第12話 山田君と火曜日 六回目②

 ギシリ、ギシリと廊下が軋む音が聞こえる。

 時折アブノーマルな言い合いが飛び交うが、敵は確実に俺へと近づいていた。


 ノック音が立つ。

 その後に、爪で板張りのドアを削るような音も。

 やべえって。なんで一々恐怖を駆り立ててくんだよ。


 出るか? いや、迂闊に頭を出すのは危険だ。

 隙あらば唇を塞いで、舌を捻じ込んでくるかもしれない。

 爆発エンドは一回だけにしてもらいたいものだ。


「せーんぱい。おはようございまーす!」

 キィィと開閉音が鳴り、部屋に侵入してきた気配があった。

 

 カリリ、カリリリ。

 部屋の壁を爪でなぞっているのだろうか。次第にクローゼットに接近してきている。クソ、バレバレだったか。


「イヤホンからは……チ、やってくれますよ。全滅してるじゃないですか」

 鋭い舌打ちの後、朱里がぷんすか怒っているようなトーンで語りかける。


「だーかーらー! お兄はいないって言ったでしょ。朝来たらもぬけの殻だったんだから、私だって探してるってのに!」

 我が義妹、演技派だ。

 そこはかとなく『自分も知らなくてイライラしてるんだよ感』を出している。


「ふーん、まあいないならしょうがないですよね。さて朱里ちゃん、今朝さー、色々と大掃除とかしなかったかな?」

「お兄の部屋を掃除するのは妹の特権でしょ。だってエッチぃ本とかあったらむかつくじゃん」

「そういうことじゃなくてさー。ふーん」


 流石に朱里も厳しいと感じたのか、怒りの方向性を変えたようだ。

「私だって言いたいことあるんだよね。なんでお兄の部屋にこんな変な機械がいっぱいあるのかな? ねえ、スバル先輩、理由知りませんか?」

「どれどれ、どんな機械かな……ふーん、なんだいこれ、初めて見たよ」


 ウフフフフ、アハハハハ。

 空鍋をかき回すような、精神イっちゃった系の空気を感じる。

 

「それってさ、朱里ちゃんが自分で仕掛けたんじゃないかな? 先輩に構ってほしかったとか、ね」

「へー。『仕掛けた』って言葉、面白いですね、スバル先輩。私、この機械をどんな状態で発見したとか喋ってないんですけど」

「言葉の綾だよ。もしかしたら盗聴器とかだったりって思ってね。いや、まったくの空想だから気にしないで欲しいな」

「そうですよねー。まさか、お兄のいない間に住居不法侵入とかしてる人、いないですよねー」


 言毒の弾丸が飛び交う。

 いつからここは戦場になったんだ。ノルマンディー作戦じゃねえんだから、人の部屋で上陸戦や塹壕戦をしないでくれ。


「じゃあ私も質問していいかな」

「何か朱里に聞きたいことあるんですかぁ? 私、何にも知りませんし」



「何で、先輩のベッドの上に、朱里ちゃんのパンツが乗ってるのかな」

「エンッ」


 おい馬鹿、朱里、作戦の土台から崩れる忘れ物してるんじゃないよ!

 起きて誰もいませんでした。でもパンツはあります。よかったねって、信じるヒューマンが存在するわけないだろう。


「さ、さぁ……きっとお兄は朱里とらぶらぶだからー。一緒に寝てたんじゃないかなー」

「ふーん」


 俺の視界はクローゼットの中なので、外の様子は分からない。

 だが今確実に朱里の目は泳いでいる。


「じゃあついでにもう一つ」

「な、もういいじゃん。ほら出て行ってよ!」


「何で……?」

 

 は?

 いやいやいや、俺何もしてないよ。

 え、嘘でしょ? 致命的すぎひん?


「お、お、お兄の衣服に朱里の匂いをつけてたんだよ! マーキングってやつかなー。あははは……は」

「じゃあ、開けていい? そこのクローゼット」


 エンッ!


 兄妹で同じ反応をしてしまうのは、もはや文化の一つだろうか。

 場合じゃねえよ。どうすんだよこれ。


「そ、それはダメ! 今一生懸命匂いを閉じ込めてるんだから、開けるのはダメ!」

「へぇ。そうなんだ。じゃあ直接聞きますね。開けますよ、先輩?」


 ギイイ、と問答無用にドアが開かれる。

 キャァァ、エッチィー!

 

 と言うとでも思ったか!


「あれ、誰もいない。え、マジで香りづけしてたんだ。ごめん、それはちょっと引くかも」

「人様の家に盗聴器仕掛けるほうがドン引きだよ! ほら、帰って帰って!」

「うーん、読みが外れたかぁ。しょうがない、今日は諦めるよ」


 トントンと階段を下りていく足音が二つ聞こえる。


「危なかった……開けられた瞬間、もう駄目だと思ってたのにな」

 確かに俺はクローゼットに隠れたよ。

 まあ、設置型の木製クローゼットじゃなくて、押し入れにある天井裏のクローゼットだけどね。


 流石に押し入れを探すほどの暴挙はしないだろうという読みだ。

 やがて足音が昇ってきて、俺の部屋に見慣れた茶色の髪の毛が入ってくる。


「行ったか?」

「ばっちり。スバル先輩、案外詰めが甘いね」


 隙を生じぬ、二段構えのパンツトラップだ。

 朱里のイメージが痛い子から危ない子にランクアップされてしまうのだが、元々あぶねー奴なので問題ナッシング。


 

「しかし、どうしたもんかな。朱里よ、お兄ちゃんは今からちょいと危ない橋を渡るかもしれん。下手したら死ぬと思うんだが」

「え、ちょっと何言ってんの。お兄が死ぬなんてダメに決まってるでしょ!」


 頼むよ、と俺は朱里に手を合わせる。


「今から俺は一本の電話をかける。何を言っても、朱里はお口にチャックしててくれ。もし上手にできたら、来週一緒に遊園地デートでもしよう」

「うん。朱里いい子にしてる。約束破ったら、膜も破ってもらうからね」

「お前実は中身はどこぞのエロオヤジ説無いよな?」


 今日もクールジャパンの最先端を走る朱里を鎮座させ、俺は月読に電話をかけた。


 呼び出し音を待つことなく、マッハで電話に出てくれました。

 ちょっぱや過ぎて反射神経の限界に思いをはせるのだが、今は後回しだ。


「月読、火曜日だが、中身は昨日と同じだよな?」

「ええ……お陰様でね。それでタケル、私に何か用事でもあるの」

「俺は今から問題発言をする。それを見逃してくれた上で協力して欲しい」

「拝聴するわ」


 すーはー。言うぞ。


「月読、愛してる。俺とつき合ってくれ」

「よっしゃああああああああ!!!!!!! コホン……失礼。ええ、もちろんよタケル。その話お受けするわ」

「ある程度理解をしてくれている反応で助かる。すまんがちと探偵をやってほしいんだが、いいだろうか」


 俺は昴の行動を観察してほしいと伝えた。

 できれば話しかけて、穏便に俺への想いを聞いてほしいと。そしてどうしても詰みそうになったら、実はつき合ってると白状していいとも。


「それはそれは素晴らしい提案ね。いいわ、やってあげましょう。その代わり、きちんと報酬はもらうわよ」

「なるべく生き残れる内容で頼む。特に火曜日が終わりそうになれば、昴は焦ってボロを出すかもしれない」

「問題ないわ。徹底的にやりましょう」


 そうして静かに通話を終え、俺は一息つく。

 背後には修羅の形相をした朱里がいたのだが、まあ仕方ない。


「お兄のばかあああああああああ!!! なんで、なんで! こんなに協力してあげたのに!」

「朱里、詳しくは言えんが必要な措置だ。一週間、一週間だけ我慢してくれ」

「えぐ……ぐす……」


 顔の穴という穴から、様々な液体を垂れ流している。

 すまん妹よ、お兄ちゃんは世界で一番デンジャラスな状況にあるんだ。


「いいよ、わかったよ……」

「ごめんな朱里。この償いは必ずするからな」


 雷鳴に似た衝撃、と形容すればいいのだろうか。

 朱里の言葉に、俺は如何ともしがたい吐き気を感じた。


「――じゃあ、次の火曜日はもう助けないよ」


 なん……だと……。

 朱里、お前、今なんて……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る