第33話 杏のあーん。
頭が冷えた。
たこ焼きをくりくり回しながら、俺が考えていたのは、艶やかなるその下乳……って馬鹿、違う、そうじゃないけれど、目の前にいる少女のことではある。
彼女はといえば、俺が使い続けて萎れたクッションの上に、ぺたんこ座り。
たこ焼きの生地が煮立つのを、竹串二本持ちで見守っていた。
これでも、現役クールビューティ系アイドルだ(現在休業中)。
「もう、翔くんったら。急に走り出して、どっか行っちゃうからびっくりしちゃったよ」
「……悪かったな。ちょっと急用で、そうえっと、どうしても隣駅の図書館に返さなきゃいけない本があってさ」
もちろん、でっちあげである。
でも、時間帯の辻褄は合う。
図書館の貸し出し本はレンタル期間一週間、返却ポストの開放時間はちょうど7時までなのだ。
本当のことを言うわけにはいかない。
そしてそうである以上、ストーカーの件は、俺がどうにかしなければいけない話でもある。
これ以上、不埒な輩を生まないため。佐久間杏を危険から守るため。
有効な手立てを編み出したいところだが、
「ねぇ、そういえば金曜日の委員長会でいってたお掃除、いつやろうね?」
話しかけられれば中断せざるを得ない。
俺は一旦、思考を委員長モードへと切り替える。
「いつでもいい、って言ってたから、来週あたり空いてる時間に、ちゃっと片付けちゃうか。……あんまり放っとくと、若狭先生がキレるし」
「だねー。場所がトイレって言うのが外れくじだけど」
「こら、これから食事ってときに、トイレの話はやめとけよー」
別に俺は気にしないのだけど、外でも同じ調子では、厳しい人に怒られてしまうかもしれない。
ほとんど親みたいな調子で注意すると、素直な子どもみたいに、はーいと返ってくる。
さすがは、買ったばかりのたこ焼き機だ。相応の値段がしたこともあり、出力が違った。
火の通りはかなり早く、すぐに回すターンになる。
「勝負だよ、翔くん!」
彼女は竹串の片方を俺に手渡す。
持っていた串をとんと、たこ焼き機について、挑戦的な顔で言う。
「多く回せた方の勝ちね。勝ったら一つ、なーんでも言うこと聞いてもらえるってどうかな?」
「そういうの、仕掛けた側が負けるんだぞー」
「そういう問題じゃないよ。関西魂勝負だよ、これは」
そうだとしても、東京にいた佐久間さんより、俺の方が有利になるが……。
こんな簡単な誘いを断るような俺じゃない。
見せてやろうじゃないか、俺の関西魂!
そして結果、
「うぅ、うぅ、なんで〜!? 全然遅いじゃん、私!」
わりと大勝ちしてしまった。
まぁ一人暮らし期間が一年もあれば、友達を呼んでタコパすることもあるしな。
交友関係の狭い俺である。その大半は陸奥となのだが、相手は別に関係ない。
経験の勝ちである。
「むー、悔しいなぁ。本当に翔くんの言ったとおりになるんだもん。それで、翔くんは私になにをさせるの? どういう恥ずかしいこと?」
「……あのなぁ。ひとまずその言い方、やめた方がいいと思う」
ふんっと鼻で笑う佐久間さん。
「今、『言うこと聞いてもらう権』の行使したってことでいい?」
変なところで、こすいが、別にそれでも俺としては構わなかった。
なにか思惑があって、勝負に乗ったわけではない。
「なんてね。私、そんなに策士ちゃんじゃないよ。
まぁ、翔くんの言うことなら、なんでも聞くようにするから、適当に考えててよ。その、エッチなのは順序が欲しいけど」
「そんな命令しないから心配しなくていいよ」
「それ、私に魅力ないって言ってる〜? むー」
そうじゃない、と俺は単に首を横に振った。
そして、滑るように聞いてしまう。
「……ちなみに佐久間さんが勝ったら、どうしようと思ってたんだ」
「ん、私かー。とりあえず、あーんしてあげる、とか? してみたかったんだよね、純愛ラブっぽいじゃん?」
焼き上がったばかりのタコ焼きを串に刺して、彼女は俺の顔へと近づけてくる。
負けたくせに、そのままやり遂げてしまおうとするあたりも、やっぱりこすいな……?
だが、どうせだから、といただいてしまう。
熱さを逃しながら噛み進め、飲み下した。
「どう、美味しい? す、すーぱーアイドルに食べさせてもらったんだよ。杏の、あーんだよ」
今、なんかすごいこと言ったね、この子。
杏のあーん、って。
「き、君を好きだって公言してる女の子が、食べさせてあげたんだよ」
「だから、恥ずかしさ隠しきれてないからな。あと、味つけはかなり薄いな」
「な、なんでぇ!!? 私の食べさせ方、センスなし!?」
「食べさせ方のセンスって初めて聞いたな、今。ソースもマヨも青のりも、なにもついていないからだよ」
あぁそっか、と彼女は手槌を打って、あっけらかんと笑った。
その呑気な笑顔は、ありのままだ。今のたこ焼きと同じ。
裸を見てしまったばかりだからいうのではなく、佐久間杏は本当に一枚の布さえ纏っていない彼女そのものなのだ。
人の理想で武装したアイドル・佐久杏子とは、違う。
それだけに、今にも壊れそうで、ヤキモキとさせられる。
「翔くん、ソースついちゃった……。ティッシュどこにあるかな?」
「そこ、駅前でもらったやつがあるだろ。というか、どうやったら、頬の真ん中にまでつくの」
「えへへ、欲張った。三ついこうとしたんだ、口をいっぱいにしたかったんだよ」
……誰かが守ってやらなければいけない。
その盾にはたぶん俺がなるべきで、なりたいとも思う。
けれどそれが、精算したはずの過去からくるのか、今の俺の気持ちなのか、それは判然としない。
分かるのは、守る必要があるということだけだ。
俺はタコ焼きを皿へ上げていきながら、勝手に心の中で、ある決意を固めたのだった。
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