い存在である「
沙癒に初めて会った人の中で、性別を見抜いた人間は未だにいない。それどころか、男と聞いても「こんなかわいい存在が女の子のはずがない」と言い、信じてもらえないということもある。
だが、安心してほしい。
実は女の子でした! などという逆転要素などいっっっさいなし。
彼の目の前にいる沙癒という人物は、間違いなく『男の娘』なのである。
次に、沙癒は彼の弟になる。
まずは紹介しよう、沙癒の告白を受けている彼は
身長百九十センチを超える巨漢に鋼のように鍛えられた肉体。
その体をより鍛える為、毎日トレーニングに励む超健康男子。
しかし、裕作は驚くほど着やせするタイプで指定の学生服を身に着けた際、普通の体格に見えてしまう。
本人もそれを気にしていた時期もあるが「いざとなったら筋肉で服を破ったら変身みたいでかっこいいのでは?」という訳の分からない理由で今は結構気に入っている様子だった。
十年前に裕作の父親が再婚し、一つ下の弟になった沙癒。
血のつながりもなければ、見た目や考え方も全く似ていない。
だが、今では本当の家族のように仲がいい。
家族として、兄として。
これからもこの関係を続けるのが、ベストな選択だと裕作は考えている。
だから、裕作は告白を断ったのだ。
「……だから?」
何も理解していないような声をだして、頭に「?」を浮かぶように首を曲げる沙癒。
小動物のような動作が一々可愛らしいが、沙癒は折れる気配がない。
「何度も言ってるだろ。俺は沙癒の事を家族として見てる。弟として、沙癒を大切にしたい」
「……裕にぃはいつもそういって断る」
実は、こういった出来事は初めてではない。
沙癒の告白はもはや定期的なもので、何度も行われている。そのたびに、裕作は告白を断っている。
弟から好意を示されるのは兄としてすごく喜ばしいことだ。
出会った頃に比べて、今の関係は良好そのもので、この関係性がずっと続けばいいと裕作は思っている。
初めて会話したあの日、話しかけるだけで怯えて泣き出したあの頃には、こんな関係になれるとは夢にも思えなかった。
その事を思えば、形はどうあれ自分を好いてくれているのは兄冥利に尽きる。
何より、裕作は特別女の子が好きというわけじゃない。
愛の形は人それぞれで、偏見など持つべきではない。
運命を感じる相手であれば、どんな恋でも素晴らしいものだと裕作は考えている。
故に、沙癒の歩く姿や何気ない笑顔といった一挙手一投足に心奪われる時がある。
もし、彼と違う形で出会っていたらと考えると、心に何か刺さったような複雑な感情が実ったであろう。
「もう帰るぞ、父さんたちが家で待ってる」
「――――ッ!」
逃げるように一歩後退をした時、それに合わせて沙癒は目いっぱいの力で体を押した。
裕作にとってそれは些細な力だったが、態勢も悪く不覚にも背中から倒れ込んでしまう。
「いてて、何すんだ沙……癒?」
「裕にぃ、私。もう我慢出来ない」
倒れた裕作の体に全身を預ける沙癒は、息を荒立て顔を赤く染めていた。
そして、硬くゴツゴツとした裕作の体を蛇のように這いながら顔に近づいてくる。首に巻いたマフラーを外し、細く艶めかしさが浮き出る首をさらけ出す。
「お、おい沙癒。やめろッ」
服と服が擦れる音が聴覚を支配し、触れあった体の熱は感覚を溶かす。
整った綺麗な銀色の髪が乱れていても、沙癒は止まろうとしない。
何も変なことをしてはずなのに、すごくイヤらしい事をしている気分に陥り思わず目を逸らしたくなる。
肌と肌、唇と唇。二人の顔が近くになり、視線すらその綺麗な瞳に吸い込まれてしまう。
脳を刺激するような甘い匂いが鼻をくすぐり、心拍数が跳ね上がる。理性など、もうすでに麻痺している。
人間の感じられる五感の全てが、沙癒によって支配される。
――なにも、考えられなくなる。
もう、いいじゃないか。
こんなにも魅力的な人間がいるんだ、弟なんて、粗末な問題だ。そんな言葉が脳裏に宿る。
内に眠る煩悩が煮えあがり、今にも爆発しそうになる。
そして、甘い吐息のような言葉が裕作の鼓膜を震わせる。
「――今日こそ、裕にぃの処女もらうね」
そう、これが裕作が関係を進展させない最大の理由。
才川沙癒はゴリゴリの攻めである。
何度も言うが、彼と彼は男同士である。
「や、やめろ! 毎回毎回俺を襲おうとするな!」
裕作はその言葉にギョッと体を強張らせ、体の上に乗った沙癒を跳ねのけるように引きはがす。勿論、沙癒の体が傷つかないように。
可愛い見た目や甘い声では考えられないかもしれないが、男である裕作を受けとして見ている。
受け、とは。
男同士の恋愛、いわばボーイズラブにおける二人の関係性を表す。
攻めと呼ばれる人物は、肉体的または精神的にその関係性をリードする側のことを指す。
……つまり挿入する方。
受けと呼ばれる人物は、その逆を意味する。
……つまり挿入される方。
これは個人の価値観や文化によって多少のずれがあり、考え方は千差万別ということを大前提としておいてほしい。
だが少なくとも、二人は勿論、その周辺の人間はこの認識で話を進めている。
それを踏まえ、裕作は自分が受けであることを許容できないのであった。
「……大丈夫、ちゃんと私専用の避妊具もってるから」
「あの、俺は男だから妊娠しないぞ?」
「……大丈夫、いざとなれば精神的に孕ませるから」
「?????」
何が大丈夫なのか理解が出来ず、裕作の口が半開きになる。
指先が微かに震え、目の前にいる小動物のように小さな存在に恐れおののいている。
それは恐怖、単純に痛みに恐れを抱き怖がっているのだ。
裕作は自身の身体に穴が開くことが耐えられない。
ピアスをするために耳を開けるのも、注射器で腕を指すなどもっての外。
そんな人間が見えないところの穴をこじ開けられることを許容出来るだろうか? 否、それは不可能である。
元から尻には穴は開いてる? そういう事を言っているんじゃない!
彼にとっては同じ、いや、想像しがたい体験だからこそより恐怖感が増大されているのだ。
どんな痛みか、血が出るのか、壊れたりしないか。
想像するだけでも震えが止まらなくなり、血の気が引いて意識が飛びそうになる。
「落ち着け! 他ならなんでもしてやる、だから」
「――なんでも?」
「いやちがっ」
「じゃあ後ろ向こっか」
姿勢を前かがみにして戦闘態勢に入る沙癒に対し、後退して防御態勢を取る裕作。
裕作と沙癒とでは二回りほど体格が違い、それはもう子供と大人の身長差に近い。
一般的な価値観でいえば、見た目が可愛い沙癒が受け、ガチムチゴリラの裕作が攻めの構図を思い浮かべるかもしれないが、彼らは逆である。
世間の物差しでは測れない、それが彼らの関係なのである。
「っというかもしかして、付き合うってあれか、『突き合う』って意味だったりするか!?」
「え、いいの?」
「よくねぇわバカ!」
「ん、ちゃんと避妊具あるし」
「胸元から出してんだよ! 仕舞え!」
沙癒の胸元から赤く四角い紙箱のようなものが取り出されたが、開封する前にそれを仕舞わせる。
常にヤる気に満ち溢れた沙癒は、裕作の前では半暴走状態になりそれを鎮める機会もここ最近増えてきた。
故に、沙癒を受け入れることは相当な覚悟が必要になる。
家にいる時も家の外に時も、
健やかなる時は勿論、病める時にも。
沙癒が襲いかかり、裕作は逃げる。
沙癒が分らせるまで、恋をあきらめず、屈服させるために全力を尽くすであろう。
そんな男の娘を、命のある限り真心を尽くすことを誓えますか?
いいえ、裕作にはまだその覚悟がありません。
「あ、裕にぃは受け専門だからゴムなんていらないね」
「あの、違うが? まだ覚悟決まってないが?」
「ふふっ、裕にぃはホントにかわい――へくしっ」
控えめな笑いをかき消すように、沙癒は小さくて可愛らしいくしゃみをした。
空を見ると、夕日が地平線の先へ沈み欠けている。
それに伴い、気温も徐々に下がってきているのを感じる。
沙癒の方を見ると、体全体が震え始めており、今にも凍えてしまいそうになっている。
このまま屋上に留まっては風邪をひいてしまうと思った裕作は慌ててその場から立ち上がる。
「ほら、今度こそ家帰るぞ」
ポケットから自分の手袋を渡し、先程脱いだマフラーを拾い沙癒の首に巻いてあげた。
「寒くないか?」
「うん、ごめんなさい」
元気一杯だった行動とは一転、視界を落とし弱々しい声で謝った。どうやら、申し訳ない気持ちが芽生えてしまったようだ。
「いいさ、気にするな」
裕作は屈託のない笑顔でそれに応じて、大きな手で優しく頭を撫でる。
「裕にぃ」
「ん? どうした」
「……そういうところ」
沙癒は照れくさそうに視線を逸らし、手渡した手袋をはめるのを確認した裕作は、跳ね飛ばした沙癒に手を差し伸べる。
しかし、沙癒はその手を見つめるだけで握ろうとしない。
「っおんぶ」
代わりに、両手を無防備に差し出してくる。その子供のように甘えるしぐさ、兄である裕作にとってこれ以上に弱い行動はない。
「そう言うと思ったよ」
軽くため息をした後、沙癒に背中を向けて中腰になる。
すると、小さく柔らかな細い体が裕作の背中に乗る。
「ほんとはお姫様抱っこが良いけど、裕にぃしてくれないもんね」
「こっちの方が慣れてるんだよ」
裕作は慣れた手つきで沙癒を背負い、勢いよく立ち上がる。
「……やっぱり、裕にぃの背中は大きいね」
それを聞いた裕作は小さく笑って、そのまま屋上を後にする。
暖かな背中に揺られる沙癒は、緊張の糸か切れたのかそのまま眠りについた。
指先まで冷え切った体温がいつの間にか元に戻り、春先に吹く冷たい風が、今は心地よく感じた。
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