山田君と火曜日
第7話 山田君と火曜日 二回目~
起きる、布団をめくる、胸をなでおろす。
よかった、今回は朱里がいないようだ。ただでさえ火曜日は破壊力が強いやつが待ってるんだ、朝一から詰んでる場合じゃない。
階段を降り、既に用意されている朝食の席につく。トーストと目玉焼き、ウインナーと何の変哲もない食事だけれど、俺はこのシンプルさが好きだ。
どうして半熟目玉焼きって殺人的なおいしさを持ってるんだろうね。これもう神の食物では? と思うときがある。
「おにぃ、食べないの?」
ビクンと体がはねる。トーストを食べ終え、おかずに手を出している朱里がいぶかし気に俺を見ていた。
この一つを食べきってから他の食べ物に手を出すのは、昔は行儀がよくないとされていた。三角食べって習った人もいるんじゃないかな。
「あむ……ちゅむ……」
ぶっ。
飲んでいたコーヒーを噴き出す。
朱里のやつ、顔を赤らめながら、俺を凝視してウインナーを舐めている。
舌先で先っちょを丹念に舐め、それからつつーっと縦になぞる。
「朱里、食べないの?」
「ええー食べてるよぉ」
どこの世界にウインナーを舐め回す朝食風景があるのかな。それが長年一緒にいる義妹の所業であるというのがまた嘆かわしい。
「おにぃは食べないの? ウインナー美味しいよ」
「食べるけどさ。なんかちょっと……」
食欲なくすわ。こう半熟卵にウインナーを浸して食べるのが美味いんだが、朱里の動作を見てるとなんかエロい妄想しか出てこない。
とろとろの汁に棒を突っ込むとか、暗喩が効きすぎている。
「今日はこれぐらいでいいや。母さんごめん、歯ぁ磨きにいってくる。ごちそうさま」
「あら、あんた背がデカいんだから、きちんと食べないと倒れちゃうよ?」
「平気平気」
無駄に伸びた182㎝の身長をかがめ、脱衣所兼洗面所に入る。
鏡に映る凡庸な顔は、今の俺の心境と同期しているようだ。そろそろ髪を切らなくちゃな、なんて思ってると朱里がやってきた。
「おにぃ、私も磨く。ちょっとどいて」
「ほいよ」
いつもの鏡の前争奪戦は勃発しない。その代わりに朱里は俺の方をみながら歯を磨いていた。しゃこしゃこ、とリズミカルな音が聞こえる。
「おにぃ、ひれいになっふぁ?」
「口の中をぺっとしてから話しなさい。どれ……」
「ほら、まっひろ」
口の中にどろりと広がる、白い液体。唇の端から、とろりと垂れ、顎先まで伝っている。
エッッッッ。
こいつ朝からアクセル全開でぶっ飛ばしてるな。お兄ちゃんは朱里の脳が何色だか知りたいよ。
「おにぃ、のんれもひひ?」
「飲んだらめーです。吐きだしなさい」
「はい」
朱里はご丁寧に両手の上にどろっと、ゆっくりこぼした。
「全部出ちゃった。おにぃ、あったかいよ」
「普通に歯磨きできんのかお前は。早く手ぇ洗いなさい」
ぼうっとした顔で俺を小鳥のように見つめる朱里に、俺はハンドタオルを投げつけて洗面所を後にする。くそ、下腹部が痛い。義妹相手に何考えてんだ、俺は。
――
さて、だよ。
今日は火曜日。比喩表現だが、わんこの散歩をする日だ。
玄関を開け、即死トラップが無いことを確認すると俺は学校への道を進む。
タッタッタッタ。
来たよ。
よく走り込んでいると想起させられる、しっかりとした足音。早朝の住宅街に運動靴の軽快な動きが合わさり、爽やかな空気を運んでくる。普通だったらね。
「せんぱーい! おはようございまーす!」
「おはよう、
「はい! もう足ガックガクです!」
「そんな己を追い込まなくても……」
火曜日は
この黒髪短髪で、褐色の陸上娘は火曜日だけ俺を迎えに来る。
「なあ昴、いつも言ってる気がするが、なんで朝から競技用ウェアなんだ? 適当に学校のジャージでもいいだろうに」
「気持ちがスカっとするのでいいんです! 走りやすいですし!」
薄手の白いパーカーの下には、競技用のランニングウェア。黒と赤のラインが入っている、高天而学園陸上部の正式なものだ。
男っぽく、とは口が裂けても言えない。微妙に膨れている慎ましい胸と、競技用の短パンから覗く肉付きの良い足は健康的な色香を放っていた。
とっとっと、と俺の前まで走り出る昴。短パンからは白いアンダーウェアがのぞいている。それを指でくいっと直すが、またちらりとはみ出る。
いつも思うんだけど、どうして運動部系の女子って、こう無防備でエロいんだろ。
「先輩も陸上やりましょうよ。絶対楽しいですよ」
「俺は昔から足が遅いんだ。今から肺を鍛えるのは割と無理だと思うが」
「私が付き添いますから。あ、じゃあ早朝のジョギングとか! 気持ちいいですよ」
俺の周りをくるくると回りながら、しきりに走りへの勧誘をしてくる。
まあ、いい子だと思う。すごく素直で、さっぱりした性格だ。
こうやって子犬のようにじゃれついてくるところは、本当にかわいい後輩と言えるだろう。
「先輩すき……」
「んがっ!?」
不意打ちか! おい、そんな流れじゃなかっただろ、今。
「隙あり!」
……セーフ! セーフだよなこれ。
とはいえ体勢がヤバイことには変わりがない。
なんせ背中におぶさってきたんだから。ふわっと柑橘系と汗が混じった、何といえない甘い匂いがする。
「せーんぱーい。ちゃんとおんぶしてくださいよー」
「いや……うん。人目があるだろ。ちょっと朝は……」
「じゃあずっとこのままですよー。おーんーぶー」
「ぐぬ、じゃああ足を前に出してくれ」
「はーい」
大丈夫? 死因が子泣き乙女とか嫌だぞ。
「ちゃんと掴んでください。おっこっちゃいます」
「ほれ、よいしょっと」
お尻の感触がもろに伝わってくる。シャープな体かと思ってたけど、意外に丸いんだな……。
「足をぶらぶらさせるな、あぶないっての」
「えへへ、楽しくって」
顔を俺の後頭部にすりすりさせている。そんなことすると、俺の男くささと枕の臭いが付くぞ。
流石に人が多くなってきたので、昴を地面に降ろそうとした。後輩をおんぶで登校してるだけでもリスキーなのに、このまま昇降口に突撃とか呂布でもやらないよ。
「えええ、もうちょっとー」
「だめだ、人に見られてるから、そろそろだな」
ぽい、と着地させる。
「むぅ、子供のころは毎日おんぶしてくれたのに。先輩は意地悪になりましたね」
「大人になるって悲しいな。ほれ、行くぞ」
昴はいわゆる近所の幼馴染だ。年も近くアグレッシブな性格をしている昴とは、よく泥だらけになるまで遊んだものだ。流石に男女を意識するころにはお互いに同性の友達と遊ぶようになったが、昴はそれでもたびたび俺の家に遊びに来ていた。
「お医者さんごっこだってしたのに。遠慮することないです」
「色々ほじくるのやめてくれ。昴は可愛い後輩だよ」
「可愛い……ですか? へへ、そうなんだ。えへへ、へへ」
妹みたいなもんだ、という言葉は出さなかった。
一つは喜んでる昴に水を差すのは無粋だと思ったから。
二つ目は、うちの妹はもっと恐ろしい存在だからだ。
ほほに両手をあててニマニマしてる昴を連れて、俺は学園に到着した。
なんというか、今日は一回で済んでるな。妹のまさかの奇襲以外では倒れていない。月読がいかに強敵だったかがわかる。まああいつも必死だったのだからしょうがない。
「おはよう、山田君。可愛い子を連れてるわね。彼女に対して失礼じゃない?」
「…………おはようございます」
そうだった。俺月読に告ったんだ。
告った後死んだので、どのような経緯で月読が今ここに立っているか不明だが、昨日の告白を覚えているということは、きちんと意識を保ててるんだろう。
「月読、昨日のことだが」
「もちろん覚えてるわ。おかしいわね、どうやって私家に帰ったのかわからないんだけれども、山田君の言葉は胸に刻まれてるわ」
「意識はあるんだよな」
「おかげさまでね。さあ行きましょう、今日もお弁当を作ってきたわ」
「ちょっと待ってくださいよ」
す、昴?
「告白ってなんですか? それ、私聞いてないんですけど。え、先輩、本当のことですか?」
今にも泣きそうな顔で昴が噛みついてくる。
「私の方が先に出会ったのに! そんなのずるい!」
彼女の声はよく通る。透き通って張りがあり、それでいて野性味を感じる。
まあ、問題はここが学園の入り口であって、周りには全校生徒がいるってことなんだけどね。
ド修羅場だよ。
これは死んだな、と俺は覚悟を決めるしかなかった。
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