第40話 トイレ掃除は思い出あり?
♢
コンビニに行ったとはいえ、あれだけ早く出れば、結局学校に着くのも早い。
俺たちが教室に着いたのは、やっぱり二番目だった。
「おはよ。あれ、今日は一人じゃないねんな?」
彼女が異次元に早いだけなのだ。
中では、すでに比嘉さんが勉強モードに入っていた。前髪をピンでたくしあげ、目を落とすのは英語の問題集だ。
「おはよう、えっと……まぁな」
俺は、いつも通りの挨拶をする。それから、ちらり横に立つ少女に目を流した。
「おはよう、佐久間さん」
比嘉さんは、積極性こそないが、誰にも分け隔てない。
普段話すことはないだろう佐久間さんにも、何気なく声をかけるのだが、彼女はといえば、なんだか様子がおかしい。
顔を引き締めていたと思えば、変にカクカクしい動きで自席まで歩いていきつつ、
「おはようございます」
だなんて敬語で言って席に座った。
さっきまで、「早朝の学校って行ったことないから、楽しみだなぁ〜」なんて、語尾に音符がつきそうな調子で言っていた少女とは思えぬ変貌ぶりだった。
一瞬にして、氷の結界を張ってしまったらしい。
これでは避けられるのも無理はないわけだ。
いまだ、クラスでは孤高の女王の座に据え置かれている。
もう半月以上経っているというのに、俺以外に友人が出来た様子もない。
まったく、ため息をつきたくなる人見知りぶりである。
挙句、俺が席に着くと椅子に乗ったまま足で漕ぐようにして、近づいてきた。
「外、出よ……?」
なんて、耳打ちしてくるので、俺はため息をつきつつも頷いた。
佐久間さんは、先々外へと出ていく。
ここ数日は比嘉さんと勉強するのが日課になっていたので、俺はなんとなく彼女へ会釈。
「今日は先生頼むの無理そうやね?」
「……悪い、また今度な」
「期待してる。教えんのうまいしな、湊川くん」
ちょっとした約束を交わしてから、佐久間さんを追いかければ、彼女はどこへやら歩き出した。
ちょっと目に余るコミュニケーションの下手さだ。
「少しくらい会話できそうだったのに」
横へ並びながら、わざと嫌みっぽく、言ってやる。
実際、氷の女王の名を返上する千載一遇のチャンスだったのに、みすみす逃してしまったのだ。
「……そ、掃除しなきゃなぁと思ったんだよっ!」
唐突に、なにを言い出すのだろう、この姫様は。
「別棟のトイレ掃除。委員長会議でやることになってたじゃん。たこ焼きの時にも話したでしょ?」
「それ、今思いついたんじゃないの」
「そ、そ、そんなことはありませんっ!」
間違いなく、ちょうどいいところに抜け道が転がってたんだろうなぁ。
下手に喋りかけられてしまって、続きが出て来なくなったに違いない。
友達の知り合いに遭遇した感覚だろうか。
たしかにあの空気感は、人見知りにはきついかもしれない。
後ろ手に結んだ手とか、指をいじいじしちゃってるし、後ろめたさ丸わかりだ。
思いつつも、ひとまずこれ以上は深追いしない。
言わずとも、彼女も分かっているはずだ。
「ま、いいけどさ。掃除もどうせしなきゃいけなかったし」
「でしょ、私、副委員長ですからっ」
「はいはい」
別棟のトイレまでやってくる。
生徒のいる昼間でさえ、がらんとして埃の溜まる場所だ。
それでも万が一を考え、掃除中の看板立てて、二人で女子トイレへと入らせてもらう。
「なんか変な感じだね、ここに翔くんがいるの」
「俺もそう思うよ、トイレで見るって……斬新だな」
なにがあるわけでもないが、長居はしたくなかった。
ここで気を落ち着けては、男としていけない気がする。
さっそく水と洗剤を、佐久間さんに撒いてもらう。
一方の俺は、学生には馴染み深い、緑のデッキブラシで端から擦りだした。
「なんか懐かしいかも! この感じ、あったなぁ〜」
「どの感じ? 俺は去年も委員で、トイレ掃除当番だったからそうでもないよ」
アイドル様が掃除に携わらないのは、なんとなくイメージどおりだが、そうじゃないらしい。
「違う違う。もっと前、小学校の時だよ! 私が翔くんに思いっきり水かけたやつ、それ思い出したの」
ホースの先を軽くこちらへ向けて、彼女はにっと人懐こく笑う。
俺も、それで遠い記憶が蘇った。
たしか普通にトイレ掃除をしていたら、用具室にある排水管扉の奥から轟音が聞こえてきて…………
開けたら次の瞬間、全身ずぶ濡れになったのだ。
「まさか男子トイレに繋がってるなんて思わなかったの。中も掃除しなきゃって放水してただけで」
「それ聞いた。次の日からが酷かったよな。通じてるって分かったら、毎日のようにそこから男女で水の掛け合い。
天下分け目の合戦だー、水攻めだーって」
「それそれ! 罰として、放課後にみんなでトイレ掃除したよね。それを思い出したの」
「あったなぁ……。ほんと馬鹿だ。やっぱり少しは成長してるのかもな、俺たちも」
俺は続いて個室の中へ入って、なおもブラシをかける。
タイルと毛先の擦れる音だけがしばらく鳴った。
それがどうにも不穏に思えて、頭を外へ覗かせる。
「まさか、もうやらないよな」
「えへへ、やらないってば! 私、これでも副委員長だよ〜。
まぁ委員長さんが戦いたいっていうなら、受けて立つよ? 頂上決戦やっちゃう?」
「受けて立つな、受け流せ。というか、絶対やっちゃわないよ」
杞憂(?)だったようだ。
彼女は高いところにある窓を開けて、柄の折れたほうきで埃をはたいていた。
アイドルらしからぬ、貪欲な掃除意欲だ。
彼女が足をかけているのは、下についた小窓の縁である。普通、そこまでしてやろうとはしない。
「ちゃんと閉めとけよ。あと、怪我すんなよ。外までやる必要ないからな」
「はーい、分かった分かった。副委員長の私なら分かってます!」
今日は、副委員長押しが強い。
ただ副委員長なら、少しはクラスメイトとの交流もどうにかすべきだろうとは、思わないでもなかった。
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