第19話 一年A組所属 新海七海 前半

放課後、裕作は一年A組の教室に向かっていた。

理由は勿論、昼休憩に出会った彼女、いや、彼の落し物を届けるためだ。

職員室に届けることも考えたが、そのまま手渡しした方が早いと思い今に至る。

何より、生徒手帳の汚れをふき取っていたら昼休憩が終わってしまい、なし崩し的に時間が過ぎていった。


「――ここか」


一年生の教室は三階に位置し、裕作の教室からは階段を一つ下るだけで着く。

ホームルームが終ってすぐ、帰る支度もせずに来た為ほとんどの生徒が教室に残っているだろう。


――まだ帰っていないと思うが


一年A組の教室のドアから覗き込むように中の様子を確認すると、以外にも彼はすぐに見つかった。

何人かのクラスメイトと談笑しているようで、昼間に被っていたベレー帽を外し、柔らかな表情で笑っている姿が見える。

改めて彼の顔を確認すると、その魅力的な顔立ちがより鮮明に映る。


ショートボブの髪を毛先までライトブルーに染め、真ん丸と大きくも整った黒い目、そして清潔感のある肌。


そして特出すべきが顔全体のバランス。

女性らしい柔らかで、それでいて男性らしさもあるスラリと綺麗な顔のライン。


身長は百六十後半くらいで、男子の平均身長よりもやや小さいが、窓際に立つ彼は小柄の印象を受けない堂々とした佇まいをしている。

そうと思えば、度々見せる笑顔には男心を滅茶苦茶に破壊する可愛らしい表情を見せる。


総じて、性別の概念が脳内で不具合を起こしてしまいそうな二面性を持つ。

可愛さに全振りしている沙癒や秋音と違った、別の方向性で人を惑わせる魔性の存在。


それが早乙女学院高等部一年の人気ランキング第一位、新海七海しんかいななみ


「……入りずれぇ」


ここにきて、裕作は手に持った生徒手帳を渡すのに日和ってしまう。

ただでさえ下級生の教室に入るのには抵抗感があるのに、向こうとは昼休憩に知り合ったばかりだ。

お互いに自己紹介もしていない上、彼は既にクラスメイトと楽しそうに話している。

そしてその周りに、先ほどの大群を成して彼を追いかけていたファンらしき人物が壁となっており、近寄りがたい雰囲気を出している。


そんな状況でズカズカと割り込むように話しかけても良いのだろうか、そんな感情が脳内によぎる。

ただでさえ数日前に下級生の廊下を爆走して、裕作には変な噂がいくつも立っていた。

普段よりも慎重に行動すべきだと、心の中で強めのブレーキが入る。


「やっぱ、職員室に……いや、ここまで来たし……」


云々と一人で頭を抱えている裕作を他所に、廊下にいる下級生達は彼の姿を見るなりひそひそと会話し始める。


「もしかしてあれが才川先輩?」

「思ってたよりもデケェ……!」

「大きくてちょっと怖いかも」

前半は裕作に対し警戒心を抱く意見。


「あれが例の男の娘キラー!?」

「でも受けなんでしょ? ヤバッ鼻血が――」

「あの筋肉量、流石だぜ師匠」

「正直好きです」

後半は裕作に対し何故か良心的な意見。


等々、裕作を初めとする下級生は彼を物珍しい動物を見るような目で観察をしていた。


そうこうして、中々踏ん切りが利かない裕作に対し、

「ん? もしかして」

新海の方が先に彼の存在に気が付いた。


裕作と目が合った彼は右手を挙げて小さく振り挨拶をしてきた。

向こうの方から気が付いてくれた、これはチャンスだとばかりに裕作が「ちょっといいか?」と声をかける。

すると、窓際で会話していた彼が「ごめんね」と言いクラスメイトとの会話を終わらせてから裕作の方へ向かってくる。


――これで目立たずに済む


教室に入らずに用事を終わらせる事が出来ると本人は思っているが、その体格のデカさと強烈な存在感によりもう手遅れであった。


……そう、実は彼、才川裕作もまたこの学院では話題に尽きない人物だった。


「どうしたんですか、先輩」


新海は無防備にも腕を後ろに組み、顔を覗き込むように裕作を見つめた。

二人の身長差があり仕方がないとはいえ、上目遣いのその眼光に思わず顔を背けたくなる。

数多の人間の心を射止め性癖を粉々にした無自覚の破壊行動、沙癒と秋音と知り合って無ければ即死だったかもしれない。


「それが、新海君に渡すものが」

「七海でいいですよ。後輩なんですし」

「……じゃあ、七海」

「はい! なんですか?」

ニコニコしながら待つ七海に対し、裕作は少し複雑な表情を浮かべた。


彼の生徒手帳、外側の青いカバーが所々剥げ見るからにくたびれている。

元の状態を知らないから何とも言えないが、少なくとも高等部に編入したての新入生がここまで使い潰すとは考えにくい、

そのことを踏まえると、やはりこの手帳は七海のファン達が無意識に踏み潰した可能性が高い。


「……これ」

緊張の趣きのまま、裕作は手に持った生徒手帳を彼に渡す。


「お前のだろ、多分あの時に落としたんだと思う」

あの時、昼休憩の時に裕作と衝突して鞄の中身を壮大に落とした事を思い出す。

「あー! 無いと思ったんですよ!」

大げさに声を荒げてから、新海……いや、七海は自分の生徒手帳を受け取った。


「よかったー、無くなったらどうしようかと思いましたよ」

「すまんな、渡すのが放課後になって」


この私立早乙女学院では生徒手帳は貴重品の一つだった。

中等部と高等部が入り乱れるこの学院において、身分を証明するために最も使用される手段が生徒手帳の提示。


この学院に通う学生のほとんどは私服で登校する為、無関係の人間が不法侵入しても外見で判別する事が難しい。

特にここ数年間で不審者の侵入が増加傾向にあり、先生や警備員は警戒を強めている。

その為、自分がこの学院の生徒であると証明するのに、生徒手帳を見せることが最も手っ取り早い手段になる。


また、空き教室の貸し出しや新しい部活動の立ち上げなどの特別な許可取りにも生徒手帳は使用され、他の学校よりも生徒手帳の持参する価値は大きい。


「いえいえ、わざわざありがとうございます」

七海は頭をしっかりと下げて礼儀正しくお礼を言う。

その姿を見ていた彼のファンらしき人物たちは、悔しそうに裕作を睨む。


――すごく気まずい。


沙癒や秋音の場合でも同じような視線を感じる時があるが、それとはまた別の雰囲気が裕作の肌を刺す。

七海は可愛い系というよりカッコいい寄りの顔立ちなので、彼のファンは女性が中心で形成されている。

無論、今裕作に集まる視線のほとんどが女子生徒からで、沙癒や秋音のファンから向けられるものとはまた違う恐ろしさを感じる。


「……でも、僕の生徒手帳ってこんなボロかったっけ?」

「え! そ、それは……」

自分の生徒手帳を手にした時、彼はようやく異変に気が付いた。

彼の反応を見た限り、少なくともこんなにボロボロの状態ではなかったようだ。

丁寧に砂埃をふき取り、裕作の出来る限りの処置をしたが、それでも限界がある。


「いや、それは――」

事実を言おうとした瞬間、ふと七海の背後にいる大勢の人間が視界に映る。


正直に答えるのも手だが、そうすると、ある問題が発生する。

生徒手帳を踏みつけボロボロにしたであろう人物は、七海に熱烈なアピールをしていた人たちだ。

わざとではないにしろ、追いかけるほど好きな相手の持ち物をボロボロにしたと知れば、果たして何を考えるだろうか。

それに、その事実を知った七海本人はどう思うだろうか。


そんな考えが浮かんだ裕作は、ある行動に出る。


「……俺がやった」


裕作は、苦し紛れの嘘を付いた。


※後半に続きます

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