第32話 美少女アイドルちゃんと、ラッキーなアレ。



爽太郎はアパートの前まで、荷物運びを手伝ってくれた。

彼が帰ったのち、俺は佐久間さんの家のチャイムを鳴らす。


荷物を持って行くことは伝えておいたはずだ。

しかし、反応はない。


メッセージも、ついさっきまでめちゃくちゃな通知がきていたのに、一転なしのつぶてだ。


「……もう入っちまおうかな」


俺を探しに外へ出て、そのまま帰っていない可能性も考えられなくはない。

ついさっきのストーカーのこともあるから不安になって、俺はキーケースを探り出す。


そこには二本、同じような形状の鍵がついていた。

片方は、佐久間さんの家のものだ。


あれ以来、本当に合鍵を預かってしまっていた。

有事の時に使うという話だが、今はそれに近いはず。


俺は鍵を開け、一応「入るぞ〜」と言ってから、廊下に置いた荷物を入れこめていく。


それを二往復したところ、


「し、し、翔くん!? な、なんで今っ!!」


あちゃあ、なものを見てしまった。陸奥には申し訳ないが、帰していて本当によかった。


端的に言おう、裸だった。一糸纏わぬ、あられもない姿だった。


ふっくら上品に、そのうえ豊かに膨らんだ胸、それが美しい曲線を保ったまま、くびれを作り出し、めりはりの効いた腰つきをも生む。


その完璧に綺麗な体を記憶に収めてしまったのは、一度瞬きする間だけだ。


すぐに反転して、脱衣所の中へと彼女は引っ込む。


俺は俺ですぐさま玄関扉を閉め、扉へ自分の頭をもたげる。

すぐにさっきの肌色がもわもわ浮かんでくるので、何度か打ち付け煩悩を振り払う。


返事がなかったのは、お風呂タイムだったかららしい。それにしても、なんでこうなるんだか。


「お、おかえり。心配してたんだ。でも、遅いから気を紛らわそうと思って」


扉の奥から、ひっくり返った裏声が聞こえる。

彼女は彼女で恥ずかしいらしい。


「ちなみに、なんで裸のまま廊下に……?」

「えっとね、油断したんだ。タオルも下着もブラジャーも、外に置いてきちゃって」


なんにも考えずにシャワーだけ浴びにいったんだろうなぁ。

なんとも彼女らしい、青天井に天然さんだ。


「と、取ってもらっていいかな」

「後ろ二つはお断りしたいんだけど!?」

「じゃあ、とりあえずタオルお願い。洗濯機置き場の上にあると思うから」

「……分かったよ」


もう、さくっと取って、さくっと渡して、彼女が着替え終わったらまた来よう。


俺が今後の流れを浮かべながらタオルを手にしたしようとした時、足がつるんと滑った。


佐久間さんが濡れ足で踏んでいたのを、忘れていた。


すぐ横にはキッチンのある狭い廊下、俺は見事に転倒する。手をキッチン収納に強打し、床に打ち付けた腰には疼通。


さらに、


「だ、大丈夫!? なにがあったの、ってうわっ」


慌てたらしい佐久間さんが脱衣所から出てきて、扉に挟まれ、極め付けには……。


こちらも勢い余って躓いた佐久間さんに、真上に乗られてしまったではないか。

一枚タオルが間に挟まっているが、ほとんど直だ。


重さも触感も、生々しくて困る。


だめだ、目を開けたらダメだ。目を開けたら、天国へ連れられてしまうかもしれない。


こんな時こそ死んだふりだ。俺は鉄の心で、目を瞑り続けるのだが、


「翔くん、大丈夫!? 意識ある?」


あろうことか裸のまま、俺の身体の上で、腕を揺すってくる。


見ていなくても分かってしまう。なにがとは言わないが、揺れている。


それだけじゃない。濡れ髪のままだったからだろう。髪から滴る水滴は顔にかかって、それが口の中へと入ってきた。


ただの水、ただの水のはずが、蜜のように甘く感じるのは俺の思い込みだろうか。


「ごめんね、痛かったよね」


自分が裸だということを忘れているのか、俺の上半身を起こして、背中に大きく手を回し、強く強く抱きしめてくれる。


「…………と、とりあえず離れてくれ。これ、タオルあるから!」


だいぶ遅れて現状を把握した彼女は、途端に真っ赤に顔を染める。


今度こそタオルを手にして身体の上から退いてくれた。

俺は色々な事情があって、玄関側を向いて三角座りになる。


「しばらくこっち向いて瞑想でもしてるから終わったら、言ってくれるか」

「……う、うん」

「ちゃんと服まで着てからでいいから、慌てなくていいから」

「……うん」


騒ぎが過ぎ去り、俺はマットの上にあぐらをかき、玄関扉と勝負のつかない睨めっこをする。


……しかし、どうしたことか。


見ないように視界を封じると、今度は耳が敏感になってしまう。


すぐそこで、国民的美少女アイドル様が生着替えを行っているわけだ。


音が連鎖して、耳へと届く。


身体を拭き上げる音、布が肌を擦れながら伝いあがっていく音、腰までついてぱっと離す音、それから、かちゃというほんの軽い金属音。


「……そのね、翔くん」


ーーそこで、話しかけられた。


たぶんまだブラジャーとパンツ、いわゆるブラパン状態だと思うんですが……! なぜ今話しかける!?


「別に翔くんになら、いいんだ。翔くんになら、いつかは全部、私は全部……見せても。嫌じゃないなら! ……えっと、やっぱりなんにもない」

「……そっか」


ちょこちょこ床を鳴らしながら、彼女はリビングの方へと歩いていく。


少しして、「もう大丈夫だよ」と言うので見れば、かぁっと茹で上がったままの顔が、扉の奥から俺を覗き込んでいた。


凛々しく気高いアイドルらしい眦も、今は一少女のそれだ。


とんでもない。

本当に、とんでもないことを言い残してくれやがった。


ほとんど言ってしまってから、なんでもないは反則ではなかろうか。

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