食虫植物

魚綱

食虫植物

男は時計を見てため息をついた。

時間になっても教室に教授がやって来ないのだ。

普段は授業時間の5分前には来ている教授の不在は、いつもとは明確に違うことを示している。彼は休講を知らせるメールが無いかスマホを開き、確認し始めた。

しかし、どれだけ探してもそんなメールはない。合ったのは授業資料が乗っているページに

書かれた「第12回:12/7(対面) 実存主義 サルトル」というタイトルがつけられた授業資料のみ。


彼は悩んだ。というのも彼は元々この授業があまり好きではなかったのだ。

教授が延々と眠たい話を続ける中、彼はいつもスマホをいじって授業を聞き流していた。

そんな授業が休講であって欲しい、いや休講だと決めつけ今すぐ自由な時間にしたいと思いながらも、もし授業があった場合失う出席点を考え、椅子に座ったままで居た。


10分後、彼は掲示板を見に行くために席を立った。

掲示板に休講の知らせさえあれば、自由だ。今から好きなことが出来る。

そんな期待とともに掲示板を見るが、そこには彼の取る哲学の授業の休講通知はどれだけ探してもない。


彼は代わりにあるポスターを見つけた。

植物園のポスターで、魅力的な植物の写真もなしに園内マップだけが載せられている。だが、彼の通う大学の学生証さえあれば無料という誘い文句に目が惹かれた。

別に彼は苦学生というわけではない。しかし、大学へ向かう際にいつも植物園の横を通るため、植物園に一定の興味はあり、そして教授の不在は彼にとっては非常に良い機会のように思えたのだ。

そして彼は、あと二十分教授が来ないことを期待して教室に戻った。

そして二十分後、学務課の休講、補講に関してというページで三十分ルールを確認してから歩き出した。


植物園の中は、到底魅力的な景観とはとても言いがたかった。

そもそも季節が冬だから、花は咲いていない。目に映るのは葉を落とした枯れた印象を与える木と、年中何ら印象を変えない常緑広葉樹ばかり。


それでも彼はどこか得意げな心情だった。

この散策は授業で延々と話を聞くことに比べ遥かに哲学しているという感覚があったからだ。

客がまばらであることや、静かな雰囲気がより彼にそう感じさせた。


モニュメントを流し見したり、歩き疲れたとベンチに腰掛け景色を眺めたり。

そうこうしているうちに、彼はドーム状の場所にたどり着いた。

看板には

「観覧温室

現在冷房室閉鎖中につき、無料」

と書かれている。


ここでもタダか。見られない部分が多少あっても、本来有料なものを無料で見られるということで、彼は得をしているなと感じた。

そして彼は両開きの入口と書かれたドアを開け、観覧温室の前のエントランスに入った。

そして受付の年若い美しい女性の

「どうぞお入りください」

という言葉に会釈を返し、温室の扉を開けた。


彼は周囲一面の美しい花々に笑みを浮かべた。

が、表情が一瞬歪んだ。寒い外に対応するため着膨れしていた彼にとって、温室はあまりに暖かく、そして湿度が高かった。

また、周囲からは独特な匂いが漂っている。

それでも彼は美しい花々を見るため、通路を歩き出した。



温室には様々な美しい花や、変わった形をしている花、そして珍しい木があったが、彼はじっくり見ることなく歩いていく。そのため、立ち止まって写真を撮ったり眺めていたりする人たちを追い越していった。

が、彼はある看板の前で足を止めた。


「食虫植物の捕食の仕方:

①はさみこみ式

②落とし穴式

③粘り付け式

④吸い込み式

⑤もんどり式」

虫を捕まえる方法の種類と、その簡単な説明があった。


知識としては食虫植物は知ってはいたが、詳しいことを知らない彼にとってその説明は興味深いものであった。

特に面白かったのがもんどり式の罠だ。

毛を少し逆立たせるだけで、虫にとっては一方通行となり、胃に自分から運ばれてくる。

虫の習性をよく利用した非常に効率の良さそうなやり方だ。


彼は歩きながら、食獣植物はいるのか、いたらどんなやり方で動物を捕まえるのか、どんな大きさだろうかということを妄想した。

きっと食獣植物はかなり大きいのだろう。このココヤシの木よりも遥かに大きくて、家くらいのサイズがあるかもしれない。いや、ネズミくらいならばそこまでのサイズは要らないだろう。犬小屋程度でも足りるんじゃないだろうか。


そんなことを考えながら気分良く歩いていたが、前方に人が居たので歩く速さを落とした。

通路は狭く、花壇に土足で入るわけにもいかないので、追い越しはできない。諦めて、ゆっくり歩かなければ。


ふと、彼は通路がそんなに狭かっただろうかと疑問に思った。

最初の頃は通路は人が3人並んで歩けそうな程広かったのに。

彼は、段々と違和感を感じ始めた。

思えば最初から、どこか妙だった。

出口がすぐ側にない入口。一度も見えない非常出口。徐々に狭くなる通路。


果たして自分は出口にたどり着けるのか?そもそも自分は生きてここから出られるのか?

そんな考えにたどり着き彼は今すぐ叫び出したい程の恐怖を感じた。


だが、彼は公共の場で叫ぶことも、ここから逃げ出す事もできない。

後続の人が向かってきているのだ。叫び、一方通行の通路を逆走するだなんて、そんな非常識なことは彼には出来なかった。よしんば決心したとしても、ここは危険だという妄想を人に話すことを強く躊躇うだろう。


彼は結局のところ、本能に逆らって歩き始めた。

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食虫植物 魚綱 @sakanatuna

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