第9話 やっちゃったよ、私……!


「懇親会をしよう!」


意気揚々、佐久間さんがそう宣言したのは、打ち明け話が終わってすぐのことだった。


俺は迷わず、その誘いに乗った。


二人で学級委員になったこともあれば、お隣さんになったことも、数年ぶりの再会ということもある。

親睦を深めるのは、今後のために必要なプロセスだといえた。


加えて、ずっとこの状況に戸惑っているよりは、受け入れて向き合うべきだろう。


……だが。


「帰ってこないな……?」


ご飯用意するね! と言ったきり、すでに一時間以上だ。

もう時計の針は正午を大きく回って、一時半である。


編み物に精を出していて、少し気づくのに遅れたが、さすがに心配になってくる。


こうなったら、直接確認するほうがいいか。


俺は家を出て、すぐ隣の扉の前に立つ。


……隣の家とはいえ、女の子の家には違いない。変な緊張に襲われ、少し震える指でチャイムを鳴らす。


しかし、待っても反応はなし、繰り返しても反応はなし。


「きゃっ!?」


かわりとしては少し物騒なことに、中からは悲鳴のような短い叫びがした。


なにかあったのか?! 俺は焦って、ドアノブを回す。


なんということか、簡単に開いてしまった。


エントランスもないような、ボロアパートである。

前提からして、一流アイドルが住むには心もとない防犯設備なのに、なにしてんの、あの子!


とにかく、ままよと俺は扉をオープンしてしまう。


「佐久間さん! 大丈夫か…………って、え?」


そこには、白のシャツを真っ赤に染めた少女が両手でがっちり包丁を握り、立っていた。


ぎこちなく首を振って、玄関先の俺を見る。


「翔くん! やっちゃった、やっちゃったよ、私……」


本当に人でも刺したかのよう、目に涙を溜め赤い手のひらを震わすが、そうじゃない。


床に飛び散る赤は、鮮血ではなく、トマトだろう。


どうやら、トマト缶をひっくり返したらしい。作ろうとしていたのは、ナポリタンだろうか。

めちゃくちゃに折れたパスタが、新品らしい鍋に入っている……いや、突き刺さっている。


まさか、このまま火にかけるつもりだったのだろうか。


「ふ、ふ、普段はこんなことないんだよ!? ちょっとほらキッチンが狭いから、感覚が分からなかっただけで……」

「その剣山みたいなパスタは、どう説明するんだよ」


「これは、えっと、パスタは茹でたことなかったの! お米なら炊けるんだけどね。あとレンジで五分とかならできるし」

「はぁ。そういうのを、からっきしって言うんだよ」


裾からトマトを滴らせながら、泣き声になって、ボロアパートの廊下兼キッチンに立つクール系アイドル。


うん、あまりに新しすぎる。


斬新すぎて『※ 一流クール系アイドルです』と注釈を入れないと、誰にもわからないだろう。


……とりあえずこういう時は、っと。


「ほら、早くシャワー浴びて、服着替えてこいよ。風邪ひくんじゃないか?」

「えっ、トマトで濡れても風邪ってひくの」

「普通にひくと思うけど。冷たさでいったら、水と同じだし」


……まぁトマト風邪は、前代未聞ではあるかもしれない。


「じゃあ俺は雑巾取ってくるから」


俺は床に散乱した汁にため息をつきながら、扉を閉める。

けれどすぐに開けて、もう一つ言葉を加えた。


「今は俺だからよかったけど、次からは鍵はちゃんと閉めろよ」

「はーい……!」


なんか俺、面倒くさい親みたいになってない?


家で雑巾を絞りながら、自分でもそう思うのだが、あればっかりは仕方ない。言わなくちゃいけない忠告である。


なにが孤高のアイドルだ。


今の彼女は、危なっかしいだけの女子高生だ(ただし、抜群に可愛い)。


「佐久間さん、入るぞー」

「はーい」


廊下脇にある脱衣所にいるらしい彼女に、許可を取り、再度扉を開ける。


廊下の水がけを始めてから、気付いた。


……あれだけ躊躇していたのに、すんなり上がってしまっているじゃないか。


いやこれはノーカウントだ、明らかに緊急事態だったし。


そんなふうに変な言い訳を考えつつ手を動かしていると、


「翔くん。あの、一個聞きたいんだけど、いいかな」


話しかけられて、つと顔を上げる。

見れば、脱衣所の扉から、可愛い顔だけがのぞいていた。


光沢を放って白い肩が、隙間からちらりと見えて、察する。


頭を抱えるしかない無防備さだ。どうやら、服を着ていないらしい。


…………そういえば、昔から弩級の天然だったなぁ、こいつ。

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