第36話 当たり前だった日々。



ーーそれから、俺たちのできるだけ無関係を装う日々が始まった。


例外は、委員の仕事とメッセージ、それから弁当のみだ。


蓋が締まる限界まで、たっぷりと詰めてやった。

というのも、ついつい佐久間さんの分まで朝ごはんを用意してしまい、予定以上に余りが出たためだ。


そのせいで、『わんぱく欲張り』になった弁当箱は、登校して即、こそっと佐久間さんの机に忍ばせる。


それで、ほとんどの人には見つかりようがない。

最速登校の女王・比嘉さんにはあっさりバレてしまったけれど、


「ほな、黙っといたるから、勉強教えてもらうんと引き換えな?」


と軽すぎる交換条件で、秘密にしてくれることとなった。


本当にイメージと違わない人だ。突っかかるようなところが全くない。


そして穏やかなだけかと思えば、


「あ、なぁ引き換え券とか作る? 肩叩き券みたいな感じで。勉強教えてくれる券! そしたら、うちも安心やん?」


会話に小ボケを挟んできたりする、ユーモアもある。


男子たちが彼女の魅力に気づいていないことが残念でならないくらいだった。これはもはや損失とさえ言える。





ーーしかし俺がこの感動を伝えられる男子は、彼をおいて他にいない。


「なに言ってんだ、世界一幸福な妻帯者さん」


陸奥爽太郎だ。

ただし、真顔のまま鋭い切り返しを受けてしまった。


チャリ通の彼は、愛車を転がしながら、引きつった顔を見せる。



無関係作戦がはじまって、三日目の放課後を迎えていた。


今日は彼に誘われ、クラスメイトらとのカラオケに参加することになっている。


集合は店前らしく、今は移動の道中だ。宝塚駅前の河川敷を、二人で歩いていた。


「ほかの女子を褒めてるところなんて、佐久間さんに聞かれて変な勘違いされたら、どうすんだよ、佐久間翔さん」

「いや、勝手に苗字変えてくれるなよ。俺はどこまでも湊川だ。妻帯者でもないし」


「……で、どうした? まじでカラオケ来るなんて、ビビってんだけど」

「じゃあなんで誘ったんだよ。俺、こういう会は誘われたら、まず行くようにしてるだろ」


とりあえず形式的に声かけたけど、まさか本当に来るとは…………って周りにドン引かれているタイプのやつか、これ? 


俺、そんなにはみ出しものだった?


「誘えた時点でびっくりしてんだっつの、俺は。

 いつもは佐久間さんと速攻帰っちまうから、声もかけられなかったし」


なにかあったのか?


と、彼が尋ねるトーンは急におふざけのない真面目な色を帯びる。


どうせ今さら、彼に隠し事をしてもしょうがない。

家が隣であることまで把握されているのだ。


俺が歩を緩めながら経緯を説明すると、感心したように声を上げる。


「……へぇ、なんつーかまぁ、本当に変わりだしてね、お前」

「別にそんなつもりはないけど?」

「いいや、変わったね。

 仕方なくってことはあっても、自発的にそんな面倒そうなことやるタイプじゃなかったぜ」


そこまで主体性に欠けて見られていたのか、俺。


……でもまぁ、心外かといえば、はっきり否定はできない。


小学校の卒業式以来、俺は受け身になることが多かったと思う。


そう、ちょうどこの場所が原因だ。

佐久間さんに告白できなかったあの日。


なぜか代わりに幼馴染に告白され、わけもわからず断って、その後彼女との関係がギクシャクした。

そしてそのまま、彼女は転校していった。


SNSこそ知ってはいるが、そのアカウントは動いていない。

今どうしているかなんて、まるで分からなくなった。毎日のように一緒にいたのに、音沙汰ゼロだ。



断れば、なにかが壊れる。


そう体に刻まれた出来事だった。以来というもの、俺は下手に物事を断れなくなった。


それは裏を返せば、主体性を失ったことと同義だ。

ただし、最初からそんなものがあったとは言っていない。


「ま、そんなつまんなさそうにしてても、しゃあねぇって。どうせなら楽しめばいいんだよ」


陸奥は、黙り込んでいた俺の背中をばしっと強く叩く。

川に落とさんばかりの勢いだ。


ちくしょう、こいつ背負い投げで水の中へ放り込んでやろうか。


「考え方の問題だぜ、翔。

 せっかく転がり込んできた最後のモラトリアムだ、これは。なぁ妻帯者さんよ」

「なにがモラトリアムだ、バカ。それに妻帯者じゃないから!」

「あぁ、『世界一幸福な』っていう接頭辞忘れてたか」

「そこじゃない、そこじゃない」


そりゃあ佐久間さんが隣にいてくれる旦那は、幸せだろうけども。

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