第41話 電話デート



その日の夜、俺はかなりそわそわしていた。


なにをしても手につかず、挙句に縫い物に手を出して、失敗をする。

うっかりして、糸をかける場所を間違えてしまった。そしてそれに、随分経ってから気付いた。


紐解けばいいだけ、なのだが、元への戻すのはこう見えて実はかなりの上級技だ。下手をすれば、さらに絡まってしまう。


俺が手こずっていると、その時間がきた。


夜の十時だった。

俺からかけるべきか、少し待ってみるか、なんて逡巡しながらスマホの前で正座していると、かかってきた。

3コール目で、ボタンを押して


「きこえてるかな? おーい翔くん」


彼女の第一声を、スピーカーから聞いた。

こんな時に限って、つっかえる感じがして俺が喉を鳴らしていると、


「聞こえてるなら、はーい! って返事して〜。はーい! って」

「なんだよ、それ。新手のはずかしめ?」

「あ、しゃべった! 聞こえた! ほら、翔くん、はーいって」


「はーい…………はーい。って、うわ、思ってたより全然恥ずかしい、なにこれ」

「えへへ、可愛かったよ。録音して目覚ましにしたいくらいだ」

「絶対にさせないよ、そんなの。というか、腑抜けすぎてて目覚められないと思うし」


実に、半日ぶりの会話だった。


こう言うと短いように思うかもしれないが、学校で他人のように振る舞うのは、なかなかに根気がいる。


それも隣の席なのだから、ちょっとしたことで顔を見合わせたりもしてしまう。



陸奥が先生に当てられ5択を4回外した時などは、お互いに笑ってしまったりもしたが、それでも一応会話はしていない。


結局、朝の件は特例ということになったのだ。


今日までは、『無関係を装う』こととなり、明日以降のことは、今からすり合わせをして決める。


そう、別棟のトイレ掃除をしながら、俺たちは決めたのだった。



けれど、


「今日の生物の時、翔くん、遺伝のページの枝豆に落書きしてたでしょ、見たよ」

「……したけどさ。そこわざわざ言うような話かよ」

「目が変だったね、もうちょっと可愛くしてあげないと。私も描いたから、今度見せてあげるね」

「なにそれ、なんで描いたの」

「お揃いだよ。あとから見返したらこういう、些細なことが思い出になるんだよ。…………たぶん」

「あんまり遺伝の枝豆に過度な期待をかけてやるなよ」


なかなか本題には入らず、取り立てるようなことでもない話に花を咲かせる。


時間が経つほど、明白にあったはずの目的は、だんだんピントがぼけた。


近況報告などではない。積もる話など、そこにはミリもないのに、話の穂が途切れる気がしなかった。


本題のことは頭にあっても、どちらも触れない。

俺だけでなく佐久間さんも、触れてしまって、終わるのを避けているようでもあった。


「ね、せっかくだから、このままゲームでもしない?」


彼女がこう言い出したのは、もう日付も回った頃だ。

でも、俺はその提案に乗ることにした。


スマホで通話しながらできる、簡単な対戦型のパズルゲームに手を出す。


俺はもう電気も消してしまって、ベッドに転がった。

枕元から彼女の声が溢れるのが、妙に照れくさい。

すぐ横で寝ているみたいな、触れれば届きそうな距離に思える…………いや、いるはいるんだけどな。


「また翔くんの負けだよ〜、手抜いてない?」


受話器からする声の質が変わった。

受話器のすぐそばにいるらしく、息の音が伝わってくる。


「……ん、ふ、んっ」


妙に艶かしく、生々しい声だった。


深夜に聞かされると、ニュアンスの異なる解釈をしそうになる。


「な、なにをしてるんだ?」

「ストレッチだよー。ゲームばっかりしてると、身体が固まっちゃうし」

「そこはちゃんと継続してるんだな」

「私もアイドルですから。一応、気にしてるんだよー。ま、休業中だけどね」

「…………休業中。そうだよな、いつかは復帰するんだよな、つまり」


間違えたかもしれない。

食事も気にしろよー、みたく、突っ込まない方向に舵を取るのが正解だったかもしれない。


頭は回らないくせに舌ばかりが回る。

深夜特有の現象に任せて、それは俺の口から飛び出ていた。


「もー、急に真面目なこと聞いちゃうんだね? ずっとしてたかったのになぁ、だらだらお電話デート」


ぱふぱふ、と電話口から音が聞こえる。


たぶん、俯きになり足をバタバタさせているのだろう。


「……明日も学校だしな。初めて聞いたよ、そんな珍妙なデート」

「でも、夜にお電話って特別でいいよね? 本当に二人でいるみたい。ね、翔くん。今ベッドの上?」


「そうだけど、佐久間さんもだよな」

「うん。じゃあさ、真面目なお話の前に、一個だけ叶えたいことがあるんだ。背中くっつけようよ! 壁越しにさっ。私のベッド、壁挟んで、翔くんのベッドのすぐ横にあるから」

「なにそれ……」


別にやらなくても彼女には分からないだろうが、変に律儀なのが俺だ。


むくり起きあがり、壁をしばし見つめてから、もたれかかって足を伸ばす。


電話の向こう、つまりこの壁の向こうでは、彼女も同じようにしているらしい。


なんだか、映画みたいだなと思う。


絶対に会ってはいけない二人が、壁越しに会話を交わす。

物語のクライマックスにありそうな一幕だ。


でも、俺たちにとってみれば、そう盛大なものでもない。

そして、クライマックスでは困る。まだプロローグにも入っていない。


「あったかい…………気がする! 翔くんの体温かな?」

「絶対自分の熱だからなー、それ。もしくはガス管とか配線とか」

「ロマンチックじゃないなぁ、翔くんは。そっちはあったかい?」

「……まぁ、俺の体温のおかげで」


身体は、そうだ。

でも、心の方をじわじわ蒸していくのは、彼女のくれた熱かもしれない。


なんて、口にすればロマンチックは陳腐へ成り下がるので、自分の感覚だけにしておく。


このじれったさは、一人、壁に寄りかかるだけでは感じられないだろう。


「……それで、明日からのこと、そろそろ話すか」

「ねぇ、その話なんだけどさ。外で、しない?」

「また急だな。どこか公園でも行くのか?」


人目にはつかないかもしれないが、この深夜に歩くのは、単純に危険だろう。


補導される可能性だってある。自慢じゃないが、俺は童顔なのだ。中学生に間違えられるまであるかもしれない。


「ううん、もっと簡単に出られる場所があるでしょ。部屋、見渡してみて」

「……なるほどな」

「分かった? じゃあ、ちょっと後でね」


電話が切れる。


スマホから光がなくなれば、部屋をほんの薄明かりで染めるのは、大窓からの月明かりだけになった。


春の深夜は、まだまだ冷え込む。


俺は暗さに慣れた目でパーカーを探し当て、着込んでからベランダへと出た。

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