第50話 フェードアウト



カラオケ屋からボロ屋へ帰ってきても、俺と佐久間さんは、一緒に過ごしていた。


金曜日の夜の特権だ。明日のことを気にする必要はない。

ご飯をとり、そのままグタグタと部屋に転がる。

彼女がやってきて一ヶ月、日がな彼女がそこにいることにも、もうすっかり慣れた。


むしろ一人でさえ手狭なはずの空間が、佐久間さんがいないと寂しく感じるくらいだ。


彼女は、またしてもベッドの上、漫画を読み耽っていた。

俺の枕を胸下に抱え込むのも、もういつものことだった。


ほんとやめてほしいのだが……、言ったって聞かないので、もう諦めていた。


俺はローテーブルの前まで座布団を引きずって、晩酌タイムをとることにする。


といっても、注ぐのは酒ではなくて、お茶だ。

今日のチョイスは、苦さの中にほんのりとしたコク、抜けるような甘みを感じさせる静岡茶。


アテも、スルメやうずら卵ではなくこの間、佐久間さんが買ってくれた味噌煎餅だ。


俺がまったりそれを嗜んでいると、


「本当美味しそうに飲むね、翔くん。私も飲みたくなってきたかも」


佐久間さんが、身を跳ね起こして、女の子座り。

俺の方へ、上半身だけをぐーっと伸ばしてくる。


尋常ならざる柔軟性だ。まるで猫みたいに、その体は伸びる。

さすが、体力テストで満点を叩き出すだけのことはあった。


「ね、貰ってもいいかな?」

「ほんとか? いやぁ、嬉しい。ありがとう、すぐ淹れるから座っておいてくれ!」

「め、目の色変わったね……」


いつもはエナジードリンク漬けになっている佐久間さんを、『わびさび』の世界へ引き摺り込むまたとないチャンスだ。


俺は意気込んで、茶の用意へ取り掛かる。


まずポットの湯を湯飲みに注ぎ、冷ましていった。

茶葉の種類や煎り方によって、最適な温度が違うためだ。


蒸らし時間まで慎重に見極めて、彼女の分を注ぐ。できる頃には、俺の横で彼女は正座をしていた。


濁った深緑色、抹茶の溶けた綺麗なお茶に、俺と同時に口をつける。


「「ふへ〜…………」」


気の抜けた声も、全く揃って居間を満たした。

これだよ、これ。この溜まっていたガスが抜けていく感覚である。


飲み終わると、佐久間さんは正座に組んでいた足を崩し、テーブル下に投げ出す。


そう、それでいいのだ。

家で楽しむお茶は、なんとか千家みたく格式ばる必要はない。


形はどうあれ、リラックスできれば、それでいいのだ。

いつもはそうなのだが、俺の気分はむしろ昂っていた。


誰かに自分の趣味を理解してもらえる感覚ときたら、嬉しいことこのうえない。


俺は安息とともに満足感を覚え、佐久間さんにならって足を伸ばそうとする。


そして、


「…………ん、わるい。ごめん」


足先同士が触れあってしまった。


「いいよ〜、やっぱり足は伸ばしたくなるもんねー」


なんて佐久間さんは少し横へずれてくれたのだが…………。


ちょん、ちょん、と。


黒ソックスを履いた足先で、突っついてくるではないか。


顔を見れば、とくに表情は変わらない。なんのつもりもない、ちょっとしたお戯れらしかった。


彼女は熱心に、足先へ注意を向けている。


……恐ろしい。

耐えがたい誘惑になっているとは、微塵も気づいていないらしい。


制服姿の女子高生に、それも超美少女にそんなことをされて、変な気分にならない奴がどこにいようか。


脚フェチでなくたって、生唾を飲まざるを得ない。


お茶で落ち着いたばかりの心が、全力でかき混ぜられていた。


こんなときこそ、テレビだ。馬鹿話をして、この気分を誤魔化させてくれ。


俺はリモコンを探して、いつもの置き場であるテーブルの上を見る。


が、そこには代わりに菓子袋が置いてあるだけだった。


なにかの時に、彼女がずらしたのだろうか。

ぐりっと一周、家を見てみれば、それはベッドの上に置かれていた。


俺はベッドへと手を伸ばして、リモコンの電源ボタンを押す。


ちょうどニュース情報番組の時間だったらしく、テレビでは芸能関係の報道が伝えられていた。


二人、テレビ画面に釘付けにされる。

画面端の方に掲示された『話題のニュース一覧』なる項目に、目を這わせる。


果たして、「佐久 杏子」の名前は、そこになかった。


「そういえば、もう聞かないね、私の話」

「…………言われてみれば、そうだな」


大事件とも言える、春の謝罪会見から、約一月。

その大炎上した勢いは、かなり落ち着いてきてくれているらしい。


「順調だね、きっと。こうしてみんな、忘れてくれるよ」

「…………いいのか? 一応は休業なんだろ」


俺は流れの中で、こんなふうに聞いてしまう。


「うーん、まぁ忘れられるのが嫌かって言えばそうかもだけど」


顎に人差し指を当てて、佐久間さんは間をとる。


「私は君に覚えてて貰えば、それでいいんだよ」

「……そういうこと言ってるんじゃないんだけど?」

「どうせ復帰なんてまだまだ先だし、いいんだよ、これで」


彼女はそう言って、お茶を軽くすする。

その顔は、さっきまでよりいっそう、晴れやかに見えた。



 

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