第6話 密着!メイド長の朝は早い 一
――朝、まだ日も起きやらぬ静寂の時間、静まり返った屋敷の自室で私は目を覚まします。
朝に極端に弱い奥様やイザベル様ならば目覚めることも難しいでしょうが、十年以上似たような生活リズムを繰り返している私には容易いことです。
元々朝に強い方でもない私ですが、仕事柄か慣れてしまいました。
言うなればメイド長の朝は早い、といったところでしょうか。
このようなつまらない思考をしてしまうのも、連日の激務の疲れが取り切れていないからかもしれません。
いけませんね、旦那様や奥様の方がより多忙な日々を送っていらっしゃるというのに。
お二人を支えるお役目を持つ侍従の長である私がこれでは、皆に示しが付きません。
もっとしゃんとしなければ。
そう他愛のない考えを巡らせながらも、慣れ切った体は淡々と朝のルーティーンをこなしていきます。
平民上がりの自分にはもったいないほどの高く柔らかいベットから降り、室内に備え付けられた洗面台で寝ぼけた顔と精神を洗います。
普段よりもやや冷たい水は、その役割をしっかりと果たしてくれました。
その後黒を基調としたメイド服を着るのですが、細かい部分が普通と違うこの制服は、メイドのまとめ役たるメイド長に与えられる専用のものです。
私はこの役職に誇りをもって仕事をしていますが、メイドとしてはかなり若い分類になります。
今年で三十二ですから、異例、といっても差し支えないでしょう。
メイド長として恥ずかしくないよう振舞おうとはしていますが、その責任は生中なものではありません。
時にはその重責に潰されそうになることも少なくありません。
しかし不思議とこの服を着ると気分が落ち着き、相応しい振る舞いをすることができるのです。
まあ、ただの気分と言われればそれまでですが、それでも自信の足しにはなっているのですから、形から入るというのも悪くないのかもしれませんね。
姿見で身だしなみを整え、就寝中にやや乱れた室内を整理してから私の一日は始まります。
自分の部屋も清潔に保てないようでは、屋敷の管理などできるはずもありませんからね。
それから部屋を出ると、外には先の見えないほど長い廊下が続いています。
シルベスター邸は、
一つ目は入口の頑強な門をくぐってすぐ、シルベスター家が誇る
平民貴族を問わず、基本的に敷地に立ち入って最初に通るのが本部であり、そこで用件の確認や身分証の確認などを行ないます。
二つ目は敷地の丁度中央に位置し、騎士団員や屋敷の者達が使用するトレーニングや模擬戦が行われる、闘技場などを擁した訓練棟。
騎士団の皆様が訓練に使用したり……最近の人目のつかない時にはレイドヴィル様も使われていますか。
王国最強とも噂される
次に三つ目、入口から見た闘技場を中心として左手にあるのが北棟です。
主に住み込みの騎士団員や事務員、家に仕える大半の侍従達が暮らす建物で、寮のような様相を呈していますが、貴族以外の客人を泊める客室なども存在しています。
この広大な敷地の全てを管理しようと思うと大量の人員が必要となり、当然北棟の部屋数はそれはもう凄まじいものになります。
最後四つ目は、闘技場を中心とした北棟の反対に位置する建物が南棟。
南棟は厳重に保管する必要のない比較的安価な本が蔵書されている書物庫、日々消費される膨大な量の食料を置いておく食糧庫、パーティーや会食が行われるダンスホールなど、ある程度の広さを必要とする施設が置かれたり、迎賓館など雑多な役目を果たしています。
使用頻度自体は少ないですが、イベント事ではかなり重宝するでしょうか。
あとはイザベル様やレイドヴィル様達、読書をこよなく愛する方々はよく足を運んでおられるようですね。
私自身あまり本を読む方ではありませんが、そんな私でも書物庫に行くと何か読みたくなるくらいには、あの場所の蔵書数は目を見張るものがあります。
最後が本部を通り訓練施設を抜けた先、シルベスター家の方々や私を含めた一定以上の地位にある侍従が暮らし、貴族や高貴な客人などが滞在するシルベスター家本棟です。
調度品は全て高級なもので統一されている、まさに貴族の邸宅という印象を抱く場所ですね。
これら全ての建物が男爵家相当かそれ以上の大きさを誇っており、その総敷地はアルケミア王国王城にも匹敵するほどで、大人数で分担しているとはいえ掃除のたびに苦労させられます。
これから私が向かうのは本棟の玄関ホール。
私達侍従は朝、そこへ集まって挨拶・情報伝達を行ってから仕事を始めるのです。
朝から顔を合わせ、コミュニケーションを交わすことが仕事の効率上昇に繋がりますからね。
「…………」
私以外、誰一人人がいないのではないかと錯覚するような静寂。
他のメイドや執事たちもすでに動き出している時間帯のはずですが、物音一つない時間。
私は朝のこの時間が一日で最も気に入っています。
夜とはまた違う、新しい一日が始まったのだ、という感じがするからでしょうか。
「メイド長~」
後ろから声を掛けられたので振り返ると、一人のメイドがこちらへ走ってくるところでした。
「メイド長、おはようございますっ!!」
「はい、おはようございますエマ。まだ寝ている方々も多いという時間だ、ということを除けば満点の挨拶ですね」
「あ、も、申し訳ありません。以後気を付けます~」
朝から元気いっぱいな挨拶をかましてくれたのは、同じメイドのエマです。
丁度私が新人メイドたちの教育を任されたころに入ってきたメイドで、それ以来何かと懐いてくれており、普段から色々な話をしたりする大事な後輩です。
新人教育の際はかなり厳しく接したはずなのですが、どうしてか懐かれてしまいました。
懐かれること自体は悪い気はしないのですが、少々不思議にも思います。
「あなたのその大きな声を出す癖、普段なら褒めこそすれ、叱ることなどしないのですがね……」
「へへへ、ありがとうございます!」
はぁ、とため息を一つ。
このエマというメイド、新人の時から優秀で教育の際も手間のかからない人材だったのですが、時々こうして気の回らないところがあって、お客様のおもてなしを手放しに任せられないのです。
この致命傷さえなければ将来、人をまとめる立場にも就けてあげられるものなのですが……
「褒めてはいないのですがね?……と言っても無駄なのでしょうね。さあ、早く玄関に向かいましょう。頭の人間が遅れるようなことがあってはなりませんからね」
「はい、お供します!」
それからエマと他愛のない話をしながら玄関の方へと歩いていきます。
時折他のメイドや執事と挨拶を交わしながら進んでいき、玄関へと辿り着きました。
私達が玄関に着いてすぐ、ちらほらと集まり始めていた者たちと挨拶を交わし、私は定刻までのわずかな時間朝礼の言葉を思い浮かべながら過ごします。
やがて定刻になり、私と執事長のベルト殿がホールの二階に続く階段に立ち、
「時間になりましたね、それでは皆さん、おはようございます」
「「「「おはようございます!!」」」」
私の号令に続き、他の者達も声を出します。
朝の静かな時間が一日の始まりなら、この挨拶はさながら仕事の始まりといったところでしょうか。
この重なった声が、私の気持ちをかちりと切り替えてくれたのを感じます。
「今日の日常業務も通常通り変更はありません。本日いらっしゃるお客様は昨日伝えた通り、十一時にいらっしゃいます。その際の接客は私とベルト殿、それからメアリー班で行いますからそのつもりで準備をしておいてください」
言わなければならないことはたくさんありましたが、朝礼前の思考時間が功を奏したようでスラスラと言葉が出てきます。
必要事項はきちんと伝え、それでいて長くならないように……と挨拶を終えようとして、もう一つ確認しておいた方が良い事を思い出しました。
「最後に例の件ですが、くれぐれも勘の鋭いレイドヴィル様にばれてしまうことの無いように、細心の注意を払って準備を行ってください。私からは以上です。ベルト殿からは何か?」
「いえ、自分からは特にありません」
「分かりました。それでは仕事にとりかかってください。今日も一日頑張りましょう」
合図とともに、皆がそれぞれの仕事に取り掛かり始め、私は大きく息を吐いてからようやく肩の力が抜けたような気がします。
メイド長になって早三年、この朝礼に慣れる日は来るのでしょうか。
この広い屋敷を管理しようと思うと、相当数の人手が必要になります。
当然その纏め役ともなれば多くの人の前に立つわけで、どうしても緊張をしてしまいます。
「お疲れさまでした、本日も大変良く出来ておられましたよ」
「ありがとうございます、ベルト殿。そう言っていただけると幸いです」
目の前に立つ、この仕事の出来そうな御仁がベルト殿。
齢は五十ほどだったでしょうか。
私などよりも長くこの家に仕えてきている方で、執事長を務める、私と比べてかなり高い地位の方なのですが――
「今日は確かシルベスター家の分家に当たる、アージェント家のご当主様とご息女様がいらっしゃるのでしたね。その際の指示は全て貴女に一任します。補佐はお任せを」
「別にベルト殿が指揮を執ってくださってもよいのですよ?貴殿の方が経験もありますし……」
「だからこそですよ。貴女により経験を積んで頂く事こそが、この家に仕える者のためになると信じておりますからね」
一応言っておきますと、この何回目かも分からないやり取りは決して責任を押し付け合っているのではありません。
ベルト殿は、ちょうど五年前に新しく執事長として選ばれた人物で、どうもご自分が執事長にふさわしくないとお思いの節があるようなのです。
まあ確かに、前執事長は誰もが自信を失うくらい立派で何事も卒なくこなす、というかどこでそんなことを覚えたのだと言いたくなるようなことも平然とやってのける方でしたから、その気持ちは分からないでもないのですが……。
加えて、最年少でこの屋敷のメイド長になったからなのか、私のことをいたく評価してくださっているようで。
こうも簡単に重要な接客などを任せないで欲しいものですが。
重ねて言いますが、別に責任の伴う仕事が嫌なわけではないのですよ?
本当に切羽の詰まったときは助けてくださいますし、こうした経験が自分の将来につながることは分かっているのですが、どうしてこんなにも評価していただけるのでしょう……
―――――
朝礼を終えてしばらく経ち、空も目を覚まし始めた頃、私は現在奥様――アルシリーナ様の御起床のお手伝いをしています。
美しく聡明な奥様ですが朝には大変弱く、一人ではまず起きることができません。
広い世にはそうした体質があることは知っていましたし、この屋敷で働くことになれば真っ先に教えられることでもありますが、そのお姿からはあまり想像がつかないものです。
今は亡き大奥様――レイドヴィル様のお婆様に当たるお方も朝に弱かったとのことですので、恐らく遺伝なのでしょう。
その点レイドヴィル様は旦那様の血が濃く出たようで、今頃はエマや時間のある騎士団員の方に見守られながら元気に庭を走り回っておられるのではないでしょうか。
「奥様、そろそろ起床のお時間ですよ。奥様」
「うぅ~ん……、あと五時間……」
「そんなこと仰らずに、さあ」
型にはめたような言葉とともに型破りな時間を要求してきた奥様に対し、私は心を鬼にして奥様を揺り起こしました。
未だ瞼の開かない奥様を鏡台の前に座らせ、濡れタオルで顔を拭い、ボサボサになった髪を櫛で梳かしていきます。
手で梳かしただけでも流れるような輝きを取り戻すであろう髪は、同じ女性として嫉妬心のようなものを覚えてしまいます。
レイドヴィル様に似たサラサラの美しい髪……ではなく、お子であるレイドヴィル様の方が奥様に似ているのでしたね。
見惚れてしまう銀の色までそっくりです。
言われるがままに体を動かす奥様を慣れた手つきで、寝間着から外行の服へと着替えさせていき、主に貴族が使用する本棟食堂までご案内していきます。
この後は旦那様とレイドヴィル様がお揃いになられてから料理を運び、メニューを紹介してから食事へと移っていく流れとなります。
これが朝のシルベスター家の方々に関しての仕事内容です。
いつも通りならばそろそろレイドヴィル様も朝の運動を終え。旦那様と食堂へいらっしゃる頃合いでしょう。
と、ここまでくれば微睡みも覚めるのか、奥様がきょろきょろと周囲を見渡されていました。
私はその幼子のような仕草に微笑ましい気持ちで――
「奥様。ここは本棟食堂で、今は七時丁度といったところですよ」
「あらそう?ありがとう。いつもごめんなさいね、迷惑を掛けて」
「とんでもございません。これも仕事ですし、体質なのですから仕方がありませんよ」
こうしていつも労いと謝罪の言葉をくださるのですが、本当に必要のないものです。
もちろん、自分の仕事を認められて嫌な気はしませんが。
「ヴェイクとヴィルは?」
「旦那様は昨夜の騎士団の活動報告をお聞きになっています。レイドヴィル様はいつも通り訓練棟で朝の鍛錬をなさっています」
「そう……ヴィルは努力家ね。立派に成長してくれているようで何よりだわ。私達があまり構ってあげられていないが気掛かりなのだけど……」
申し訳なさそうに、やや俯きながら呟く奥様。
それはレイドヴィル様の抱いている、構って欲しいという幼少期特有の寂しさをよく理解されているからでしょう。
何故なら奥様もまた両親が忙しく、幼少期に構ってもらうということが少なかったそうで、レイドヴィル様がお生まれになる前はよく「私が手ずから育ててあげるんだから!」と仰っていましたからね。
しかし現実はそうはいかず、レイドヴィル様のお世話やお相手を私達家の者や、騎士団員の方々に任せることが多くなってしまっていました。
そのことを気に病んでいらっしゃるのでしょうが――
「確かに普通の子供として見ればあまり褒められたことではないでしょうが、レイドヴィル様も貴族、両親との距離が少し遠いことくらい、分かっておられるでしょう。それに我々がいます。この家に、レイドヴィル様を邪険に扱う者などおりません」
やや強い口調で話した私に、奥様は少し驚いてから私の意図に気が付かれたようで、
「ふふ、そうね。ミアもイザベルちゃんもいるものね――ありがとう、あなたも頼りにしてるわ、メイド長」
からかう様な目線を下さる奥様を見て、私も励ますことができてよかったと胸を撫で下ろしました。
そうして奥様とお話をしていると、旦那様とレイドヴィル様が食堂へといらっしゃいました。
「おはよう、ヴェイク、ヴィル」
「ああ、おはようリーナ、メイド長」
「おはようございます。母様。それにメイド長も」
「はい、おはようございます、旦那様、レイドヴィル様」
入ってきたお二人と挨拶をし、ドアのそばに控えていたジェーンに合図、
今日の朝食はサナティエ地方で採れた小麦を使ったパン、同じくサナティエ産の野菜と今朝仕入れた羊肉のスープとパイです。
その食事をレイドヴィル様に二人分、奥様と旦那様に一人分ずつ並べていきます。
レイドヴィル様は目の前に並べられた大量の料理に目を輝かせていますが、やはりいつ見ても違和感がすごいと言いますか……。
実はレイドヴィル様、そのお体からは想像もできないほどの凄まじい健啖家なのです。
いえ、最早それは健啖家という言葉では表しきれず、言葉を選ばずに言えば超大喰らいといったところでしょうか。
以前部下が作る量を間違え、これはもう廃棄するしかないと諦めていた四、五人分の料理をぺろりと平らげ平然としていた時は恐怖を通り越して、その見た目の変わらない生命の神秘に興味が湧いてくるほどでした。
多くの人に驚かれたそれ以来、レイドヴィル様ご本人は食事量を抑えていると仰っておりましたが、やはり空腹は我慢が難しいのか、こうして毎食二人分相当の食事をお召し上がりになるのです。
レイドヴィル様のまだ小さなお口に大量の料理が吸い込まれていく様はいつ見ても不思議で、今もジェーンや他のメイドや執事達の注目を一身に集めています。
勿論私の目もそちらに吸い込まれそうになりますが、そこは私もメイド長。
食卓全体に目を配り、給仕に努めましたとも、ええ。
部下達も私の仕事を見て、ようやく動き出したようです。
気持ちは分かりますが、これで一安心。
一人変わらず呆けた顔で食事の様子を見ているエマには、後でお説教をしておきましょう。
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