第43話 朝の勉強会は三人で。




「翔くん、こんなの聞いてないよぉ……」


佐久間さんが不満を託して漏らしたのは、早朝の教室でのことだった。


席に座った彼女の前に広がるのは、英語の教材。

しかし手もつけずにだらんと腕を腰の横に下ろして、彼女は呆然とした顔をしている。


佐久間さんの苦手科目は数学だから、英語が嫌いなわけではない。


問題は、それとは別のところ、向かいの机にあった。


ちょうど離席しているが、そこは比嘉さんの席なのだ。


「二人でお勉強ならやるよ? 翔くんに教えてもらうの好きだもん。でもこれは……」

「大丈夫だって。取って食われるわけじゃないんだし」

「でもね……」

「でも、じゃない。このまま過ごしてたら、いつまでもクラスに馴染めないだろー」


でも、けど、たとえそうでも、とたくさん逆接をこねて、彼女はねだるように眉を落とす。


その瞳はきらきらと涙の膜が張られ、揺らめいていた。



……どうやったら、こんなに可愛くできるのだろう。


彼女が願うのなら、なんでも叶えてあげたくなってしまうというもの。



そこらの男ならそうかもしれないが、俺はそれではいけない。


ここでほいほい釣られていては、これから先も思いやられてしまう。


「これも、当たり前にしていくための一環だよ。いつまでも俺としか喋れないのもダメだろー」

「ダメじゃないよ?」


うん。本気で言ってそうだから、この子の純真さにはお見それする。


「いいや、ダメだ。このままじゃ、クラスメイトたちを「愚民どもが! 私と会話するなんて百年早いわ!」って見下ろしてるアイドル様になっちゃうと思うし」

「失礼すぎる! 私、そんな子じゃないし!」


知ってる、よく知ってる。


でも現時点で、俺以外の誰かに一切興味を持っていない。

さらにいえば持とうとしていないのもまた、身をもって分かっていた。


彼女の中では、とくに区別しているつもりはなのだろう。


けれど、周囲からしてみれば、「相手にもしてくれない」と感じているに違いない。


一人、高みにいる存在だときっと思われている。


「そんなに緊張しなくてもいいっての。比嘉さんは優しいから」

「翔くんは、私に厳しいけどね。勉強させるし、他の女の子褒めるし」

「……他意はないから! 事実を述べたまでだ」

「むぅ。鬼だ、スパルタだ、鬼畜だ〜!」


どうも、子供っぽいモードのスイッチが入ってしまった。

けれど、またたくまにそれはがらりと変わることとなる。


教室後方の扉が開かれ、比嘉さんが戻ってきたのだ。


それを確認するや、一転、お人形さんのように口をつぐむ。


「ごめんごめん、ロッカーの整理できてへんくてさぁ」

「で、探してた単語帳は見つかったのか?」

「うん。あった、あった。灯台下暗しやね。持ち歩いてたわ」


そう言って、単語帳は比嘉さんのブレザーポケットから引っ張りだされる。


ほんまいややわぁ、と彼女は苦笑していた。


「普通、そこに入れてて忘れるか?」

「ほら、うちと単語帳、仲良しやからさぁ。ここにいるのが当たり前みたいな? そこにいても気づかんくらい馴染んでるんよ」

「……なにそれ、家族かよ。

 でもたしかに、スマホ感覚で持ち歩いてたら、頭もよくなりそうだな」


誰でもウェルカムな、ユーモアのある会話だった。


口を挟まずとも、ちょっと合わせて笑っていれば輪に入っているかのように振る舞える、お手頃なトークだ。


けれど、佐久間さんはといえば…………必死に単語帳をめくり、真剣な目で文字を追っていた。


……うん、こんな時だけめっちゃ勉強してやがる!

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