第49話 佐久間杏の初生ライブはカラオケで?




ゆっくりと、同級生たちに慣れていってもらう計画のはずだった。


朝の自習時間は、そのきっかけとなるはずの第一歩。

それをやっと彼女が踏み出したというのに…………


俺の敷いたはずのレールは、今まさに崩壊しようとしていた。


「恋のエンジェル、君の目に踊ってnight♪」


金曜日の放課後。

待ちわびた休日の到来を祝って、その犯人たる少女は熱唱する。


今まさしくサビを歌い終わり、マイクを突き上げた。


またしても、藤浪 灯里だった。


うーん、怖いな、爆弾娘。


その跳ね上げた髪の毛が、導火線に見えてくる。


なにが怖いって、あの佐久間杏を、氷の女王なんて一部では呼ばれている彼女を、カラオケに誘ってしまうのだから。


それも、初手だ。


親しくなるという段階を全てすっ飛ばして、超閉鎖空間に閉じ込められる、あのカラオケだ。


朝のサイン騒動の終わり際、


「あっ委員長、今日カラオケ行くんだけど、くる? 陸奥もくるよ。

 ねぇ。さくさくっちも一緒においで! 楽しい楽しい歌の祭典だ〜!」


などと、ほとんどノリで誘いをかけてきたのだ。

本当に超有名フェスに出たことのある、アイドル様へ向かって。


それも「さくさくっち」などという訳の分からないあだ名とともに、だ。


俺が参加メンツに数えられるのは、この間参加したこともあったので分かるが……


普通のメンタルでは、佐久間さんに軽々しく声はかけられない。それを、この馴れ馴れしさである。



断るに決まっている。彼女が行かないと言うなら、俺も今回は遠慮しよう。


そう思っていたのだが、佐久間さんは意外なことに、誘いを受けた。


自分で、「行く」と言ったのだ。


もしかすると、いきなり話しかけられて正常な判断ができていないのかもしれない。


「断ってもいいんじゃない? 家の用事とか言っといてさ」


俺は一応、彼女にささやいて逃げ道を用意した。けれど、彼女はそれを使わなかった。




そして、今である。



佐久間さんは、天井から吊るされ回るミラーボールを放心して見つめていた。


ほけー、として、頭が回っていないらしい。

上の空状態で、歌も聞いてるんだかないんだか。


開ききった、麗しい目は焦点があっていない。


「次、さくさくっち〜、歌う? 歌っちゃう!? 聞きたいかも、現役アイドルの生歌!」


……本当に、空気を読むことを知らない子だ。

地雷だろうとなんだろうと、目に見えるものは全てスキップついでに踏み抜く。


藤浪が、佐久間さんへ不躾なリクエストしてしまった。


マイクを手前のテーブルに置かれ、佐久間さんは、瞬きだけして手に取ろうとはしない。


見ていられなくなって、


「ごめん、後回しで頼むよ。俺たち、飲み物汲んでくるから」

「あー、ならしゃあないねー」

「うん、しゃあない。

 なんかいるなら、みんなの分も入れてくるけど」


お茶汲み、要はパシリの役割を自ら買って出て、俺たちは部屋を一旦退散する。


廊下に出たところで、俺は彼女の顔の前で一つ手を叩いた。


それで、魂は元の場所へと帰ってきたらしい。


「……翔くん、カラオケ屋ってこんなんなんだね。すごいね、高校生。ミラーボールの下で歌えるだなんて」

「そっくりそのまま返却するよ、その言葉。

 佐久間さんは、何万人の拍手喝采の前で歌ってきただろー」


ドリンクバーへと歩き出しながら、俺は言う。


自分で言っていてなんだが、規模感が違いすぎて、いまいちよく分からない。


少なくとも言えるのは、今みたく、水汲みに駆り出されることはまずなかっただろうということだけだ。


「別に、無理に歌う必要ないからなー。そもそもさ、いつもみたく、ばしっと断ってもよかったんじゃないの」

「…………えっと、まぁそうなんだけどね。カラオケって楽しそうだなぁ、ともちょっと思っちゃったから」


佐久間さんは、少しもじもじとして、紺色スカートの裾を揺らし、ひだを摘んで伸ばす。


「あー、アイドル辞めてから歌ってないからか?」

「それもあるのかも。ちょっとワクワクしちゃったんだね、私。実はまだアイドル魂が残ってたのかも」


平日、金曜日の夕方だ。

まだ社会人たちが流れ込んでくる時間でもなく、たぶん店内には俺たち一組だけだった。


がらんとしたドリンクバーで、人数分の飲み物を手分けして入れていく。


俺と二人になったことで、彼女はだんだんとペースを取り戻してきたらしい。

スピーカーから流れる流行りのポップに、佐久間さんは鼻歌をふんふん合わせる。


環境はともかくとして、歌いたいんだろうな、とは思った。

その気持ちを、見て見ぬ振りはできない。


「あー…………デュエットでも、やるか?」


少しでも佐久間さんが楽しんでくれるのなら。


その一心だったが、ど素人がプロ相手に言うのは、予想外に恥ずかしい。


俺はコーラを注ぎながら、その弾ける泡へとわざわざ視線を固定する。


が、そんな俺の腕を、彼女ははしっと掴んだ。


「そっか、デュエット……! カラオケってそんな手があるんだ。翔くんと歌えるんだ!」


その目に、希望の光が灯っていた。


「お、おう。まぁ、有名な曲ならだいたい分かるよ」

「じゃあ、私の曲とかは? 『星のリナリス』の中だと?」

「そうだな、たとえば…………」


想起するや、もやから浮かんできたのは、寝起きに聞いた彼女のとろ甘い声だ。


「『あなただけの私』とか?」

「歌えるんだ、そっか、えへへ。私の曲、本当に聞いてくれてたんだ」


そう満面開花で笑まれると、俺まで照れてしまう。

ついつい、ボタンを長押ししすぎて、コーラを溢してしまった。


手はベタつくし、心はバタつく。


「別に、他にも歌える曲はあるよ。……というか、全部有名すぎて知らない曲なんかないな」

「じゃあ、あとでテストね! 私が適当に『星のリナリス』の歌入れるから、翔くんがぶっつけで歌います!」


なにそれ、地獄じゃん。


「というか、デュエットになってないし! なにその地獄イントロドン」

「あ、ほんとだ……。これじゃただの翔くん、詰問クイズだ」

「まったくだ、自覚あるなら控えてくれ。せめて予習させてくれ。

 それで、行けそうか?」

「うん! 私、翔くんと一緒になら、歌いたい!」


俺たちは飲み物を入れ終わり、トレーに乗せてクラスメイトたちの待つ部屋へと帰る。



カラオケ屋とはいえ、歌は歌だ。


やはりなにかのスイッチが入るらしく、佐久間さんは深呼吸をして廊下をゆく。


一歩下がって見てみれば、プロの後ろ姿だ、やっぱり格好いい。

安いカーペットを、まるでステージまで続く花道かのように見せてしまう。


そして、部屋に戻り少し、ついにその時はきた。


「み、みんな、私、歌います! 翔くんと!」


佐久間さんはふくよかな胸元でマイクを握りしめ、赤い顔で宣言する。


同級生たちは、みんなマラカスを手にして、ガチ応援態勢だ。

揃いも揃って、ドルオタの素質あるかもしれない。


結局入れたのは、『あなただけの私』とは別の曲、『水色のプロローグ』という爽やかな曲だった。


国民的人気アイドル様には、小さすぎる箱だ。でも、一女子高生には身の丈に合っている。


歌手名に表記された『佐久杏子』としてではなく、佐久間杏としての初お披露目だ。


その出だしで、


「三回目の夏、君とすぎょす…………」


俺が噛んだ。


完全に、ただの添え物であるところの、俺がやらかした。


ほんとすいません。生きててすいません。


俺があまりの失態に立っていられなくなり、ソファへ座り込み頭を抱える。


ブーイングがあってもおかしくなかったが、ありがたいことに室内はむしろ爆笑に包まれてくれた。


みんな、好き。大好き、クラスメイトのみんな★! 委員長はみんなを愛してる!


「ほんと、翔らしいぜ。締まらない時はとことんだな」

「あんまり言ってくれるなよ、爽太郎」


遠慮なしに肩口を小突いてくるロン毛な親友に、俺はそのままの態勢で、ぼやく。


「ふふ、ふふっ、翔くんってば」


佐久間さんも堪えきれなかったらしい、歌のかわりに、笑い声が吹き込まれ、スピーカーから漏れてくる。


俺は自分の失態を恥じながらも、……あぁこの調子だと思った。


だってあの佐久間さんが、クラスメイトと同じカラオケの個室で、みんなと笑いを共有しているのだ。


大躍進とさえ言える。



突飛なお誘いだったが、いいきっかけになってくれた。


これは、藤浪に感謝する必要があるかもしれない。

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