二章

第13話 国民的アイドルがそこにいる日常



ひどく、身体も頭も疲労に満ちていた。


無理もない、と自分で自分を擁護したくなる。

転校生が元同級生のアイドルで、告白を受け、隣の家だとカミングアウトを受けたうえ、二人で家に入りご飯を食べた。


……うん、これは妄想以外のなんだろう?


ラノベ好きのオタクでさえ、簡単には受け入れられない状況だと思う。


だから、一日を終えベッドで寝付いたことまでは覚えていたが、あとはなにも覚えていない。


ーーそして、


「あぁ、やばいやばい。このままじゃバスに乗り遅れちまう……!」


寝坊。


なぜか、ギリギリ間に合わなくもない時間に目覚める、タチの悪いやつだ。

それに、仮にもクラス委員長に就任した翌日である。


無様に遅刻なんてしたら、若狭先生にどやされてしまいかねない。


いつもなら、ゆったり朝ごはんをとるところだが、そんな営みに費やす時間はない。

大急ぎで洗面所へ駆け込み、顔を洗い、コンタクトレンズをイン。寝癖はもう、後回しだ。


続いて冷蔵庫から、ストックの菓子パンを二つほど、昼飯用に突っ込む。これらの立派なカロリーは、高校生には常備必須の代物だ。


(もしかしたら昨日のことは都合のよすぎる夢だったんじゃないか……?)


こうまで慌ただしく動いていると、そんなふうによぎる。


……浴室の突っ張り棒に、女性ものの服と水玉模様のブラジャーとパンツが吊るされていていたが、きっと寝ぼけて見えた幻想だ。


普段メッセージのやり取りをしないような同級生や、去年一緒に委員をやった比嘉さんなどから、たくさんのメッセージが届いているのもきっと気のせい。


やっぱり現実味を感じ切れないまま、家を出たところで、


「おはよう、翔くん。あれ、なんか焦ってるね?」


出くわした、その彼女に。

幻想なんかではなく、本当にそこに制服姿で。


俺の部屋は、鉄骨ボロアパートの二階部分の一番端、階段の目の前にある。


その一番上の段に、ちょこんと天使が座っていた。

ガラスの階段に座っていそうな彼女の透明感に、錆の目立つ鉄階段がとにかく似合わない。


彼女は、アイドル・佐久杏子…………ではなくて、佐久間杏だ。


雲間から溢れる日差しが、まるで彼女だけに注いでいるかのように、そのショートヘアは艶めき、肌は光を目一杯弾く。


一瞬見惚れかけて、次の瞬きで、はっとする。


「遅刻だ、遅刻! 駅まで走るぞ」

「えぇ!? 私、委員長さんが遅刻するわけないと思って、待ってたのに〜! 久々の電車バス通楽しみにしてたのに〜」


そうだった、そういえば佐久間さんが副委員長なんだっけ。


ダブル遅刻なんてことになったら、もっとまずいじゃないか。

俺たちは息を切らし走る、走る。


ここから、最寄りの駅までは、大した距離ではない。

が、次に来るものに乗り遅れたら、もう間に合わない。


それでも、女子のペースに合わせるつもりはあって、少し手を抜く。


今でこそ帰宅部だが、中学生の頃は陸上をやっていた。種目は棒高跳びだったけれど、走るのだって、学年で上位に入ったこともある。


まだ速すぎるか……? と思ったのだが、そこは歌って踊ってが仕事のアイドル様だ。そこらの女の子とは一味違う。


佐久間さんは俺の横を快活に駆け抜け、笑う余裕さえ見せていた。


駅前の交番を横目に、かろうじて電車に飛び乗る。

二人揃って、扉にもたれかかって肩で息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る