第22話 美少女アイドルちゃんに髪をセットしてもらう
「……いやいや、なにもやってないよな、俺」
状況を整理したい。
たしかに俺は、この美少女アイドル様を家に泊めた。
……ということになるのだろう。
だが、断じて手出しはしていない。眠ってしまったので毛布をかけて、クッションを用意した。
少しの悪戯さえやっていない。
極力いつも通りに過ごして、ベッドに入って、あとのことは覚えていないから寝たはずだ。
そして朝、今日は寝坊せず、きちんと6時半に起きた。なにも過ちはおこしていない。
…………いないと言うのに、なぜ真横で美少女が寝ているのだろう。
寝相は悪い方らしい。
うんうん色っぽい息とともに、身体を揺する。おかげさまで、ぺろんと下着が見えたりする。
それで反射的にベッドから飛び退くと、
「……なに〜? もう学校の時間?」
身体をエビみたいにきゅっと丸めながら、彼女は眠気まなこをこする。
俺が愛用するウレタンの枕を胸元にぎゅっと抱え込んだ。
美しいお椀型を形作った胸が、ふにゅんと潰れる。
これでまだ発育途上かもしれないのだから、人類って神秘だ。
今この瞬間、俺の枕になりたい奴が世界に何億人もいるだろうけれど、知ったことじゃない。
フローラルで、甘酸っぱい臭いながらも、どろりと女性らしい匂い。
そんなものすり込まれたら、今日の夜の安眠が妨げられてしまう(そもそもそんなものはなかった、とも言う)。
さすがに寝ぼけた少女に負けるような腕っ節ではない。
俺は簡単に枕を奪い返す。だが考えもしなかったのはそこからで、するりと腕を絡み付けてくる。
「もうちょっと。ね、一緒に寝よ?」
「寝られるかよ……」
むしろ朝からギンギンになってしまう。あくまで、目が。
「というか、なんでここにいるんだよ。いつ潜り込んだ? 風呂とか入ったのか」
「君が寝てる間に、こそこそっと家に戻ってシャワー浴びてきたよ」
「えぇ……。一回家に帰ったのに戻ってきたの」
「私の家、今はまだ板間に布団一枚なんだよね。ベッドとか買う時間なくてさ」
言いながら、ゆらり彼女は起き上がる。
そういう理由があるなら、もっと早くに言ってくれれば、よかったのに。
別に俺が板間で寝れば、それで済んだはずだ。
男子高校生の腰はそこまで脆くない。むしろ、このメンタルの方が脆い。
女子と同じベッドで寝たという事実だけで、しばらく悶々してしまう。
「ふふっ、ふふふっ」
と、なぜか笑い声を噛み殺す。
ベッドの上でぺたり女の子座りになった彼女は、朝一番にお腹を抱えていた。
苦しそうにしながら、指差して言うには、
「ぴょーんってなってるよ、髪の毛。アンテナ立ってるんだもん」
…………そういえば、この寝癖を家族以外の人間に見られるのって、初めてかもしれない。
あんまり笑うので、
「ぴょーんってなってるよ、佐久間さんの思考回路。男のベッドに潜り込むなんてさ」
苦し紛れながらも俺の方も指摘してやる。
「終わったことは、あんまり言わない方がモテるよ♪」
たまにつっかえながら、目元に涙まで浮かべる佐久間さん。
え、いや、そんなにやばい? そこまでサイヤ人化してる? もはや自分が気になってきたんだが。
「ねぇ、もう完全に目が覚めちゃったよ。髪とかしにいこっか。私がといであげる」
「いいよ。自分でやるよ、それくらい」
「まぁまぁこう言うのは、任せてよ。プロの人たちがやってるの、間近で見てきてるしね。翔くんの爆発頭もあら不思議! 直せちゃうかもよ」
「……爆発頭って、そんなにやばい?」
ただ、無言で頷かれてしまったら、もう任せるしかなかった。
鏡の奥、美少女アイドル様が、俺の髪にドライヤーをかけてくれていた。
部屋から洗面所へ持ってきた椅子に座らされている。後ろに立った彼女は、本当に慣れた様子だった。
ふふんふふん、とどこかで聞いたような曲を鼻歌にしながら、たまにわしゃわしゃと髪をかき混ぜて、水気を飛ばす。
また、そのリズムが心地よかった。
「これ、なんの曲だっけ」
「……あれ、もしかして私、歌ってた?!」
「あぁ、ばっちり聞こえてたよ。それで?」
「うぅ……、恥ずかしいなぁ、自分の曲だよ。『君だけの私』って、聞いたことないかな」
「……聞いたことないかな、ってあるよ。あるに決まってる。それ、ミリオンくらい行ってたよなぁ」
「えへへ、まぁね。なんでこんなに伸びたんだか分からないけどさ」
『君だけの私だよ。
そばで見つめさせてね、その笑顔。
君のために君の横で歳をとる。
シワが入ってもさ、きっと笑ってあげる。
だから寂しくさせないでね?』
今度は歌詞をつけて、小さな声で彼女は歌う。
朝から本人の生歌とは、あまりに贅沢すぎないだろうか。
俺がアイドルオタクだったら、たぶん今頃、天に召されているだろうが……
俺がその価値の高さをいまいち理解し切れないでいると、佐久間さんは乾かし終わった髪を櫛でおろす。
ワックスまでつけてくれて、鏡を見てみれば……
つい先に、彼女の顔の方を見てしまった。鏡越しに、目が合う。
寝起きでも、その「可愛い」「美しい」はくすまない。
「もう翔くんってば。私を見たってしょうがないよ。嬉しいけどねぇ。朝チュンな私だよ、朝チュン」
口をすぼめて、彼女は二回聞きなれないことを言う。
「……朝チュン?」
「そ! たしかね、二人で夜を明かして迎える朝だよっ」
いったいなにを言ってくれるんだか。
そんなふうに言われると、部屋着姿の彼女が、なんだかイケない格好に見えてくる。
視線のやりどころを失い、目を瞑って
「……とにかく、その、ありがとうな」
やっと本来の言葉を絞り出す。
「はーい。たしかに受け取ったよ。じゃあ、今度は私ね」
「なに、俺が佐久間さんの髪を?」
「うん、お願い! だって、私もしてほしいもん。翔くんがやってくれるなら、爆発頭でもたぶん嬉しいんだ〜」
もはや、一周回って仕留めようとしてきているのかもしれない、この女の子。
今に悶えて、整えてもらったばかりの髪を振り乱したくなる。もしくは、一度冷水を浴びたい。
「……じゃあ、やらせていただきますよ、アイドルさん」
「うん♪ これぞ、とーかこーかん、ってやつだね?」
アイドルに髪をセットしてもらい、アイドルの髪をとかす権利。
……あれ、10対0で俺が得じゃない? あくまで世間一般的には。
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