第5話 帰ろっか?




込み入った話が、できるような空間でも、時間でもなかった。


相変わらず状況を理解しきれないまま、俺は佐久間さんと並んで教卓に立ち、ホームルームを仕切る。


他の委員決めを済ませてしまったら、その日の授業はそれで終わりだった。


休み時間なく、十時に終業となる。


……さて、どうしたものか。


具体的な話を聞くのはいいとして、自分から「俺のこと好きなの?」なんて言えるようなキザな人間には育っていない。


終礼終わり。俺が一人、切り出した方に迷っていると、


「おい、ちょっと来い!」


ぐいっと、後ろから首根っこを掴まれた。なされるがまま、俺は強制的に引きずられていく。


「あっ、えっ! 翔くん……」


なにか話しかけようとしてくれていた佐久間さんが手を伸ばしてくれるが、あれよでその柔らかそうな腕が遠ざかる。


自慢じゃないが、クラスで浮いていない代わりに、気安い人間は少ない。


誰だというまで間もなく、俺にここまで気安く接する人間は彼しかいない。


廊下に出たところで、俺は上目にその男を見る。


「どこにいくんだよ、陸奥」

「これば分かる。迷わずついてこい」


ついてこいって言うけど、これはもはや連行だからな? 俺の意思ではないからな?


それに、どこかで聞いたようなセリフだし。某プロレスラーがそんな感じのこと言ってなかったっけか。

この首絞めも、なにかプロレスの技なのかもしれない。


「それで、事情を聞こうか、佐久間翔さんよぉ!」


俺の首がやっと解放されたのは、数少ない安寧の地、別棟の男子トイレだった。


俺たち二年生の教室がある三階からは、渡り廊下を通過して、すぐのところにある。


「……勝手に佐久間さんに婿入りさせんのやめろよ。俺は湊川翔だ」

「いやまぁ。相手が一流アイドルじゃ、婿入りのが自然かと思ってな!

 なんだ、翔。お前、自分の苗字に変えさせたいタイプの男か? 時代遅れだなぁ」

「そこじゃないっつの。そもそも結婚してないから!」


我ながらなんてテンプレートなツッコミだろうか。


「まぁ、それは冗談として。なんか事情があるんだろ?」


陸奥は、興味津々と言った様子で、隣から俺の肩を揺する。


こんな調子だと、すぐに他人に広めそうに思えるが、意外なことに彼の口は固い。


口調はおちゃらけているし、時には馬鹿なことをして生徒指導を食らうような奴だが、そこだけは信頼が置ける。


とはいえ、男二人、トイレで長話をする趣味もない。


俺は一応、他の誰も聞いていないことを確認してから、軽く昔の話をする。


小学校の同級生だったこと、告白しようと思ったら彼女ではなく、なぜか幼馴染がきたこと。


聞き終えた彼は、やはりにやにや、口角を吊り上げる。


「いやぁ、面白いことになったなぁ」

「……どこがだよ、今のところ、わけわからん以外の感想ないって」

「いや、面白いぜ。なんせ、お前の焦った顔なんて久々に見たしな」

「…………俺のことかよ。というか爽太郎、佐久間さんには興味ないのか? 俺の顔なんかより、よっぽど価値あるだろ」

「ま、親友の見たことのない一面ってのは結構面白いんだよ、これが」


影のない笑顔を見せる爽太郎。

こんなことをストレートに言えてしまうあたり、天性の人たらしだ。


決して格好いいわけではないのに、女子からの人気が高いのも理解できる。


「それに、いつもは俺ばっかからかわれてたしなぁ」

「そんな見た目して、大学生の先輩に恋してるなんて、面白いしな」

「いや、今俺の話いいから! お前のことだろうよ」


まぁ、それもそうだ。


「なぁ、どうすればいいと思うよ、これから。話を聞くしかないってのは分かるんだけど、俺のことが好きかなんて、自分から言えるものでもないし」


俺は、素直に相談してみる。大学生に恋してるんだから、さぞミラクルな引き出しがあるのだと期待したが、


「んー、難しい話だな。雑談でもして引き出すしかないんじゃない」


そんなものはないようだ。


「……やっぱりそれしかない?」

「ないんじゃね? あの感じなら、結構すぐに理由も何も教えてくれそうだけどな」


言われてみれば、たしかにそうだ。


あの佐久間杏と二人きりになって、軽妙に会話を交わす。

それはそれで難しそうだが、このまま言われっぱなしで、放置するわけにもいくまい。


ワケをたださなければ。


「とりあえず戻るか、教室。あんまり待たせるといけないしな」

「なんで、待ってる前提なんだよ……」

「待ってるだろ。というか、クラスのバカどもに囲まれてんじゃね? 昨日の記者会見かよってな」



結果として、その予想は半分当たって、半分外れだった。


教室に戻ると、佐久間さん一人だけが自席に残っていたのだ。


まるで、薔薇の一輪花だった。春風に髪を泳がせ、白く長い足を組んで窓の外を見る。


すでに、絵として、世界として、完成されていた。


なんとなく事情が分かった。


同じ高校生とは思えない、その圧倒的なオーラが、人を寄せつけなかったのだろう。


だが俺に気づくと、


「あっ、翔くん! 戻ってきた〜、待ってたよ」


その張っていた膜は弾け飛ぶ。人好きのする微笑みが、俺に投げかけられた。


爽太郎のことは無視かよ、と思ったら、奴はすでに随分遠くにいた。

廊下を猛然と走りながら、


「俺、部活だったわ〜! いやぁ、科学部は忙しいわ〜」


と。


これも半分本当で、半分嘘だった。

あいつは幽霊部員なので、科学部がいくら大変でも、彼には無関係だ。


くすり、と佐久間さんが笑う。それだけで四年分の時が遡ったみたいな気分になるが、


「翔くん、帰ろっか?」

「……あぁ、えっと、そうだな」

「ふふん、私、今日はタクシー呼んでるんだ。変な騒ぎになったら大変だと思ってさ。というわけで、乗せていくね!」


…………うん、移動手段は立派に一流アイドルだ。

 




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