第2話 幼き日常 一
「ミヤ!ベル姉!遊んで!」
「はい…喜んで。今片づけますので…少々お待ちください」
「いいよ、遊ぼっか!」
けたたましい音と共にドアを開け、とある部屋に入って行ったのは生まれてから随分成長した、四歳になったレイドヴィルだ。
多くの願い通り無事に生まれたレイドヴィルは、同い年のどの子供よりも早くハイハイをし、誰よりも早くつかまり立ちをし、誰よりも早く一人で家中を歩き回り、誰よりも早く言葉を解した為天才だなんだともてはやされた。
他とは一線を画す才能の欠片、それはシルベスターの血を継ぐ者として望まれた輝きであり、ヴィルは約束された未来への期待を一身に受けて育っていた。
多忙で家を空ける事の多い両親に代わり、家庭教師や騎士団に所属する騎士達による英才教育を受けてぐんぐんと知識や技術を吸収していっているのだが、それでもまだ四歳だ。
誰かと遊びたい年頃で、かつ誰かに甘えたい年頃でもある。
だからこうして授業と授業の合間に誰かの所に遊びに行くのだが、今日は二人の所に来る事にしたようだ。
そういう訳で、ミヤと
ミヤは、艶のある漆黒の髪を腰よりも長く伸ばし、目元は前髪で完全に覆い隠している、体の線の隠れた肌の見えない服とどこか独特な空気を纏う物静かな女性だ。
彼女は魔術師の中でも天体術師、とりわけ星に重きを置いた占星術師に分類される。
占星術師とは、星を詠む事で限定的に未来を予知できる者の事を言うのだが、適性が限られており人を選ぶ為とにかく知名度が低く、街中で占星術師とは何かを聞いたとしても、百人に一人知っているかどうかといった魔術師だ。
そんな彼女はヴィルに対し、生まれた頃からやや仰々しいまでの敬意を向けており、それはどうやらヴィルとミヤの未来に起因するようなのだが、その詳細は誰も知らない。
騎士団の、というよりはシルベスター家に所属する、状況は限られるが未来を知る事の出来る、重宝される人物である。
イザベルはシルベスター家の運営する孤児院出身、ゆるく膨らんだ橙色の髪を持つ、元気溌剌という言葉の似合う明るい女性だ。
彼女は特異な魔術特性を持っており、その才能を見出されて、今はこの家で魔術の研究をしている。
レイドヴィルにベル姉と呼ばれて最も懐かれている人物でもあり、彼とは年の離れた弟のように接していた。
そんな二人はレイドヴィルに手を引かれ、シルベスター邸に広がる広大な庭へと出る。
レイドヴィルは身体を動かすもの、動かさないものに関わらず遊ぶのが好きなのだが、最近特によく行うのはボール遊びだ。
それは順番にボールを投げ合う、誰もがやった事のあるであろう単純な遊びなのだが……
「ふぅ…やはり少し重いですね」
ボール遊びを始めてしばらく、自分の順になり、レイドヴィルから投げられたボールを受け取るミヤが溜息交じりにぽつりとこぼす。
というのも先程から投げ合っている一見普通と変わらないボールだが、その重量、なんと二キログラムである。
四歳児は言わずもがな、一応魔術師に定義される占星術師であるミヤにも投げたり受け止めたりするには少々厳しいものがある。
魔力による精一杯の身体強化で何とか続けているものの、そう長く続けていられる遊びではない。
対するレイドヴィルは嬉々とした表情で、軽々とイザベルへボールを投げ渡している。
驚くべき事に、レイドヴィルは四歳という年齢で既に、魔力による単純な身体強化を行使が可能となっているのだ。
これも厳しい英才教育の成果かと呆れる反面、レイドヴィルという存在の才能に末恐ろしいものを感じずにはいられないミヤであった。
「やっぱりヴィルくんはすごいねぇ。将来はきっと凄い騎士様か魔術師になれるよ」
「本当!?」
「嘘じゃないよ。私がちっちゃいときは魔力も上手く使えなかったもん」
イザベルが出した手に吸い込まれるように届いたややコースの外れたボールを見て、苦笑するようにイザベルは話す。
もっとも吸い込まれるようにと言ったが、正確にはイザベルの収束魔術によるものだ。
収束魔術は名が体を表すという言葉通り、ものの流れを一点に集める魔術だ。
実戦向きでは無いが数が少ない為実験が捗り、こうして飛翔物の軌道を曲げるという使い方も出来る。
今回はレイドヴィルのボールのコントロールが上手くいかなかった形だが、速度自体は申し分なさすぎるものだった為、多少のブレは問題にならないだろう。
そうしてボール遊びを続ける中、レイドヴィルが期待感を前面に出しながら二人に話し掛ける。
「僕、どんな魔術特性かな?火とか風とかがいいなぁ」
もう何度目かもわからない質問をするレイドヴィルに、イザベルは微笑ましくも呆れ顔だ。
幼少期というのは魔力の源たる魂が安定しておらず、行使できる魔術の種類や属性を表す魔術特性も判別ができない。
平均で五歳ごろには安定し本格的な魔術の訓練に移れるので、レイドヴィルは気になって気になって仕方がないのだ。
「レイドヴィル様は旦那様と奥様の子でいらっしゃいますし…特に奥様方の血が強く出ておりますので…必ずや強力な魔術を使うことができるでしょう」
「そうだよ~。だから早く五歳になれるといいね」
「うん!」
レイドヴィルが質問し、ミヤがやや大仰に断定し、イザベルがあやす。
ここまでがいつもの一連の流れだ。
「――そろそろ時間のようですね」
ボール遊びを続ける事しばらく、ミヤが虚空にそう呟き、レイドヴィルへ向き直って丁寧にお辞儀をする。
それは貴族の礼節からはやや外れた仕草だったが、ミヤなりの全霊の敬意が込められたお辞儀だった。
「私はこれより礼拝がありますので…途中ながら失礼させて頂きます」
「分かりました、私はもう少しヴィルくんと遊んでますね」
そしてミヤが、自らの信仰する星々へ祈るために中座するのもいつもの事である。
余談だが王国を含めた世界で、主に信仰されているのは女神ゼレスを崇めるゼレス教という宗教だ。
数十年前までは世界中で絶大な権力を誇っていた一大宗教であり、勢いの衰えた今でも最大の教徒数を誇っている。
そんなゼレス教は女神との縁から月へ祈りを捧げる宗教なのだが、対してミヤが祈りを捧げるのはその周りに散りばめられた星々。
信仰の対象が異なる事もあって、その祈り方もゼレス教の者とは大きく違っており、ミヤはその儀式を人に見られる事を良く思っていなかった。
普段のレイドヴィルであれば、イザベルに倣って何の疑問もなくミヤを送り出していたのだが、今日が良い天気だったからだろうか。
理由は定かでは無いがミヤの儀式が無性に気になったヴィルは、礼拝を見学しようと口に出したのだが……
「ねぇ、僕も礼拝ついて行っていい?僕もお祈りしてみたいんだけど……」
「なりません」
こうも端的に言い切られてしまっては、ごねる事も出来はしない。
レイドヴィルはあたふたと慌てた後、しゅんとした様子で謝った。
「あ……ごめんなさい」
「……いえ…こちらこそ申し訳ございません。ですがレイドヴィル様には…天星教会の教義など害にしかなりえないのです。どうか…ご理解を」
気分を害してしまったことを謝るレイドヴィルに対し、ミヤは謝る必要が無い事を伝え、しかし礼拝に興味を持つ事を窘める。
落ち込んだ様子のレイドヴィルに対し、ミヤは再度お辞儀をしてからその場を立ち去る。
そして去り際に一言。
「――このような信仰…無い方がずっと良いのですから」
そうレイドヴィルに言い聞かせるように、自身に言い聞かせるように呟き、いつもより暗い雰囲気を纏ったように見えるミヤは、一人屋敷へと戻っていってしまった。
ミヤは人とは違う空気を纏った女性であり、彼女を嫌う者は騎士団にはいないが、親しくする者もまたいない。
強いて挙げるならそれこそレイドヴィルかイザベルくらいのもので、だからこそレイドヴィルはミヤとより仲良くなりたいと考えたのだ。
しかし結果はこの通り、作戦は上手くいかずミヤを傷付けてしまった。
「…………」
「ヴィルくん、あんまり落ち込んじゃダメだよ?」
「……うん。でも……」
「人にはいろいろあるんだよ。聞かれたくないこと、やりたくなくて、それでもやらなくちゃいけないこととかね。ヴィルくんにも悪気があったわけじゃないんだし、ミヤさんだって怒ってなんかなかったし、ね?」
「ん……」
「さ、続きしよ!次の授業まであんまり時間ないよ?ほい!」
「おおっととと……。……うん!」
落ち込むレイドヴィルをイザベルが慰め、ボール遊びを再開する。
レイドヴィルの顔には既に暗い色は無く、純粋に自身との遊びを楽しんでいる事だけがイザベルへと伝わって来た。
この年頃の子供はすぐに落ち込んでしまう事もままあるが、同時に立ち直りが早い時期でもある。
優しいレイドヴィルはいずれミヤの凍り付いた心も溶かしてしまうだろう、今はまだ時期尚早なだけだ。
だからそれまでは、無邪気な子供として遊べばいいのだと、イザベルは弟分の成長を微笑ましく見守りながらボールを投げ返す。
これから厳しい訓練を行うレイドヴィルの、少しでも気分転換になれば良いなと考えながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます