第23話 中学時代の恩師、理科の先生が放った言葉。
大学3年の春、私は母校に行き教育実習を受けた。
その頃には教師になる夢は半分くらい失いかけていて、将来、海外で暮らしたい。ニューヨークで仕事をしたい。野心ばかり抱くようになっていた。
教育実習は2週間ほどで無事終わり、打ち上げが近所の中華料理屋で行われました。
先生方に将来の夢を聞かれたり、あの先生とあの先生が付き合っていて結婚間近だとか、そんなたわいのない話で飲み会は大いに盛り上がりました。酒も入り、中学時代に世話になった、母校の先生と話す機会をもちました。
『勉強だけしか取り柄のない先生なんて、学校に必要なんですかね? 何の意味があるのでしょう? そんな先生、私は、いらないと思う。即刻、そんな教師は辞めさせるべきだと思う』
そんなことをかつての恩師に向かって言いいました。先生はちょっと驚いた顔をして、しばらくして、私にこう言いました。
『婆雨よ、よく聞きなさい。勉強しか取り柄のない先生を目標に頑張っている生徒だっているんだぞ。無駄なものなんてこの世にない。いなければいい人なんていうのも、この世の中にはいない』
先生は遠い目をして酢豚を口に運びました。
体育しか取り柄のない、運動しかできない先生だって、大人になり、立派に教師として授業を受け持っている。昔、やんちゃしていたことだって、もちろん生徒には内緒にしている。
教えるものは1つとは限らない。
体育を通じて人生を教えることだってできるし、道徳の時間を通して生徒に感動を与えることだってできる。
そんな当たり前のことが、当時の私にはわかりませんでした。
音楽を通じて、音楽で飯を食っていけること。
絵が好きなら画家として。
また文章を書くのが得意なら小説家として。
それで飯を食っていくことだってできる。
ラーメン屋で日本1になったっていい。
チェーン店を30店舗出店して、年商30億円を稼いだっていい。
カレーライスのチェーン店で、国内のみに限らず海外に世界進出したっていい。こうでなければいけないなんてことは、この世に1つもないのだから。
「勉強だけしか取り柄のない先生、生徒がいたって、何の不思議もないんだぞ」
私は反論をやめ、しばらく考え事をしました。
私が過ちに気付いたのは、それから10年くらい経ってからでした。
10年経ち、私は恩師の言葉を思い出しました。
そうだ、自分だって、結局は立派な人間に成れなかった。
エリート街道から外れ、挫折を味わい、ついには人生をドロップアウトしてしまった。
無駄なものは、この世にない。
人は生かされている。
私は、この言葉に救われた思いがしました。
恩師は私に人生を教えました。
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