第18話 三人目
新聞部(幽霊部員)の
そんな甘えた考えを持っていた裕作は、途方に暮れていた。
「くそ、これじゃカードを渡しただけじゃないか」
結局の所、何の成果も得られなかった。
吐き捨ているように独り言をつぶやき、裕作は階段を下る。
このまま自分の教室、二年B組に戻ろうかと考えたが、まだ午後の授業まで時間がある。
早乙女学院には一階の食堂前にお菓子の無人販売機があり、せっかくなのでそこへ向かうことにした。
裕作のお目当ては勿論プロテインバー。
それも、いつも食べている物ではない。
新しいフレーバー「プロテインバナナ風バナナ味」というものが、今月より入荷した。
何でも、プロテインのバナナ味を再現したプロテインバーという滅茶苦茶な商品らしく、本来ならば誰も買わないであろう面白さ重視のジョーク商品。
なのだが、その奇妙さ故に面白がって購入する学生が多く、何故か品切れ状態が続いている。
一方の裕作は「プロテインバー食いながらプロテインの味するって、すごくね?」と感じ、度々買いに行くが、運の悪いことにいつも売り切れている。
初めの頃は内心ワクワクと胸を躍らせて買いに行っていたが、今では半分諦めムードの様子だったりする。
「――まぁ、自分でもあの記事の事を調べてみるか」
裕作は二階に差し掛かる階段を下りながら携帯電話を取り出し、午前中に見ていた「人気生徒ランキング」の記事をもう一度確認する。
まずは二位の沙癒と一位との差がどれだけあるかを確認する。
「沙癒の票数が149、一位の
両者の票数は非常に僅差だった。
学年ごとに一票入れられるとはいえ、ここまでお互いの票数が迫る事は類を見ない事だった。
例年通りなら、一位が圧倒的な票数でそれ以外はパッとしないような結果になる。
そんな中、二位の沙癒ですら三桁を誇る今回の投票結果は、次世代のアイドル候補が二人も爆誕した事を意味する。
今、学院内のあらゆる生徒が二人の話題を話し、大盛り上がりを見せていた。
そのことを、裕作はまだ知らない。
「……つまり、俺が頑張ってたらもしかしたら沙癒が勝ってた?」
一階に差し掛かる階段付近で、裕作はある可能性に気が付く。
この人気ランキングに投票している人間は、必ずしも全校生徒という訳ではない。
人気投票が開催していたことを知らなかった者、あるいは認知していたが何もしなかった者。
裕作は前者に該当し、勿論投票など行っていない。
「秋音も多分こういうのしないだろうし、何なら精生も投票してないだろ!」
これで三票入り、同着一位。
「さらに俺がこの筋肉で宣伝活動をすれば、何票か入る……実質勝ちだろ!」
理解不能な理屈を並べて、裕作は悦に浸る。
階段を下りながら右腕を九十度くらい曲げて力こぶを作ると、服の上から筋肉が膨張しパンパンに膨れ上がる。
一階から上がってくる下級生が裕作を好奇の目で見つめる中、当の本人はすごく満足げの表情を浮かべていた。
「これで来月は沙癒の一位確定だな! HAHAHAHA!」
勝ち誇ったアメリカンヒーローの様に高らかに笑いながら、裕作は一階に到着した。
陽気なテンションのまま、裕作は食堂へ続く角を曲がろうとした。
――その時。
「うわぁ!!」
「HAッッーーー!」
裕作は勢いよく走ってきた学生とぶつかってしまった。
食堂の方から走ってきた生徒はかなりの速度を出していたようで、手に持っていた鞄の中身を壮大にぶちまけてから、その場で尻もちを付いた。
反対に裕作は迫真極まる大げさな声を出した割には、身体のバランスを少し崩しただけで倒れることはなかった。
やはり筋肉、どれだけ不利な状況になろうともその力強さを証明してくれる。
そんなどうでもいい事が脳裏をよぎるが、今はそれどころではない。
「いてて……ハッ! ごめんなさい! 怪我は!?」
走ってきた生徒は尻を強打した痛みをこらえて、見上げた態勢のまま裕作の容態を確認する。
その声は鈴を転がしたように澄みわたり、凛とした美しい声だった。
頭にかぶったベレー帽により表情はよく見えないが、焦りを募らせた様子で裕作を見ている。
彼女は可愛らしい紺色のベレー帽を深々と被り、有名アーティストのロゴがプリントされている白のTシャツに、ゆったりとした青いロングパーカーを羽織っている。
首には白のチョーカーを着け、黒のジーパンからは伸びる細く長い足が印象的だ。
総じて、今どきの可愛らしい若者を彷彿とされるオシャレな格好をしていた。
「こっちこそすまない、俺は大丈夫だ」
裕作は鞄から散らばった物を素早い動きで拾い集める。
筆箱、ノート、財布、その他諸々を丁寧に拾い上げては彼女の鞄の中へ仕舞っていく。
「これで全部か?」
見渡す限りの物を拾い終えた裕作は、左手で鞄を持ったまま尻もちを付いた彼女に右手を差し伸べる。
「立てるか?」
「あ、どうもすいません」
それに応じるように、彼女も手を伸ばして裕作の大きな掌を強く握る。
その瞬間、裕作はある違和感に気が付く。
それは、彼女の手。
正確にいえばその掌、指が細く手の甲までしっかり手入れがされているが、手のひらの皮は厚くゴツゴツとしていた。
まるで何かを強く握り、使い潰したような痕跡もある。
現役の運動部とまではいかないが、それでも男らしく硬い皮膚で覆われていた。
それに、よく見れば手の骨がしっかりと太く、骨格も逞しいような気がする。
「…………」
何かを感づいた裕作は、もう一度彼女の姿を見る。
服を着て分かりにくいが、スラっと伸びる細い腕とは対照的に、足回りはしっかりと鍛えているように見受けられる。
ただ趣味でランニングをした程度じゃ、こんな筋肉の付き方はしない。
何かスポーツ、それもかなり熱心にやっていた形跡があると裕作は感じた。
「――あの、そろそろ引き上げて貰っても……?」
「あ、ああ! すまない!」
ジロジロと彼女の身体を観察する裕作は、ハッと息を吞み込んで慌てて握った手を引き込む。
「ありがとうございます」
ようやく立ち上がった彼女は、ズボンに付いた砂埃を払いつつ裕作にお礼を言う。
「すいません、急いでたもので」
「いいさ、俺も前方不注意だったし」
「いやいや、僕のせいですよ。ほんとにごめんなさい」
彼女は首を縦に振り、自分が悪いと何度も謝ってくれた。
裕作はそんな彼女の姿を見て「なんて礼儀正しくいい子なんだ」と関心を抱く。
――ん? 僕?
「……僕?」
心の中で思った言葉をそのまま口に出してしまい、慌てて口を手で覆い隠す。
帽子からチラリと見えるその顔は、まるでテレビに出演している俳優のように整った綺麗な顔つきだ。
清潔感のある白い肌、丁寧に染めたであろう青い髪、そして黒真珠のように真っ黒な瞳。
一目見ただけで見る者を虜にするそんな可愛らしい人物。
……その姿を見て、裕作はなぜか既視感を覚えた。
普段は言葉を発する機会が少なく、クラスで人形のようだといわれ男女ともにかわいがられている裕作の弟。
はたまた、その可愛らしい容姿から学院でアイドルのような存在になっており、校内で知らぬものはほとんどいない裕作の親友である秋音。
なぜか、彼らと同じ波長を感じてしまった。
「もしかして、君は」
「――あっいや、その」
彼女が慌てて何かを言いかけたその時、地響きのような音が鼓膜を震わせる。
音はどんどん大きくなり、地面が揺れている。
裕作が「な、なんだ?」と困惑しながら周りを見渡すと、食堂へ続く廊下から数えきれない数の学生がこちら向かって走ってきていた。
「うわ! 追いついてきた!」
彼女は身体を大きく跳ねさせてから、裕作が左手で持っていた鞄を奪い取るような勢いで手に持った。
「鞄ありがと! それじゃ!」
彼女は短い挨拶をしてから、学生とは反対方向の方角へ走り去った。
その足の速さは尋常ではなく、あっという間にその後ろ姿が見えなくなってしまった。
そして、彼女の姿を追いかけるように多くの人が裕作の目の前を通過していく。
巻き込まれたらタダでは済まないと感じた裕作は階段の方まで後退し、身の安全を確保する。
「な、何が起きてるんだ?」
通り過ぎていく人の波。
状況を確認する為、裕作は耳を澄ましてみると怒号のような声が混じっていることに気が付く。
「きゃー!
目からハートマークが飛び出しそうなほど熱烈なアピールをする女子高生。
「今日こそ私とお昼食べてくれる約束でしょー!?」
手作りのお弁当を手に持って追いかける女子中学生。
「
火傷しそうな程野太く熱いラブコールをするムキムキの男子高校生。
その他、大勢の人間が彼女を必死に追いかけていた。
その姿はまるでサバンナに生息するシマウマの大群のようで、怒涛の勢いを保ったまま裕作の目の前を過ぎていった。
「な、なんだったんだ?」
状況から察するに、あれらは彼女のファンのようだった。
しかし、校内であれほどの人気を獲得できる存在はほとんどいない。ましてや、学院のアイドルの秋音ですらあんな熱烈な追いかけられ方は中々発生しない。
突然の出来事に困惑をする裕作は、人の大群が通り過ぎた後を眺めつつ廊下に戻る。
すると、廊下の真ん中に手帳のような何かが落ちていることに気が付く。
「……生徒手帳か?」
先ほどの大群により踏み潰され、外側が砂だらけで見るも無残な姿になっていたが、どうやらこの学院で発行されている生徒手帳のようだった。
裕作がその手帳を拾い上げ、おもむろにその中身を確認する。
すると、見覚えがある名前がそこに書かれていた。
一年A組
それは、先ほどぶつかった『彼』の生徒手帳だった。
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