三章

第39話 美少女アイドルちゃんは攻めに転じる!


早朝六時、ようやく街が眠りから覚めだす頃だ。

閑静な街のとあるアパートで、その事件は起きていた。


「おはよう、翔くん! 爽やかな朝だねぇ、こんな日はこれに限るねっ。パワー注入だよ」


いつか見たものと同じ光景だった。


そこに世間を騒がし、俺の心をざわつかせる少女が佇んでいた。


佐久間さんは、階段に座り錆びた欄干に背中を預ける。その手には、下の自販機で買っただろうエナジードリンクだ。


なんで、口にしようとすると、佐久間さんが人差し指を口に当てる。


「言わなくても分かるよ、言いたいこと。でも、とりあえず行こっか? 学校」


俺の答えは、待ってくれないらしい。彼女は立ち上がると、段飛ばしで階段を降り、最後はジャンプで着地する。


置いていくよ〜、なんて先々行くものだから、俺はどうするべきかと思いつつも彼女の元まで下った。


いつもの通学路は、早朝ということもある、静けさのみが流れていた。路地裏で目を覚ましたらしい子猫の鳴き声だけが、耳に残る。


「誰も見てないよ」


と、佐久間さんはまず言った。


駅へと向かいながらにして、彼女は腕をめいっぱい広げる。


「みんな朝支度で大忙しだもの。高校生の男女が一緒に通学してたって、それくらいで、なんとも思わないよ。

 自分の二度寝とか、歯磨きとかの方が大切なんだ」

「……ただの高校生ならそうかもしれないけどさ」

「一緒だよ、私がアイドルだったとしても一緒。みんな、そこまで気にしてないよ。だってほら」


彼女は爪先立ちになって、片腕を頭の上に上げる。

くるっと俺の方を向いて銃を構えるみたいに指を向けた。


始業式の時と同じように俺を撃ち抜いて、朝日を背に、にっと笑う。


「こんなふうに踊ってみても、誰も見てないもの。翔くんが撃たれても、だーれもね」

「……死んだフリしても、か?」

「そりゃあもちろん! してくれてもよかったんだよ、関西人なんだし♪」

「やらないっての。誰も見てないんなら、なおさらだ」


俺は無為に鞄を左肩へ持ち替えたりしながら、一考する。


彼女の主張自体が、間違っているわけじゃない。

たしかに人通りは皆無に等しく、たまに輸送用のトラックが横を走り抜けていくだけ。


でも、それは今だけなんじゃないだろうか。人がいれば、彼女は間違いなく注意を引くだけの存在だ。


「またまた私分っちゃうよ、翔くんの言いたいこと。

 その辺はさ、今日ちょっとお話ししない? 夜にこれくらいでも、時間をくれると嬉しいな」


彼女は、OKマークを作った親指と人差し指に、ちょっと隙間を作る。


正直まだ、彼女がそこにいることさえ整理できていないけれど、もうそこは今さらの話だ。


「えーっと、じゃあ。とりあえず電話、とかどうだ?」


だから、間をとってみる。これならお互いの家を行き来せずとも済む。


「そっか、その手があった……! うん、じゃあそれで! 

 でもそっか、思いつかなかったや。最初から電話すればよかったんだね。

メッセージだけ、って決めちゃったから、色んな思いつかなかったよ」


俺はといえば、その手段は考え付かなかったわけでもない。


でも、彼女にそう提案する手前で、やめてしまっていた。


俺にはハードルが高すぎるんだよなぁ。


女子相手に「電話をしよう」だなんて簡単に言える人間なら、もう少しくらいはモテていると思う。


「あー、でも、我慢しててよかったかも……?」

「なんでだよ」

「完全に今だから言える結果論だけどさ。

 今、とっても満ち足りてるからだよ。翔くんとお話ししてたら、なんか嬉しくなりすぎちゃって……、たくさん毛穴が開きそう!」

「女の子がなんて言い方してるんだよ。……というか、単にみなぎってるんじゃないの?」


俺は、彼女の鞄から頭だけを出しているどぎつい色のペットボトルを指す。

ちょっとして、嫌な感覚に襲われる。


「なぁ、もしかしてそれが朝ごはんか……?」

「ん、そうだよ? 翔くんが朝ごはんは食べた方がいいって言うから、朝からエナジーたっぷり!」


だめだ、だめだこの人。

アイドルの体力勝負に慣れすぎて、常識が歪みすぎている。


昨日、今日と朝ごはんは自分で取ってもらうよう伝えていたが……。


よもや、これだったとは。


「コンビニでも行こうか。イートインで、ちょっとマシなもんでも食べような」

「あれ、翔くん朝ごはんまだなの? いっけないんだ〜、長生きできないよ?」

「いや、いけないのは佐久間さんだから!」


そんなもん寝起きに飲んでいたら、それこそ健康被害が激しそうだ。


「まぁ、翔くんと外で朝ご飯って考えたら、二度目の朝ごはんも悪くないかな♪」

「譲らないんだな、それがごはんだって点は」

「ソウルドリンクですから♪ 飲む? 口つけてもいいよ」

「飲まないし。俺はお茶だけをこよなく愛してるんだよ」


ここでやっと横並びになり、俺たちはコンビニへと少し進路をずらす。


三日ぶりでも、歩幅は自然と合った。



早朝の店内は、店員も少なくがらんとしていた。

一方でパンやおにぎりなどは、入荷したてで棚いっぱいに埋まっている。

話題の商品も、この時間なら在庫があった。


お茶の他はなにを買うつもりもなかったのに、宣伝にしてやられて少し迷っていると、


「翔くんは買わないの?」

「俺は朝食べてきたしなぁ……って、なに、それ。買いだめ?」

「朝ごはんだよ! えへへ、分けてあげるね」


佐久間さんは、カップ麺を手にしていた。いわく、『ドロドロ本格豚骨スープ!』


た、棚に戻してしまいたい! 無言で戻して、サラダチキンとサラダに差し替えたい!


つい小言が出そうになるが、そもそもコンビニに来させたのも俺なわけで。


これ以上言うのもなぁ、なんて思っていたら、もうお会計が済んでいた。


「……まじで食うの?」


俺がやっと言ったのは、もうお湯が注がれた後だ。

うーん、豚骨が朝に似つかずかぐわしい。


明日からの朝ごはん、どうしてくれようか。


もうなんとかして、作っていってやらなければ、彼女の生活が崩壊してしまう。


手立てを考える俺をよそに、彼女は朝から麺をすすってご満悦だ。


「一口食べてみてよ、翔くん。ほら、あーん」


世界一、美少女がやるべきじゃない、あーんだな、これ。

断れず、俺は指示されるまま、麺をすする。


まぁ、美味い。悔しいけれど、美味いのだ。現代日本に生まれてよかったと思える、完成度だ。


「罪の味だな、これ……」

「そうなの? でも、これはこれで美味しいでしょ」


色々と言いたいことは封じ込めて、俺は単に首を縦に振った。


「抵抗感っていう壁を乗り越えちゃえすれば、幸せが待ってるんだよっ。今日の私みたいだっ、朝待ち伏せたら幸せになってるもん」


うん、もうなにも言うまい。

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