復讐の剣を(2)
完膚なきまでに叩き壊す必要はない。
近くで爆発を起こして、砲の口をほんの少し曲げてやるだけで良い。
大砲とは繊細なもので、たったそれだけで無用の長物と化してしまう。
「よし、退くぞ」
ウィーンを向いて並ぶコロンボルナの筒が全て途中で曲がったことを確認して、指揮官は叫ぶ。
長居は無用だ。
敵軍はすぐに態勢を立て直すだろう。
別の場所に布陣している部隊からの応援が、いつ来てたとしてもおかしくない。
精鋭と呼べる兵らを率いてきただけあって、突撃するにあたり決して馬から降りるなとの厳命に背く者もなく、引き際も鮮やかであった。
火器や砲が発達した今の時代。
実戦において、神聖ローマ帝国軍が騎馬で突撃するという行動は非常に稀となっていた。
まして今の今まで、頑なに壁の中に籠っていたウィーン守備隊が突如として市門から出て牙をむいたのだ。
今回は敵も泡を喰ったに違いない。
見張りの兵たちとコロンボルナ砲の警備部隊。
討った敵兵の数こそ少ないが、攻城用砲の無力化は敵にとっては何よりも痛いに違いない。
遠征軍の哀しさか。
大掛かりな攻城兵器を敬遠し、持ち運びが比較的容易な小振りの砲ばかりを持参した奴らの底の浅さよ。
そう考えると、指揮官の口元も自然と緩む。
だが、心は晴れなかった。
「これで市長殿の敵が討て申したな、兄上」
「……ジジィはまだくたばっちゃいないよ」
物も言わず全速で駆け戻った百騎は、万一の追撃を恐れてドナウ河側面三つの市門へ回り込み、比較的小さな門からそれぞれウィーンの街に駆けこんだ。
最後に入ったシュターレンベルクに、ひとまずの戦勝祝い。
グイードが投げた言葉だ。
シュターレンベルクは唇を噛み締める。
各門から入った精鋭らが下馬して指揮官の元へ戻って来るのに、機械的に労いの言葉を投げて解散を命じた。
シュターレンベルクを狙うかのようにシュテッフルが爆撃を受けた、そのすぐの後ことだ。
カプツィナー教会にコロンボルナ砲が直撃したのは。
石造りの頑丈な建物であるが、屋根が半分落ち無残な状態となってしまった。
何よりもそこには多くの市民と避難民がいる。
そして市長であるヨハンも。
頭上に瓦礫が降ったのだ。
市長は腹と足に傷を負い、自由に身体が動かないと聞く。
「行かなくて良いのですか、兄上」
市長の元へか? 一体何を伝えに行くと言うのだ。
奇襲は成功した。
オスマン兵は驚いていたぞ。
復讐の剣は振るったぞとでも伝えに?
もしもあの時、市長がもう少し長くシュテッフルにいたならばこの惨劇は起こらなかったかもしれない。
少なくとも市長は被害を免れたのではなかったろうか。
皇帝の悪口でも何でも構わない。
もう少しだけ話をしていればと──今更悔やんでも仕方のないこと。
市民の犠牲が何人に上ったかも分からないのだ。
カプツィナーの前に積まれた身体は時にばらばらで、どの部位をどう組み合わせれば良いか頭を抱えるものまであるという。
それらを目にした市民らが恐慌を来たさないかも気になる。
指揮官率いる精鋭部隊が奇襲に成功したといっても、この空気を打ち払えるとは思えなかった。
「クソッ」
シュターレンベルクは小さく舌打ちした。
シュテッフルとカプツィナーが共に狙われた──つまり自分と市長がだ。
ウィーンの要の二つが同時に。
これは誰かが情報を流したとしか思えない。
カプツィナー教会に避難している筈のマリア・カタリーナの姿が見えないことが気になった。
死体の中にいるとは思えない。
やはり……いや、まさか。
無意識のうちに握りしめた拳。
瞬間、右腕に電気が走りシュターレンベルクの背は震えた。
「……怪我をした右腕は大丈夫ですか、兄上」
周囲を慮ったのだろう。グイードの小声を、しかしシュターレンベルクは無視した。
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