第21話 【佐久間 杏side】君のところに帰ってきた。
♢
上履きを隠されたり、画鋲を詰められたり。
芸能人の子どもというのは、なにかと嫉妬や虐めの対象になった。
近々でこそなかったとはいえ、その頃の私は、もう慣れきっていた。
そんなものは、羨むだけで動かない人のする行為だ。
ママにもそう聞かされていたし、気にもしていなかった。
「まぁ、よくあることだよ。ちょっと探しにいけば見つかるよ、きっと」
だが私がこう言えば、彼は深刻な顔をして、拳を握りしめる。
「……こんなこと、よく起きてたらいけないんだよ」
「えー、でも現に起きちゃってるし」
「でも、じゃないって。こんなもん、許せるわけがないだろ」
怒った表情は、その時はじめて見た。
やりきれなさげに、彼はシャツの裾を握り締めていた。
「………とにかく、俺も手伝うから。瑠璃も呼んでくる」
いつもは、本当にすぐに見つかることが多かった。
廊下やトイレに無造作に捨てられていることがほとんど。
ちょっとムカつく相手に、そこまで手の込んだことをする人は少なかったのだろう。
けれど、その時の捜索はなかなかに難航した。
鞄の中に入れていて、一緒になくなった筆箱の中身が、ぱらぱらと別々の場所で見つかるのみで、鞄などは見つからない。
もういいよ、と言いかけて口をつぐんだ。
だって、あの鞄には二人と揃えたキーホルダーをくくりつけていたからだ。
私は、わがままで迷惑をかけてしまった。
でも二人は文句も言わず、時に推理しながら探し出してくれる。
なかなか揃わなかった理由は、もう日が暮れるという頃になって、ようやく分かった。
「もう夜になるから、こんなんとっとと捨てて帰ろ〜」
「それがいいかぁ。どうせいらないもんね〜、お母さんは有名でも、あの子自体の物には価値ないし」
女子三人組に、まさに現在進行形で、捨てられ続けていたのだ。
私たちが気づいたのが、たまたますぐ後だというだけだった。
ただ黙って、場を収めるつもりだった。盗られたものが返ってこれば、それでいい。
そう思っていたのに、
「ふざけるなよ……」
彼は違った。
「なんのためにこんなことをやった。お前らに杏ちゃんを傷つけていい権利がどこにあるんだ」
「なに、湊川くん。女子にそんな怖い顔して」
「女子も男子も関係ないだろうが! この子の気持ちになったかな」
私の矢面に、彼は立ってくれていた。
背は小さいのに、たいそう頼もしかった。
矢を受けることなんか、とうに慣れているつもりだったし、刺さってもなんてことない。
そんな強いはずの私の盾に、それから矛にも、彼はなってくれた。
私が強く出られない分を、代わりに怒ってくれている。
そんなふうに感じた。
その怒りは凄まじいほどで、挙句には、なぜか犯人の女子たちが泣き出す始末。
瑠璃ちゃんが虐めの証拠に収めるため、撮影していたスマホの動画にはーー
「…………なんか、これ完全に俺が悪いことしたみたいじゃねぇか!」
一見、女の子相手に恫喝する男子の図になっていた。
先生に持って行く予定だったらしいが、これでは翔くんがどやされかねない。
ひとしきり三人で笑っていると、彼は唇舐めて言う。
「ごめん、杏ちゃん。余計なことしたかも。つい、かっとなっちゃって」
「……ううん。私のために、ありがとうね」
「お礼なんかいいから、もう泣くなよ」
「……………え?」
笑っていると思っていた。
でも、目からは涙が溢れていた。
こうやって誰かの悪意に晒されるのは悲しいことなんだ。
そう気づいたのはその時がはじめてだった。
ううん、本当はわかっていた。
でも、気づかないよう心にかけていた鍵をかけていた。それを、開けられてしまったんだ。
瑠璃ちゃんは、遅刻してしまったらしいが、塾へと向かった。
私と翔くん、二人で家へと帰る。
これまで重ねてきた我慢のせいかもしれない。涙の止まらなかった私を、彼はずっと慰めてくれた。
家まで送ってくれるといったうえ、
「これでも飲んどけよ。元気出るよ、たぶん。色とかそんな感じだし」
と、エナジードリンクをくれた。
はじめて飲んだ。パンチが効きすぎていて、今度はむせこんで泣いた。
そのときのボトルの蓋は飲み終えてもどういうわけか捨てがたくて、ポケットに入れた。
今だって持っている。キーホルダーと同じくらい大切なものだ。
翔くんは捨てろと言ったけど、ぜーったい聞いてあげない。
だって大事なものなんだ、私には。
人からの悪意は慣れちゃいけないものだ、と知った証。
それから初恋の証でもあった。
♢
きっかけは、なんてことないなぁと思う。
ううん、過程も特に変哲ない。
自分を救ってくれた男の子に、ただ好意を持ったと言うだけの話だ。
可愛いだけの初恋と思われるかもしれない。
四年間引きずって、世間を大騒がせさせてまで叶えるような恋か? と、誰かはきっと言う。
実際、同じグループで活動していたアイドルたちも困惑していた。昔から彼への恋心は伝えていたのだが、冗談だと思われていたみたいだ。
海外で女優として活躍するお母さんにも電話報告をしたが、絶句された。
でも、なんとか認めてもらった。
私にとっては、それだけする価値のある気持ちだった。
それは、小学生の頃と変わらない。
ーーあの卒業式の日、私は彼に告白するつもりだった。
その時はまだ日本で女優をしていた母の意向もあり、すでに芸能界デビューは決まっていた。
ここ宝塚から、東京へ行くのももう変えられない。
それでも気持ちは伝えようと思っていたら、翔くんから先に呼び出された。
色んな思いがあったが、全部を渡すつもりだった。
けれど、待ち合わせの場所に行ってみれば彼の幼なじみ、瑠璃ちゃんがいたのだ。
今でも、気にはなる。
あのときの君がどうして呼び出して、どんな気持ちで、なぜ来なかったのか。
そんな幕切れだったから、もう忘れることができなくなってしまった。
けれど、家の事情もあったから、簡単に彼の元へ帰ることもできない。
だから、私は勝手に自分へ課したのだ。
一流のアイドルになって、夜空に輝く一番星になって、君が私を見つけてくれたら。
そうしたら、君のところへ帰る。そう決めて、やってやったんだ。
世間は、親の七光りだとか勝手に決めつけるけれど、違う。
どうしても、湊川翔くん、君に見つけて欲しいというその一心だった。
言ってしまえば万人からの声援より、彼のことを思い浮かべる方が力になったのだ。
君が見てくれると思えば、私にはなんにでもなれた。
それこそ、一流のアイドルにだってね?
「可愛い顔して寝ちゃってさ。ふふ、私が襲っちゃおうかな」
なんてね。寝ているときなら、これくらい言えるのになぁ。
うん、幸せな午前三時だ。何度でも繰り返したい夜更けだ。
帰ってこれてよかった、君の隣に。
だからもう手は抜かないよ? 覚悟しててね?
今度はちゃんと君を落として見せるから。
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