第6話 美少女アイドルちゃんがお隣さんになったらしい。
タクシーに乗ったのは、人生で二度目のことだった。
前回は『五人で乗ればバス代より安い』なんていう理由で、乗った、というより詰められた感じだった。
ゆったりと座席に座ることも、この独特の張り詰めた空気も、初めての体験だった。
……というか、隣に超人気アイドルが乗車している時点で、全てが未知すぎるわけだが。
「わぁ、懐かしいなぁ〜。ね、あそこの公園で、昔遊んだよね!」
佐久間さんは、あくまで昔と変わらぬ調子で話を振ってくれる。四年前の彼女が、そのまま身体だけ立派になったみたいだ。
「そ、そうだっけ?」
「うん、そうそう。翔くんがジャングルジムから落ちて頭打ってねー」
「なんで覚えてるんだよ、そんなこと!」
あぁ、恥ずかしい、恥ずかしい。
運転手さんは、仕事に真剣だ。
平凡な高校生の失敗談に興味などないと分かっていても、やっぱりきまりが悪い。
車窓を流れる町並みに目をやり、俺は気を紛らわす。際限なく増えていくメーターを見るのも、ひどく怖かった。
兵庫県宝塚市。駅前にはかの有名な歌劇場を有する、川に山に、自然豊かで閑静な街だ。
生まれてこの方過ごしてきた場所だというのに、すりガラスの奥からみると少し印象が違って見える。
長く感じた時間が終わり、ようやく目的地にたどり着く。
お金の払い方も分からず俺があたふたしているうち、なにやらチケットで支払いは済んでいた。
降り立ったのは、俺の住むボロアパートの前だ。お金はいいよ、と言われるが、そう簡単には肯けない。
が、残念ながらお金があるわけでもない。
俺にこの家をあてがった両親は、ほとんど最低限の仕送りしかくれていなかったし、う俺はバイトもしていない。
そんななかどうにかして日々やりくりを続け、学食やカラオケといった高校生らしい人付き合いをこなすのに苦心しているわけだ。
「ごめん、ありがとう」
「気にしないでよ。私のついでって思ってくれればいいよ」
俺は深々頭を下げる。
そこで、仕事をしていなかった違和感が、遅れてやってきた。
…………ん、待てよ? 俺、佐久間さんに住所伝えた覚えはないんだが?
「なぁ佐久間さん、なんで俺の家知ってるんだ?」
「ん。なんでって、そりゃ知ってるよー」
彼女はさも当然のように言って、アパートの真下にある自販機で、飲み物を買い始める。
ど甘いエナジードリンクのあとに、彼女がボタンを押したのは、某メーカーの緑茶だ。
しゃがんで取り出して、後ろ手に俺の方へ突き出す。
そもそも美少女に下から覗かれると言う状況が、いけなかった。
そのうえ身体が反ったことにより、胸元が制服に圧迫されて、強調されていた。
綺麗な凹凸のついたラインが分かってしまう。
「翔くん、これ好きだったでしょ? 昔から、趣味がお年寄りみたいだったもの。みんながジュース買う中、お茶買ってたもんね」
そして、あろうことか無自覚だ。
「あれ、もしかして今は違ったかな?」
「い、いやぁ、まぁ……」
今も緑茶はすきだ。夏場でも急須は欠かせないほど、嗜んでいる。
だが、声にはならない。
「でも、お茶なら家でも飲めるでしょ♪ まぁご挨拶だと思って、受け取ってよ」
俺は髪をいじって変に気取ってしまいつつも、ありがたく頂戴はする。
俺が押し寄せてくる煩悩と戦っているうち、佐久間さんは、集合ポストの前まで移動していた。
うち一つの箱を、なにげなく開けた。
かと思えば、中からチラシを取り出したではないか。
ん? やっぱりおかしいぞ、これは?
「うちの住所知ってるのもそうだけど……。えっ、なんで佐久間さんがうちのチラシ取ってるんだ?」
「なんでって溜まると嫌じゃないかな? ピザ屋のクーポン以外は使わないしね」
「最近はクーポンくらいスマホで済むだろーって……、そうじゃない!」
その話じゃないの? と言わんばかりに、首を横に落とす佐久間さん。
「そもそも、ここに住んでるわけじゃないだろって話」
「あー、そっちね、えへへ。そっか、そこを説明してなきゃいけなかったね。少しも知らない感じなんだ?」
へらっと笑った佐久間さんは、肩にかけていた鞄をなにやら漁りだす。
彼女が小指の先に掛けて見せたのは、鍵のついたキーホルダーだ。
デフォルメされた三毛猫が可愛いらしいが、問題はそこじゃない。
俺の持っている鍵と、ほとんど同じ形をしている。
「私、今日からここに住むことになったの! 翔くんのお隣さんだね」
…………幻聴かと思った。
「ちなみに本当だよ? 昨日までは東京で大忙しで来られなかったんだ」
……マジだった。ポストにも、『湊川』の横にいつのまにか、『佐久間』の文字が記されている。
そういえば、隣は空き部屋だったっけ。
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