第4話 山田君と月曜日 三回目②

「ごちそうさまでした……と」

「……お粗末様」


 なんというか、うん。普通だった。いや、かなり静かだった。本来であれば月読のトリッキーな会話に翻弄されるところだが、意外にも彼女は無言で食事を終えたのだ。


 生物準備室に差し込む昼の日差しが、かすかに立ち込める埃を映し出す。ひんやりとするプラスチックの椅子は俺が動くたびにきぃきぃと軋んでいた。

 

 月読は黙っていればとてもかわいい。日本人形とアンティークドールのいいとこどりをしたような、整った顔だち。薄桃色の唇をきゅっと引き締めている姿は凛々しくもあり、可憐でもある。


 観察、というと人聞きが悪いが、こうして緩やかな時間を一緒にしているのは心地よくも思う。いっそ昼寝でもしてしまえば気持ちがいいことだろう。


「ねえ、タケル」


 ばっちりと目が覚める。いかんよ、月読に喋らせたら。

 俺は戦慄に包まれ、身を固くしている間に彼女は訥々と話し始めた。


「何か――私に隠しごとしてない?」

「いや、特に何も」


 めっちゃあるよ。


 三条ひななが好きだとか、死に戻りをするとか、天界や神は実在してるとか。

 死因の多くは月読伊緒によるものだから、迂闊に言えないだけだ。まあ本当のことを話したら頭のおかしいやつだと思われるか。

 待て、それもいい手かもしれない。


「そうね、まあいいわ。じゃあ私行くけれど、一緒に来る?」

「教室まで一緒に帰るのはいいけど、なんか誤解されないか。二人そろって戻るのはちと恥ずかしいな」


「違うわ、トイレよ」

「行かねえから」


 神聖なる学び舎で何考えてんだ。

 ある意味ご褒美かもしれんけど、即死トラップが多そうで無理だ。

 好きです、って言われるのはアウトで、同級生のお花摘みはセーフとかそんな甘い判定なわけがない。


「興味あるかと思って」

「俺、試されてる?」

「私も試していいのよ?」

「はよ行け」


 心臓がキリキリと痛む。生死のボーダーライン上を反復横跳びしてる気分だ。

 月読も挑発的なことを言わなければ、もっととっつきやすいのにな。天は何物も与えているが、肝心の慎ましさだけは彼女には付与されなかったらしい。


――

 教室に戻り、俺はいたって平穏な時間を過ごした。月読がたまにすごい形相で俺を見ているが、気にしないでおこう。無言の圧をひしひしと感じるが、我慢一徹だ。


 やがて本日の授業もすべて終わり、ホームルームも過ぎた。どこの部活にも入っていない俺は、自宅の近くにある喫茶店でバイトしている。

 家族経営の小ぢんまりとしたお店だが、暖色のレンガ造り、欧風の店構えはお客さんからの評判がいい。


 Café jeune de broderie。

 和名で刺繍乙女だ。店長がフランス贔屓なので、頑張って考えてこの名前にしたそうだが、誰も店名を読めないというオチがついた。

 喫茶ブローデリーという通称で近隣住民からは親しまれている。


 月曜日から水曜日までは夕方四時から夜七時まで。土日は朝九時から夕方五時までが俺の勤務時間だ。


 ランチタイムはかなり忙しいが、それ以外はお客さんの出入りも緩やかだ。じっくり一杯のコーヒーを味わい、店長自慢の洋ナシのコンポートを食べながら本を読む。そんな人々に愛されながら、静かに時間は流れていくのだ。


 チリン、とドアベルが鳴る。新しいお客様の来訪だ。

「いらっしゃいま――」

 

 月読がいた。

 何そのスパイみたいなグレーのコートと帽子は。サングラスにマスク、男物のぶかぶかなスラックス。もしかして変装してるのかな?


「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」


 コクコク。月読は帽子を押さえながら頷いている。まあ、そりゃそうだよ。どう考えても人と来る衣装じゃないし。


「で、ではこちらへどうぞ」


 奥の二人掛けテーブルへと案内した。流石にこの状態の月読を、カウンター席に連れていく勇気はない。

 マジで何しに来たんだ。もう死にたくないぞ、俺は。


「タケル君、知り合いかい?」

「ああ、ええ、まあ」

「そっか、うん。それならいいんだ。ああよかった」


 超絶不審者と知り合いというのは辛いことだが、事実だから仕方がない。

 店長がかなり怯えていたので、安心させる意味もこめて即答した。


 店長は接客業ながら、極度にあがり症で人見知りが激しい。正直向いてないのではないかと思うこともあるが、仕事は好きだという。


 月読が臆せず手を上げる。どうやら注文が決まったようだ。

 卓上に呼び出しのベルが置いてあるのだが、それは触れないことにしよう。


「お待たせしました。ご注文をお伺いします」

「ガーリックチキンステーキ。ニンニク多め。ライス大盛りと、スープはオニオンで」

 こいつ、割とガッツリいくね。うちの店のメインディッシュはかなりボリューミーだよ? 月読は昼食もりもり食べてたよな、確か。大丈夫かね。


「お飲み物はいかがなさいますか?」

「アイスコーヒーをください。ガムシロップ四つとミルク三つで」

「か、かしこまりました」


 サングラスの奥に潜む目が、どのような色を浮かべているのか知る由はない。

 女子高生がとるカロリーの限界値を、大幅に振り切っている注文を通す。

「店長、オーダー入りました。チキンステーキと――」


「大丈夫かい? うちのチキンステーキ、三人前ぐらいあるよ? しかもニンニク多めって……表面が埋まっちゃうよ」

「……食べさせますから」

「うーん、まあいいか。それじゃあちょっと待っててね」


 俺としては、月読が口に何かを含んでいてくれた方がいい。そして満腹になって喋る気力を失ってくれるとなお良し。

 

 別のテーブルを片付けている間も、店内の掃除をしている間も、お会計をしているときもだ。月読がめっちゃ俺を見てる。君は神社の狛犬かなってくらいに首をひん曲げてこっちを凝視していた。


「ち、チキンステーキお待たせしました。お手前失礼します」


 コクコク。

 ああ、意地でも変装してたいのね。


 食べるときにマスクを外す月読。ぺろりとピンク色の舌が唇をなぞった。

 え、マジでお腹すいてたの? いやいやいや、その量は無理でしょ。俺だってきついぐらいだからね。


 あくまでも視線は俺の方に。観葉植物の影に隠れても、ホーミングしてくる。

 それでいて食事をとる手は止まる気配がない。一体月読の細い体のどこに入っているのか不思議なくらいだ。


 わかるだろうか。凝視しながら食事する女子の怖さ。もっしゃもっしゃとニンニクまみれの肉を食いちぎりながらも、ずっとこっちを見てる恐ろしさを。


 肉を食う。俺を見ながら。

 コーヒーを飲む。俺を見ながら。

 ライスを詰め込む。俺を見ながら。


 こんなん病むわ。夢に出てきてもおかしくないレベルだよ。

 だから月読がすっと再び手を挙げたとき、俺は体が恐怖でびくりとはねた。


「おか――」

 え、おか……わり? 嘘だろ。フードファイター並みに食べたよね。うちそういう店じゃねえから。


「お会計を」

「あ、はい」


 だよな。これ以上は月読が満月になってしまう。

 彼女は、けぷり、と可愛らしいげっぷを一つ。恥ずかしかったのか、ついと顔をそむけた。

 うわ、ニンニクの臭いがすげえ。月読、家に帰るまで人から避けられるぞ。


 カランカラン。

 悪鬼は去った。ほんと何しに来たんだろう。

 テーブルの清掃に向かった俺は、机の上に手紙が置いてあるのを発見した。

 間違いない、これは特級呪物だ。読んだら死ぬ。確実に死ぬ。


 食器を片付け、手紙をしまおうとしたところを店長に見られた。


「タケル君それは何だい?」

「いや、これは……」

「ほうほう、ファンレターかな? タケル君も隅におけないね。ぜひとも読んであげなさいよ」


 気軽に言ってくれますね。店内を血と吐瀉物で塗装してもいいのかな。


「家でじっくり読みます。恥ずかしいので」

「ふふり。いいねえ、青春。僕も昔はね――」


 店長の学生時代の長話が始まってしまった。一日の終わりを恋愛自慢で終わらせるのはかなり辛いのだが、死ぬよりはマシだ。


 やがて勤務時間も終わり、制服を持ってお店の外に出る。


「危ない橋だった。あと五時間か……早く終われ、月曜日」


「遅かったわね、タケル」


 んー--------!?

 待ってたのか。ずっと外で待ってたというのか。なんという行動力と忍耐力。

「まだ今日の日課を終わらせてなかったわ」


 やめろ、ここまで来たんだ。それ以上は喋らないでくれ!


「タケル、私……私ね……」

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