第3話 君の元へ帰ってきたよ。


そもそもこんなはずじゃなかったんだ、うん。

きわめて平和に迎えた新年のはずだった。


今朝あったことと言えば、去年一緒にクラス委員をやったクラスメイトの比嘉百々子に声かけられて、


「別にしたくないけど、うちら、また委員させられるかもね」

「ありえるから嫌だな……」

「学校に早く来てるだけで委員ってありえないやんねぇ」


とまぁ、こんな話をしたぐらい。


比嘉さんは真面目でいい子だなぁ、ポニテが可愛いな、とほんわかした感想を抱いていただけだった。

そんな平穏とともに始まった新学期。それが、アイドル様の襲来という大イレギュラーで、一変した。


「え。ねぇ、もう一回言って?なんて言ったの……?」


勇気ある最前列の女子が尋ねるのにも、


「いいよ、じゃあもう一回。私は、湊川翔くんを落とすためにこの学校に来たんだ」


答えはまさかのノーチェンジ。


それが、完全に引き金引いた。

またしても、場が乱れだす。その大方は、驚きと嫉妬の二種類だ。


耳を塞いでも足りないくらいの喧騒の中、背後から強く肩を揺すられる。

あやうく首が取れかねない勢いだった。首の座ってない赤子にやったらダメ絶対。


「おい、翔! お前、佐久杏子の知り合いだったかよ! というかお前、お前落としにきたってよ!」


お調子者の友人、陸奥爽太郎だ。高校になってから、出席番号が近いことで仲良くなった。俺が「痛い、やめろ」というのにも関わらず、その力は緩まらない。


「楽しくなってきたなぁ、おい」


こいつは珍しいタイプらしい。こちらを睨みつけてくる周りの人間とは違って、なぜか、喜んでいるように見えた。


こんな性格だから誰彼構わず仲良くできるんだろうなぁ……って、そんなふうに思考を逃してみても、状況は変わらない。


訳がわからない、この一言に尽きた。


一段高くなった教卓から、佐久間さんが降りる。

スカートを揺らしながら、光沢すら放つ足が向かってきたのは、教室後部に座っていた俺のところだった。


「久しぶりだね翔くん、覚えてる? って忘れたなんて言ったら怒るけどね。

 翔くんに会うため、わざわざこうして、髪の長さも色も元に戻してきたんだもん」


見上げると、真っ赤に熟れた顔で彼女は笑う。

その目元はうるうると緩んでいて、輝きをたたえている。


テレビの中では冷静だったくせに、いつもは孤高のアイドルをやっていたくせに。


――俺なんかを相手にして、彼女は照れているらしい。


可愛い、なんてものじゃない。太陽と同じだ。まっすぐ見ようものなら、身が焼かれかねない。

直視できず、俺は数秒だけ目を合わせたのち視線を横へ逸らした。


だいたい、忘れる訳がない。


彼女は知らないだろうけれど、俺にとっては初恋の人だ。

どうしようもないくらい、記憶のど真ん中に居座っている相手。


それも引っ越してしまったあとに、彼女がアイドルデビューしたことにより、テレビでもその姿を見ることになったのだから、遠くへいっても、どこかで意識はしてしまっていた。


「覚えてるよ。……佐久間さん」

「おかしいなぁ、私は『杏ちゃん』って呼んでもらってたと思うんだけど。呼んでほしいなぁ。って、ま、そこはおいおいかな? ふふっ、小学生以来だね」

「……そうだな、卒業式の時か」

「どう思う? 私を見て」


なにを聞くんだろう、この人は。どういう意味で聞いたのだろう。


可愛いか、ということならば、意味がわからないくらいに可愛い。

変わったか、ということなら、変わった。


色気も愛嬌も、昔の数倍に膨れ上がっている。

それでいて、あの頃の面影もはっきりと残っていた。


「ねぇ、私。ちょっと遅れたけどさ。君を捕まえに来たよ。やっと君の前に来られた」


彼女は腰を曲げて、こちらに手を差し出してきた。


俺を捕まえる……?


それがなにを意味するのか。

勝手に思考は昨日の会見での爆弾発言と結びついてしまうが、こんなところで真意は聞けない。


そもそも、さっきから頭はヒートショックでいっさい仕事をしていない。ぷすぷす煙を春空にあげるのみだ。


とりあえず、「挨拶ならば」とその手をちょっとだけ握り返す。


クラスはまた、いろんな感情をひっくり返したように荒れ狂いだした。

アイドルのライブ会場かよ、といいたくなる惨状だったが、


「座れ!! 挨拶はこれで終わりだ!!」


うーん、一気に空気が締まるあたり、若狭先生の迫力も目を見張るものがある。


「それから。てめぇら、学校にアイドルが来たなんてSNSで触れ回ったら、停学だからな。最近、嘘告白が流行して、その被害者がなんたらで、先生すでにイライラしてるんだよ。いらねぇことしたら、分かってんな?」


ばしん、と教卓に向けて出席簿が叩きつけられる。割れたんじゃないかと言う勢いだったし、実際ヒビが入っていた。


俯き、全員がただひたすら何度も頷く。


俺の席の隣、先生について何も知らないはずの佐久間さんまでもが背をピンと伸ばして、教卓に立つ小さなヤンキーの話に耳を傾けていた。

本能的な恐怖を覚えているらしい。


「分かったか!!? 分かったら、1限目始めるからな!! 1限目は、委員決めと席替えだっ!! やるぞ、おめぇら」


怒りのこもった宣言は、チャイム音と同時だった。


……はたして、そのテンションで言うような内容だろうか、それ。

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